秋葉街道は、遠州街道ともいわれる道で、
三州街道との追分である飯田八幡宿(飯田市)を起点とし、
遠山郷を経て、秋葉神社に通じる道である。
江戸時代にはあきばみちと呼ばれ、明治に入ると秋葉街道となった。
民俗学の権威、柳田国男氏は、
「 中央構造線に沿って続く道はかなり古い時代からあったようであるが、
飯田から上村までの道は人工的に造られた。 」
と、いっている。
信州への塩の道は日本海側からと太平洋側からの道があるが、最終地は両方共諏訪であった。
太平洋側からの道は三州の塩を運んだ三州街道が有名であるが、遠州からの道の方が古いとされる。
この道は「遠信古道」と呼ばれ、
太古の昔、遠州相良の塩を黒曜石が採取される和田まで運び、
鏃(やじり)に使う黒曜石と物々交換したといわれる。
戦国時代には、地蔵峠で秋葉街道と杖突街道とがつながっていた関係から、
武田信玄は信州攻略の際、この道を棒道として活用している。
江戸後期になると、善光寺や伊勢神宮への参拝に火の神、
秋葉神社の参拝が加わり、
古来からの塩の道であると同時に秋葉神社の参拝に使われる信仰の道になっていった。
江戸後期になると、善光寺や秋葉神社への参拝者が増え、
その人々の往来が増えた。
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