mrmaxの四季の写真館Gallery 目次
名 所 訪 問目 次
会津西街道 | 会津西街道は日光街道今市宿から男鹿川や鬼怒川に沿って北上し、大内宿を経て会津若松に至る道。 会津藩の参勤交代や廻米の輸送で利用された。 |
伊豆西海岸の道 | 国道136号は三島市から主に伊豆西海岸を通り下田に至る道である。 この道を平成21年3月ドライブした。 |
例幣使街道 | 例幣使街道は、京都御所が徳川家康の死後、祀られて日光東照宮に御幣を捧げた。 その使者を例幣使といい、例幣使が通った道の内、上野国と下野国間の道を例幣使街道という。 |
東 海 道 | 平成19年(2007)1月から平成20年(2008)4月まで歩きました |
伏見街道(山科街道) | 徳川幕府により東海道五十七次になった道。 平成21年9月7日踏破。 |
京街道(大阪街道) | 徳川幕府により東海道五十七次になった道。 平成22年1月18日と2月24日に踏破。 |
姫 街 道 | 東海道の脇往還で、新居関の女改めを避ける女性が通った道。 平成21年6月〜7月に歩く。 |
佐屋街道 | 東海道の脇往還で、七里の渡しを避ける大名達が通った道。 平成20年10月に踏破。 |
美濃路(美濃街道) | 東海道の宮宿から中山道の垂井宿を結ぶ脇往還。 平成20年11月〜平成21年1月にかけて歩いた。 |
御鮨街道(岐阜街道) | 御鮨街道は将軍家へ鮎鮨を届けるために利用された道。 平成20年〜平成21年にかけて歩く。 |
矢 橋 道 | 船便を利用する人のための東海道草津宿の追分から矢橋港までの道。 平成20年10月に踏破。 |
小 関 越(おぜきこえ) | 東海道の山科から北国街道への近道として利用された道で、三井寺観音道と呼ばれる。平成21年1月に踏破。 |
伊 勢 街 道 | 平成21年2月から3月にかけて4回に分けて歩いた。 9月に伊勢神宮再訪 |
伊勢別街道 | 伊勢別街道は東海道関宿からの街道である。 平成22年9月1日踏破。 |
西国街道 | 西国大名の参勤交代に利用された道である。 平成22年8月〜9月に踏破。 |
十津川街道 | 十津川街道は近畿でも秘境といわれる十津川郷を縦断する道。 平成20年10月訪問。 |
熊野街道 |
熊野街道は、紀州藩が五街道に準じる脇往還として整備した道で、和歌山から伊勢まで通じていた。 平成15年12月に訪問。 |
若狭街道 | 若狭街道は、別名、鯖街道とも呼ばれる、若狭と京を結ぶ道である。 平成20年4月に訪問。 |
七里半越(西近江路) | 古代の北陸道で、敦賀から疋田で塩津街道と別れ、海津に至る道を七里半越という。 平成20年4月に訪問。 |
斑鳩の道 | 古代の斑鳩は当麻街道や筋違道との追分でもあり、交通の要路だった。 平成17年1月に訪問。 |
葛城古道 | 葛城地方は、四世紀の葛城王朝があったところで、高天原伝説などの舞台といわれる。 平成18年8月に訪問。 |
当尾の里・石仏の道 | 当尾の里に点在する石仏を探し、また、古刹に訪れた。 平成22年3月3日に歩いた。 |
多武峰への道 | 安倍文殊院から談山神社への道は多武峰(とうみね)への道である。 平成15年11月から数回に分けて訪れた。 |
柳生街道 | 柳生街道は、二刀流の宮本武蔵、荒木又右衛門など、著名な剣豪が通った道。 平成16年2月訪問。 |
山の辺の道 | 山の辺の道は 平成22年3月23日と平成23年3月31日の2回に分けて歩いた。 |
甲州街道 | 平成22年5月から甲州街道を歩き始めました。 のんびり時間をかけながら、歩いていこうと思っています。 |
北国街道(善光寺道) | 北国脇往還ともいい、中山道の追分と北陸道の高田を結ぶが、善光寺までを善光寺道ともいう。 |
伊奈街道 | 伊奈街道は古代の東山道がベースで、中山道塩尻宿で別れ、飯田藩の城下町を通り、根羽宿までの道。 |
大平街道 | 中山道の妻籠宿と伊奈街道の飯田宿を結ぶ道だが、今は通る人はほとんどいない。 平成17年7月訪問。 |
三州街道(中馬の道) | 中山道の脇往還として、塩尻から飯田に至り、その後、三河国足助宿を経由し、岡崎に至る道である。 |
権兵衛街道 | 中山道と伊奈街道を結ぶため、江戸時代に苦労して開設された道である。 平成15年10月訪問。 |
中山道 | 平成15年(2003)7月から平成18年(2006)11月まで歩きました |
秋葉街道 | 平成18年12月、平成21年8月〜9月伊奈街道の飯田宿追分を出発し、東海道の掛川宿まで行きました。 |
郡上街道 | 中山道加納宿から郡上八幡を経て、白鳥から越前大野に抜ける道が郡上街道である。 平成18年12月訪問 |
野麦街道 | 明治から昭和初期まで、高山から諏訪地方に出稼ぎにいった女工が通った道。 平成15年10月訪問 |
裏木曽街道 | 南北街道とも呼ばれ、国道256号、国道257号の中津川から下呂間を指し、尾張藩の木曽五木を産したところである。 平成17年12月訪問。 |
上街道 | 尾張藩が藩道として設置した名古屋城東大手門から中山道の伏見宿へ通じる街道で、木曽街道とも呼ばれたようである。 平成23年3月22日、28日、4月6日に歩いた。 |
下街道 | 尾張藩の名古屋宿と中山道の恵那宿の槇ヶ根追分を結ぶ街道で、主に信濃と尾張の交易の道として使われ、別名は善光寺道である。 平成23年1月から2月にかけて、4回に分けて歩いた。 |
稲置街道 | この街道は、尾張藩の付家老に任命された成瀬氏の居城である犬山と名古屋城を結んだ街道で、当時は稲置村だったことから 稲置街道と呼ばれたが、犬山城を結ぶことから犬山街道とも呼ばれた。 |
朝鮮人街道 | 野洲市にある中山道の追分から近江八幡、彦根を通り、中山道の鳥居本宿に至る中山道の脇往還で、 朝鮮通信使の来日の際、京から江戸への通行の際、使われたことからその名が付いた。 平成23年5月4日と5月15日の2回に分けて歩いた。 |
大山道(大山街道) | 大山道(おおやまみち)は大山街道とも呼ばれ、 江戸時代、関東各地から大山阿夫利神社への参詣者が通った古道の総称である。 代表的なものとしては田村通り大山道や青山通り大山道、矢倉沢往還があるが、 今はところどころに道標が残るだけになってしまった。 |
成田街道(佐倉道) | 成田街道は佐倉藩主が参勤交代で利用するために開設された佐倉道が成田詣での増加により成田まで延長された 街道である。 歌舞伎役者市川団十郎が成田山を信望したため、成田山への参拝者が急増した。 |
竹内街道 |
竹内(たけのうち)街道は飛鳥時代に京と難波津を結ぶ日本最初の官道といわれる道である。 その近くには中将姫伝説に有名な曼荼羅を祀る当麻寺がある。 平成26年1月20日訪問。 |
旧寺内町・今井町 |
今井町は奈良県樫原市にある伝統的建造物保存地区である。
今井町は寺内町という一向衆徒が寺を守るために環濠を造った城塞都市だった。 江戸時代に入り、商業都市として発展し、現在のような景観を造りだした。 平成26年1月20日訪問。 |
せせらぎ街道(清見街道) | せせらぎ街道は国道472号に付けられた愛称。 郡上八幡から高山に至る道で、江戸時代は郡上街道とか清見街道と呼ばれた。 |
しまなみ海道 | 江戸時代、北九州に向かう道として山陽道があったが、船便は物流だけでなく、旅行者にも利用された。 |
京 都 散 策 | 京都の名所をのんびり時間をかけながら、歩くと思い出に残りますね!! |
長崎ぶらぶら歩き | 長崎の名所をぶらぶら節ではないが、歩いてきた。 |
貴方は 目の訪問者です!!