権兵衛街道とは、木曾谷の楢川村と伊奈谷の伊奈市を結ぶ街道である。
木曾地方には畑や田が少ないため、米が不足した分を伊奈地方からえていたが、
木曾谷と伊奈谷を結ぶ道が貧弱で、回り道をしていた。
地元の悲願に応え、5年かけて新道を開通したのが古畑権兵衛で、彼の名をつけて権兵衛街道と呼ばれている。
中山道の木曾路を歩いて、奈良井宿まで来たが、東側の伊奈谷に抜ける道がなかったことに気づいた。
木曾路と伊那路の間には木曽駒山系が横たわていて、
これを越さなければならないためである。
そのしたことから、木曽地方と伊奈地方との交流がないものと思っていたが、
奈良井宿を訪れて、伊奈との関係が分かった。
地元の方の話では、
「 木曾路観光はひと頃のブームが去り、
現在観光客の誘致が必須なのだが、目ぼしい温泉もなく、
高速道路からも離れているため、苦戦している。
また、地元に大きな病院がないため、非常時には塩尻まで行かなければならないため、
医療上からも心配である。
山を越えた伊奈市に簡単に行ければ高速道路もあり、東京から客を呼べるし、
大型病院もあるので安心できる。 」
というのだ。
実は、江戸時代にも同じような話があった。
「 江戸時代、木曾路は中山道の宿場として栄えたが、
両側が山の狭い谷に位置するため水田が少なく、米が不足し、
伊那からの米で補っていた。 しかし、米の調達にはコストがかかった。
伊奈と木曾を結ぶ鍋掛峠を越える道は、けもの道のように細いため、
米の輸送には使えず、南の妻籠から清内路峠を越えて飯田にでるか、
北の塩尻を経由して善知鳥峠から伊奈に入るしか方法がなかった。
木曽路の住民、特に木曽福島、奈良井や宮ノ越宿の人達は、
直接伊奈に抜けられる道の開通が悲願だった。
楢川村で運送業を営んでいた古畑権兵衛は、鍋掛峠越えの道の改修に着手し、
元禄九年(1696)、五年の歳月をかけて道を完成させた。
これにより、伊那地方から米や干し柿が運ばれ、木曽からは漆器や曲げ物細工が運ばれ、
両者の交流が進んだ。 多い日には千頭もの牛や馬が往来した。
開通された道は、彼の名前をとり、権兵衛街道、鍋掛峠は権兵衛峠と呼ばれた。 」
権兵衛さんは名無し権兵衛とか種まき権兵衛とか呼ばれて、馬鹿にされることが多いが、木曾楢川の権兵衛さんは権兵衛峠の歴史に名を残している。
明治以降の鉄道の開通や国道の整備により、伊奈谷との交流は少なくなったと思っていたが、上述したように、伊奈谷と木曽路との交流の必要性は失せていないことを知った。
現在の権兵衛街道はどうなっているのだろうか?
調べると、権兵衛街道は、国道361号となっていることが分かった。
「 国道361号は、岐阜県高山市を起点として、長野県高遠町に至る、
総延長約152qの幹線道路であるが、
権兵衛街道が通る木曽谷と伊那谷で挟まれた中央アルプスを結ぶ区間では、
国道の未接続区間が残り、その部分を林道で補っているため、道路が狭いうえ、
冬季(12月から4月)は通行不能になっている。
また、 木曽福島からきた国道361号は宮ノ越の先の姥神峠で分断され、
奈良井経由を余儀なくされていた。
平成十四年十二月に姥神峠トンネルが開通したことにより、
姥神峠での交通不能区間は解消したが、今も冬季に権兵衛峠を
越えることは不能である。 」
権兵衛さんが開発した道に興味を覚えて、紅葉のシーズンにも入っているので、
それの観賞も兼ね行ってみることにした。
奈良井宿を出ると鳥居トンネルの手前で左折し、国道19号とわかれて、
県道258号に入り、坂を登っていった。
しばらく行くと、奈良井ダムが右に見えてきた。
ダムの対岸の山並みは鳥居峠のある峠山の尾根続きだが、
紅葉に姿を変えてすばらしい風景だった。
奈良井ダム | 糠沢から見た峠山の尾根 |
更に進むと、右からの道と号流する三叉路で、その先に羽渕集落(楢川村)がある。
三叉路で右から合流してきた道は、国道361号の未開通区間であった姥神峠道路である。
「 過日、日義村宮ノ越から、下村集落、神谷集落を経て、 その先の姥神峠の下を貫通した、姥神峠トンネルが完成したことにより、県道258号は 国道361号につながったのである。 」
かっての権兵衛街道は、羽渕集落の西側から七曲りの道を上り、姥神峠を越え、
神谷集落へ下って行く道であるが、この細い道は車両通行不能である。
距離的には三キロか四キロか?
羽渕集落に入らず、更に進むと、番所トンネルがあり、
更に進むと、左側に工事事務所の建物があった。
権兵衛峠を貫通する./gonbe/04.jpgを行っているところである。
工事関係者の話では、
「 十年余の歳月を経て、昨年やっと伊奈側に貫通した。
平成十七年度の供用を目指して努力中。
権兵衛峠道路が開通すると、通年通行が可能となり、
塩尻市経由で一時間以上かかっている伊那市と木曽福島町
間が、三十分程度に短縮されることになる。 」
とのことだった。
トンネル工事現場 | <
工事事務所を左に見ながら、進んで行くと、ここから権兵衛峠までの道は七曲りの道であるが、比較的なだらかな、安心して走れるだけの道幅の道路が続いていた。
楢川村と南箕輪村との境にある権兵衛峠に到着した。
ここは、木曽地方と伊那地方の境ということになる。
比較的広い駐車場とトイレがあったので、車を停めて外にでた。
小さな案内板があり、旧権兵衛峠は駐車場から数百メートル離れた別なところにあることが分かったので、
稜線を歩くと、鉄塔の電線が雄大に伊那側に下って延びていた。
その先には、かすんでいるのではっきりはしないが、
南アルプスの山々と伊那市街が見えた。
旧道の権兵衛峠には石碑や看板が並んでいた。
その中に、街道を開削した古畑権兵衛の大きな石碑が立っていた。
また、分水嶺を示す石碑もあり、「右、天竜川水系北沢川」、「左、信濃川水系奈良井川」とあった。
旧権兵衛街道はここから伊奈側に真っ直ぐ下っていくことになると思われるので、伊奈側から峠を登ると、
かなりの急勾配を登るということになるのだろう。
権兵衛峠から見た伊那市街 | 黄 葉 |
駐車場に戻り、車に乗ったが、国道361号はここで終わりである。
峠から伊那側は国道361号の未開通部分である。
ここからは経ヶ岳林道を走る。
「 木曾谷と伊奈谷にまたがる 経ヶ岳をぐるーと回る、経ヶ岳林道を舗装して、これを国道の代用に使い、 伊奈市で国道と連結し、便宜上、国道361号としているが、実態は林道である。 」
経ヶ岳林道を少し走ると、展望所というところにでた。
右側に駐車場があり、そこには石碑があった。
また、左側の山肌には展望台があり、
天気がよければ南アルプスが一望できるところである。
下には伊奈市が鳥瞰できた。 走ってきて良かったのはここまでである。
林道だからしょうがないのだろうが、道の両側は雑木林で見晴らしが悪い。
それ以上に困るのは、道が1.5車線がやっとで、1車線のところもあり、
対向車の出現に気をつけながら走らないといけないことだ。 これには参った。
バイクには充分かも知れないが、乗用車には少し恐い道である。
途中に駐車できる場所もないので、後はひたすら下るだけだった。
そのまま、車を走らせていくと、経ヶ岳自然植物園付近を通り、
伊那市西箕輪の羽広(はびろ)の 「 みはらしの湯 」 の脇にでた。
これで、峠越えは終了である。
ガイドマップが路傍に建っていて、経ヶ岳自然植物園まで羽広自然遊歩道が設けられて
いるようである。
車を止め、湯に入りに行った。
温泉は最近できたものだが、神経を使って坂道を降り疲れたので、
一服するにはよいところにあった。
「 小生は、木曽側から入ったので、道には迷わなかったが、
伊奈側からだと、国道361号が途中でなくなってしまい、
経ヶ岳林道に入るまで迷子になるケースがあるようである。
この道を山岳ドライブと感違いするといけない。
周りは樹木ばかりに覆われているので、走っていてもそれ程楽しい道ではなく、
道は狭く、カーブの多いには神経を使うことになるからである。
そういう道ではあるが、紅葉時はけっこう美しく、ワイルドである。 」
平成十八年(2006)年二月、権兵衛峠道路が開通し、
三十分で木曽福島と伊那市が結ばれた。
木曽福島町は期待に満ちたコメントを新聞に出したが、
その後、首都圏からのお客が思惑通り来てくれただろうか?
開通した権兵衛峠道路は、羽渕トンネル、
番所トンネルを抜けると御岳神社があるところにでて、
そこからは経ヶ岳の下を掘った、長く続く権兵衛トンネルに入り、西箕輪に出ている。
その後、道なりに進むと、伊那市坂下の入舟交叉点で国道153号に出る。
この道を走ると、明治以前にこの峠を越えるため、
先人が苦労した過去は忘れ去られていくことだろう。
そういう意味では、国道開通前に権兵衛峠を越えたのは、
貴重な体験だったといえそうである。
私が走った道路は、権兵衛峠道路が開通したことにより、元の林道に戻ってしまい、
今のように整備されなくなることを危惧している。
旅をした日 平成15年(2003)10月
(修正、追補):平成22年3月