『 秋葉街道を歩く I 森町宿〜掛川宿追分 』


岸井良衛の新修五街道細見では、

「 秋葉街道は東海道掛川宿のはずれの二瀬川が追分となり、 おいけ、森町、市のせ、三倉、いぬいを経て秋葉神社に通じていた。 
掛川から十一里のこの街道は表参道とも呼ばれたという。  」 とある。 

秋葉山は、火除けの神として江戸時代後期から明治までは多くの参拝者を集めたが、 秋葉講の衰退や交通の変化により、山道が主体の秋葉街道は人通りが途絶え、 道が消えた区間も多い。 
掛川〜森町の区間でも、掛川追分の先から十二所神社までは団地造成、 宇洞〜細谷間もゴルフ場工事で道は消えていった。 




森町宿から大池秋葉追分

平成二十三年(2011)九月二十五日、早朝から栄泉寺から森町まで歩き、掛川へ向かう。
現在十一時、森町の太田川に架かる森川橋を渡る。

橋を渡り終えたところに「報恩寺入口」の表示があるが、交叉点を右折して川沿いの道を行く。
道は下り坂になり、正面に天竜浜名湖鉄道のガードが見え、その上に一両の気動車が走っていた。 

気動車が通ったガードをくぐると戸綿交叉点がある。 交叉点を左折すると、天竜浜名湖鉄道の戸綿駅があった。

駅が高台にあるが、駅の出入口の道路の右側にある細い道に入る。
三叉路を左折するところに、例の 「←秋葉道・塩の道 」 の道標があった。 

静岡新聞発行の 「塩の道ウォーキング」 には、  「 塩の道は戸綿公会堂あたりの溝板を踏んで通る細い道が表示されている。 」 が、 右手の戸綿公会堂の道は確認しなかった・・・ 

山本自動車の脇を過ぎた三叉路に先程と同じ、 「秋葉道・塩の道」 の道標があった。

三叉路      戸綿駅      三叉路の道標
三叉路 戸綿駅 三叉路の道標


直進とあったので、くねくねした道を道なりに進むと、三叉路に出た。

秋葉街道はここで右折するが、左右の道はかなり広かった。 
手前右側の高くなっているところに、「←掛川市 塩の道 森町 森市街 →」  と書かれた大理石板の道標があった。 

碑の中央刻まれた文面
「 塩の道 − 静岡県の西部地域は古来遠州と呼ばれ、 昔の人々が塩や米などの生活必需品を運び、神社仏閣に詣でる道が各地にできていた。  この中でも、秋葉街道と重なる塩の道や太平洋岸の横須賀街道は、 東海道と海の東海道と交れる交流の道である。 」  

その奥の、更に高いところには 「秋葉山常夜燈」 が建っていた。
例の 「秋葉道・塩の道」 の道標は、その先の三叉路の電柱の下にあった。 

この道標で間違いないことを確認して、道なりに進むと、 その先の三叉路に「秋葉道・塩の道」 の道標がまた、あった。
左折すると左奥に 「森の茶 ムツミ茶農協」 と書かれた建物、 正面に小さな橋と県道が見えた。

石板の道標と常夜燈
     三叉路      三叉路の道標
三叉路 石板の道標と常夜燈 三叉路の道標


橋を渡り、県道を越えて、南戸綿集落に入った。 
左側に賀茂神社の入口があり、そこには 「県指定文化財 鰐口」 の説明板が建っていた。

説明板
「 賀茂神社の往古ははっきりしないが、応永二年十月再建され、 鰐口は文明(1487)正月、藤原通信が賀茂神社に奉納したものである。・・・(以下省略) 」 

神社まで行って、鰐口を確認はせず、そのまま進んだ。 

少し行くと上り坂になったが、右側にため池のような池(善正庵の池)があった。 
池のほとりに 秋葉道・塩の道踏査研究会が建てた例の 「秋葉道・塩の道」 の道標があった。

少し入ったところに「善正庵」の説明板があった。

説明板
「 善正庵は睦美南戸綿の小字名であり、屋号ともなっている。  また、同地にある池を善正庵の池という。 
その名の起こりについて、戸綿観白九峯伝記に  「 戸綿十六代九峯満教が七十二歳で法名を受けた。 」 ということに由来するといわれるが、 伝記の域は越えない。 」  

坂を上っていくと、右側に新東名高速道路の森・掛川ICの出入口が工事中だった。

鰐口の説明板      ため池      森・掛川ICの出入口
鰐口の説明板 善正庵の池 森・掛川ICの出入口


そこを過ぎると交叉点で、そこにも 「秋葉道・塩の道」 の道標があった。 
道標の指示に従い、ガードをくぐって進むと、信号のある交叉点に出た。

交叉点の先には 「車線減少」 の交通標識があるが、秋葉街道は直進する。 
左右の道は県道40号、小生が行く道も40号とあるので、この道が旧道だろう。 

道の先には新東名道路があり、その下をくぐると、「掛川市幡鎌」に地名が変わる。 
坂を下っていくと、天竜浜名湖鉄道の踏切が見えてきた。

踏切を越えると県道50号に合流するが、 手前の三叉路に 「秋葉道・塩の道」 の道標があるので、 右折して細い道を歩く。
民家が数軒あったが、その先は畑と茶畑だった。 

道脇の彼岸花には、あげは蝶が蜜を吸いに訪れていた。 
「秋葉道・塩の道」 の道標を見付け、それに従っていくと、 天竜浜名湖線の原田駅の脇に出た。

信号のある交叉点      踏切     原田駅
信号のある交叉点 踏切 原田駅


原田駅を見ながら進むと、少し急な坂になった。
森の中に入ると、上りきった右手に 社殿が見えた。
道の守り神といわれる猿田彦神社なので、中に入って行き、お参りをした。 

石段を下り、鳥居をくぐるともとの道に合流したが、そこには「塩の道」の道標があった。

「  戸綿の三叉路で見たのと同じ大理石板のもので、  「←菊川町 塩の道 掛川市 森町→」 と書かれていた。 」

その先の踏切を渡り、右折して進むと三叉路があり、 そこに 「秋葉道・塩の道」 の道標が建っていた。

猿田彦神社      鳥居と道標      三叉路の道標
(左奥)猿田彦神社 猿田彦神社鳥居と道標 三叉路の道標


道標に従い進むと、また、三叉路があり、 ここにも 「秋葉道・塩の道」 の道標が建っていた。 
この付近には地名の由来になった幡鎌氏が天文年間に築いた幡鎌城址があるようである。 

道標に従って進むと、原野谷川に架かる原谷橋を渡る。
原野谷川は思ったより川幅が広かった。 

橋を渡ると、掛川市本郷西地区。 
三叉路は右折して、狭い車道を歩く。
その先の右側の細い道に入ると、彼岸花が咲いていた。

この道は川に突き当たる手前で、左にカーブして続いている。 
道なりに行くと、突き当たりに 「秋葉道・塩の道」 の道標があった。

原谷橋      彼岸花が咲いていた      突き当たりに道標
原谷橋 彼岸花が咲いていた 突き当たりに道標


斜め左側にある道を行くと、また、「秋葉道・塩の道」 の道標があったので、 それに従って歩く。
道の両脇は家が建ち並んでいる路地裏の細い道である。 
秋葉街道はこのところで、左折しなければならなかったのだが、道標に気が付かず直進すると、 天竜浜名湖線の気動車が正面に現れた。

道を間違えたことに気が付かないので、そのまま歩くと車道にでた。 
右側に原谷駅があったので、少し変と思い、左折して県道に出た。

「 近くのコンビニで買物をしながら、秋葉道を聞くが、 地元民じゃないので分らないという。  コンビニ店員はよそからの通いだった。 」

十二時半だったので、買ったおにぎりを食べ、お茶を飲みながら、どうするかと思案!! 
引き返すしか方法はないと、気動車と出逢う前の路地裏まで戻る。

民家のフェンスに「秋葉道・塩の道 」の道標があった。
掛川方面からくると、この道標は一目だが、反対からくると、見えない位置にあったので、 通過してしまったという訳である。 この間、三十分程のロスをした。 

「 秋葉道・塩の道踏査研究会が建てた道標は、 塩の道の起点の相良町大原バス停から青崩峠に向って建っているが、 建っている位置は反対からくると見落とす場所であることがままあり、改善の余地がある。 」

道標の指示に従い進むと、公民館近くの車道に出た。
車道近くにも 「秋葉道・塩の道」の道標があった。 
道標に従い、細い道を少し行くと県道40号(県道掛川森線)の信号交叉点に出た。
交叉点の手前には 「役行者堂 三町」 と刻まれた石の道標があり、 県道を渡ったところには 「遠州役行者尊 曹洞宗安里山長福寺」 の看板があった。

気動車      道標を見つけた      車道にも道標
浜名湖線の気動車 道標を見つけた 車道にも道標


県道を越えると上り坂で、左側に 「←森町 塩の道掛川 菊川町→」 の 大理石板の道標と石碑があった。
石碑は古く、読みづらくなっているが、 「右あきばみち」 と書いてあるようである。 

その先の交叉点で左折すると、左側の小高いところに秋葉常夜燈のお堂があった。
このあたりは長福寺の境内で、江戸時代には秋葉道はこのあたりを通っていたのだろうと思った。 

その先に長福寺の三門があり、三門前の左側には馬頭観音、聖徳太子堂や六地蔵などが祀られていた。

寺の歴史は次のようである。 
「 長福寺は、神亀三年(726)に行基菩薩が開創したといわれる古刹で、 五智如来を安置する真言宗の寺だったが、元慶八年(883)に天台宗に改宗し、 遠江国を二分する勢力を有した。 
宝治二年(1248)には、工藤信濃守祐光が遠江国を所領し、この寺を菩提寺とした。 
明応三年(1494)、伊勢新九郎長氏の放火により、伽藍は焼失したが、 松堂高盛禅師を招き、遠州太守頼景の寄進により再建され、以後は曹洞宗に改宗され現在に至る。 」

遠州太守頼景とは原頼景のことだろう。  

塩の道道標      秋葉常夜燈      長福寺の三門
塩の道道標 秋葉常夜燈 長福寺の三門


石段の右側には地蔵堂があり、  「 1824年に建立された石仏は延命子安地蔵として信仰を集めている。 」 と書かれていた。
その近くに、「曽我兄弟供養塔」 が建っていた。

「  曽我兄弟とは、曽我祐成と時致のことで、父の仇である工藤祐経を富士の裾野で討ったことで有名。  仇討後、曽我祐成はその場で殺されたが、曽我五郎時致は捕えられ、頼朝の所に連れて行かれたが、その後、殺された。 
工藤祐経の庶子は祐時、その子が祐光なので、工藤祐光は祐経の孫になる。
工藤祐光は日向に下って土着したという説と、奥州に下り津軽に土着したという説があるが、 はっきりしない。 」

「 宝治二年(1248)、工藤祐光が遠江国を所領し、この寺を菩提寺とした。 」 という話も、 史実的にははっきりしない。  まして、 「 祐光が仇討ち成就の後、捕らえられ殺された五郎を哀れに思い、 五郎時致の供養塔を建てた。  」 と伝えられる話は後世の作ではないだろうか? 

本堂は寛廷四年(1751)の再建で、昭和五十八年に大改修を行ったという建物である。
また、行基菩薩を祀る役行者堂は本堂の裏山の頂にあるが、そこまではいかなかった。 

秋葉街道は三叉路まで戻り、反対の細い道を行く。 
道は少し上りになるが、周囲には民家が点在していた。
上りきった所には 「秋葉道・塩の道」 の道標があるので、それに従って進む。

「 秋葉街道はこの先、右に左に道を変えながら進むが、 要所に 「秋葉道・塩の道」の道標があるので、迷わずにいける。 」

曽我兄弟供養塔      長福寺本堂      上りきった所に道標
曽我兄弟供養塔 長福寺本堂 上りきった所に道標


車が走る道で、右に大きく曲がるゆるい上り坂で、 用水の脇に 「秋葉道・塩の道」 の道標があった。

その先の細い道を抜けると、 「秋葉道・塩の道」 の道標があった。
指示に従い左折して進むと、右側は田圃で、左側には本村産業などの建物がある。
その先の左右の道は県道81号(原谷倉真線)であるが、 横断してその先の細い道を進む。 

その先にある三叉路は直進し、小さな用水路のあるところに 「秋葉道・塩の道」 の道標があった。

左折して用水脇の狭い道を進むと、用水脇を覆うフェンスがある先で車道に出た。
用水の脇はゴミ集積所で、進むことができない。
この後、用水脇の道を見付けて進んだが、 すぐに愛川モータースや理容店のある県道40号に出てしまった。 

用水脇に道標
     小さな用水路      ゴミ集積所
用水脇に道標 小さな用水路 ゴミ集積所


七分程県道を歩くと、左側の狭い道に入る。
これが秋葉街道である。

車が一台程度しか通れない道はその先で右折して進むと、右手に若一王子神社がある。 

「  秋葉街道は、ここを左折して高藤城(殿谷城)跡の下をいく道だったが、 静岡よみうりゴルフ場の造成でなくなったという。 」

しかたがないので、この道を道なりに進む。
道は少しカーブしながら県道40号に向って進み、県道の手前の車道にでた。

左折して車道に入り歩いていくと、ゴルフ場をまたぐように宇洞トンネルがあった。

秋葉街道
     県道手前の車道      宇洞トンネル
秋葉街道 県道手前の車道 宇洞トンネル


宇洞トンネルをくぐると宇洞集落で、秋葉街道の静岡よみうりゴルフ場で消えた道が復活する。 

集落の中を進むと左側の民家の脇に、 木製のお堂と  「←森町 塩の道掛川 菊川町→」 と書かれた、 長福寺境内で見たのと同じ道標(塩の道モニュメント)が建っていた。
お堂の 標札には 「家代秋葉燈籠鞘堂再建」 とあり、中を覗くと鉄製の火袋が入っていた。 
街道にあった秋葉山常夜燈が朽ちていたのを地元の方々が再建したようである。 
その隣に馬頭観音像と思える石像が祀られていた。 

少し行くと左側に 「冷陽山福来寺」 の石標と小さな石仏が祀られていた。
福来寺は二百年前に建立されたと伝えられる、曹洞宗の寺である。 

秋葉街道は三叉路で右折して細い道を進むのだが、小生は直進してしまう。 
その先の左手には神明神社の参道があった。

「  この後、交叉点を右折し、江津集落に入り、三叉路を右折するとみね薬師本尊があり、直進して進んだ。
しかし、どうも違うと思い引き返したが、その間、二十分以上ロスをした。 」

家代秋葉燈籠鞘堂と道標      福来寺石標      神明神社参道
家代秋葉燈籠鞘堂 福来寺石標と石仏 神明神社参道


桜木保育園を左に見て進み、家代川に架かる江津橋を渡る。
渡ると右折して川沿いに南に進む。
家代南公会堂を過ぎた三叉路を左折して、川と別れて東進し、 突き当たりを右折して進む。 
左側の工務店の脇に、秋葉山常夜燈の御堂がある。
御堂に立て懸けたように 「あきばみち」 の石の道標があったので、 掛川宿の追分から二里なのかと思った。 
その先の「一時停止」の標識がある交叉点の右側に石彫りの小さな六地蔵が祀られていた。
掛川からくると見落としてしまうかもしれない。 

左側の川は垂木川で、彼岸花がきれいに咲き乱れていた。

秋葉山常夜燈
     小さな六地蔵      垂木川
秋葉山常夜燈 小さな六地蔵 垂木川


百五十メートル程行くと小津根橋がある。
橋のたもとに 「秋葉道・塩の道」 の道標が建っていた。 
宇洞トンネルの手前で見て以来だったが、ここまでにもあったのを見落としていたのかもしれない。

橋を渡ったところにも 「秋葉道・塩の道」 の道標があった。
道標に従い、右折して川に沿っていくと集落に入る。
集落を少しいくと、 「以志ばし」 と書かれた橋のところに出た。

「秋葉道・塩の道」 の道標に従って進むと金属製の変わった秋葉山常夜燈があった。 
その先で右斜めに行くとガードレールに 「秋葉道・塩の道」 の道標が付いていた。

小津根橋      以志ばし      ガードレールに道標
小津根橋 以志ばし ガードレールに道標


道標の指示に従い、住宅が建つ狭い道に入っていった。
このあたりは掛川市のベットタウンになっているのだろう。 

家が立ち並ぶ中を歩いて行くと、前方に小山が見えてきた。 
小山の手前の三叉路に突き当った右側に 「秋葉道・塩の道」 の道標があり、 秋葉街道は左折とあった。

左折すると右側に塩の道モニュメントである  「←森町 塩の道掛川 菊川町→」  の道標が建っていた。
道標を右折すると高いところにある十二所神社に行くが、十二所神社には寄らずそのまま進む。
十二所神社のある小山には円墳があるというので、このあたりは古い土地柄なのだろうと思った。 

狭い道に入る      小山      塩の道道標
狭い道に入る 小山の前で左折 塩の道道標


直進すると、「秋葉道・塩の道」 の道標があり、道はアパートの脇の細い道になる。 
この道は県道40号の新田バス停、丸堀製茶新田冷凍倉庫のところに出た。

「  江戸時代の秋葉街道は県道を横断し、秋葉道団地に向い、団地を巻いて、国道1号線掛川バイパスに出て、 国道を横切り南下して大池橋に向うルートだったが、今はその道は残っていない。 
わずかに地名に「秋葉路」という名で残るだけである。 」

旧秋葉街道は残っていないので、県道を大池橋に向って南下する。
両側が山のようになって迫ってきたところは、 「新田の切通し」 といわれるところで、 前方に大池IC北交叉点が見えてきた。

大池IC北交叉点の左手にコンクリート製の秋葉常夜燈が建っていた。
脇には 「この先 掛川市秋葉路」 の石標が建てられているが、 前述の秋葉街道への入口だったことを伝えている検証碑のように思えた。 

新田バス停      新田の切通し      秋葉常夜燈
新田バス停 新田の切通し 秋葉常夜燈


その先には国道1号線掛川バイパスをガードでくぐる大池交叉点があった。 
大池交叉点を越えると左に入る生活道路があるので、県道と別れて右にカーブする道に入った。 
その先にの左側に桜木入口バス停があり、 右側には 「←森町 塩の道掛川 菊川町→」 の道標(塩の道モニュメント)が建っていた。

少し歩くと鳥居町バス停があるが、その手前の交叉点を左折し、 北に向う狭い道が江戸時代の秋葉街道である。 

「  江戸時代の秋葉街道は、掛川バイパスと秋葉路団地の造成で道が消滅したので、 代わりの道を歩いてきたが、ここからは秋葉街道を歩く。 」

少し歩くと左側に鳥居と小さな社殿がある。
社殿は秋葉山遥拝所と呼ばれるもので、社殿の前には 「正一位秋葉神社道」 と書かれた石標が建っていた。

「  江戸時代、東海道の旅人で秋葉山に参拝できない人が、ここで祈れるように設けられた施設である。 
江戸時代、掛川宿からきた旅人は大池橋を渡ると、正面に赤銅製の鳥居があり、 両側に常夜燈があり、秋葉神社の分社があり、秋葉街道の入口であることを示していた。  鳥居は嘉永の大地震で壊れて、その後は木製に替えられた、という。 」

小生も東海道を江戸日本橋から京三条大橋まで歩いた時、 ここに立ち寄って旅の安全を願ったことを思い出したが、当時の建物と違う風景では? と思った。 
自宅に帰り、その時の写真を見るとすっかり建て替えられていた。 

「 小生が以前見た鳥居は赤いもので、今は最近作成されたもの。  以前の社殿も嘉永の大地震後に建てられたもので、 社殿の中には嘉永の大地震前の幣額が入れられていたが、新しい社殿にはそうした説明もないので、 入ってはいないのだろう。  残っていた常夜燈もなく、小さな石碑のみ建っていた。 」

十メートル程歩くと、五差路の大池橋交叉点に出た。
掛川宿に入るには交叉点の左側にある大池橋を渡る。 
ここは東海道と秋葉街道の追分である。 
東海道は交叉点を右折し、倉真川に沿って南下するのが浜松方面である。 

中山道の飯田宿の追分から始まった小生の秋葉街道の旅はここで終了である。 

桜木入口バス停      秋葉山遥拝所      大池橋交叉点
桜木入口バス停 秋葉山遥拝所 大池橋交叉点


「 秋葉街道はこれまで歩いた街道と違い、江戸時代でも交通の難路だった。 
小川峠〜上村宿、そして、水窪宿〜秋葉神社上宮の区間では道がなくなっていたり、 交通手段がないなどから違う道を通ったり、自動車を利用したりしたが、 一人で旅するにはやむをえないことだろう。 
また、秋葉路を歩くという人には巡り合うことがなかった。  
案内標識もない所が多く、秋葉道・塩の道踏査研究会の設置した 「←秋葉道・塩の道 →」  の道標が頼りだが、建てられている方向や数に問題があり、 一箇所見落とすと迷子になるという問題もあった。 
今後歩かれる方は、山歩きの感覚で訪れられた方がよいように思う。 
最近ツアー会社が塩の道のスタート地点から日本海までの旅を企画し、募集したりしているが、 ガイドが付いているので、ツアーに参加すれば小生のように迷子にならないですむ。 」




掛川宿

秋葉街道の旅は終了したので、塩の道を歩き、掛川駅まで行く。
江戸時代の大池橋は、長さ二十九間(約52m) 、幅三間(5.7m)の土橋だったという。 
大池橋のたもとには 白い石の「秋葉道・塩の道」 の道標が建っていた。

「 岸井良衛の新修「五街道細見」には大池橋ではなく、ふたせ橋とあり、 掛川宿に入るには二タ瀬川を渡ると記されている。 
塩の道は掛川宿のはずれまでは東海道と同じ道を歩く。 
掛川からは陣場峠を越え、菊川市に入り、応声教院前を通り、小笠町に入り、 最終は牧の原市の相良町がゴール(塩の道の起点)である。  」

大池橋を渡ると倉真川の土手に沿った遊歩道のような道を進むが、土手からの眺めはなかなかよい。 
この先、旧国道1号線の二瀬川交叉点に出た。

右折して逆川を渡ると、江戸時代は掛川宿だった。 ここには「掛川駅まで2km 」  の標識があった。 
少し先で東海道を浜松宿から歩いてきたという人に逢った。 

「  四十代と思えたが、一日三十キロ〜四十キロ位歩いてきたという。  会社務めの合間というからなかなか時間がとれず、景色を楽しむより、 歩いた距離に満足するタイプである。  小生は近くに名所があれば寄り道して、その歴史に触れるのを生きがいにしてきたが、 それぞれの楽しみで街道歩きを楽しめばよいのではないか? 」

その先の左側に 「医王山東光寺」 という日蓮宗のお寺がある。
その境内に平将門の首を祀るという塚があり、地名は十九首である。 
彼とはこの首塚の入口で別れた。 

「 平将門の乱を平定した藤原秀郷は、 将門ら十九人の首級をもって、東海道を上るが、朝廷の派遣した勅使がこの地で首実検を行い、 賊徒の首を都に近づけてはならない 、という朝廷の命令を伝えたので、 秀郷はその首をこの地に埋葬し、十九基の塚を作った、というものである。  」 

大池橋道標
     逆川を渡る      医王山東光寺
大池橋道標 逆川橋 医王山東光寺


県道37号を東に向うと、左側にある円満寺の山門は、「掛川城蕗の門」と言われるものである。 

「 掛川城の内堀(蓮池)のほとりに建てられていた四脚門である。
大手門、仁藤門などと二の丸につながる道筋にあったので、小さいが重要な門だった。 
明治五年(1872)にここに移された際、柱の下を二尺五寸(約76cm)切り取って山門にした、 と伝えられる。 」

その先は中町商店街で、交差点角の清水銀行掛川支店は民家のような造りで、 袖看板も江戸風である。
中町交叉点を左折すると掛川城公園に出る。 

「 掛川城は、天正十八年(1590)、山内一豊が朝比奈泰煕が築いた城を拡張し、 石垣、瓦葺の建築物、天守など、近世城郭に改装した城である。 
現在の天守は、平成六年(1994)四月に再建したものである。  」

十六時十五分、天浜線掛川駅に到着した。 
車を天浜線遠州森駅に置いてきたので、心は急ぐがダイヤは無情でかなり待った後、 森町で車までたどり着いたのは周りが暗くなる十七時半を過ぎていた。 

掛川城蕗の門
     清水銀行掛川支店      掛川城と桜      掛川城天守
掛川城蕗の門 掛川城蕗の門 掛川城と桜 掛川城天守


旅をした日     平成23年(2011)9月25日



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かうんたぁ。