これまでに訪れた伊勢街道と伊勢別街道の道中記である。
「 伊勢に行きたい 伊勢路がみたい。 たとえ一生に一度でも 」 と伊勢音頭にも歌われ、多くの人があこがれたお伊勢参り。
幕末近くにはおけら参りなどで五百万人もの人々が殺到したことでも有名である。
伊勢神宮への参拝道は、各地で伊勢参宮道とか、伊勢街道と呼ばれていたが、
それらの中で別格だったのが四日市の日永の追分から東海道と別れ、伊勢にいたる伊勢街道である。
また、東海道の関宿から別れ、伊勢に向かう道は伊勢別街道と呼ばれていた。
江戸時代には、外宮・内宮(両宮)参拝前に二見が浦で沐浴が行われた。
@日永追分〜神戸宿 | A 神戸宿〜白子宿 | B 白子宿〜上野宿 | C 上野宿〜津 宿 | D 津 宿〜雲出宿 | E 雲出宿〜松阪宿 | F 松阪宿 | G 松阪宿〜斎 宮 | H 斎 宮 〜小俣宿 | I 小俣宿〜伊勢神宮 | 伊勢別街道 | 二見浦・鳥 羽 |
平成二十一年二月十三日から三月七日までの間、数回に分けて、伊勢街道を歩いた。
上記@からIが伊勢街道の道中記である。
伊勢別街道は平成二十二年九月一日に、東海道の関宿から津市の江戸橋西詰にある追分まで歩いた。
江戸時代、伊勢神宮の禊場であった二見が浦には平成二十一年九月十七日に訪問した。