飛鳥時代に誕生した山陰道は、 飛鳥と山陰道諸国の国府を結ぶ官道であり、
七道の中で、 小路 とされた。
江戸時代になって誕生した山陰街道 (丹波街道) は、 古代の山陰道と異り、
京都から丹波を通過し、 周防国に至る道になった。
現在の国道9号は、 ほぼ古代の山陰道を継承しているが、 異なる点が幾つかある。
国道9号は、益田から先は 萩を経由するルートではなく、
山口線に沿って、津和野 ・ 山口を経由するルートとなっている。
これは江戸時代の街道に由来する。
安来市を抜けると、 東出雲町揖屋 (いや) に入る。
東出雲町は、平成の合併で松江市に編入され、松江市東出雲町という地名に変わったので、
現在は 松江市東出雲町揖屋である。
「
揖屋は、 古くから中海の漁獲物を原料とした、
直径7〜8cm、長さは70cmもある、豪快な 「野焼きかまぼこ」 が知られて、
昭和三十年頃までは、ここで出来た野焼きかまぼこを毎日百人程の人が、
岡山や広島まで売り歩いたといわれる。
なお、 揖屋の揖の字は、左右の手を胸の前で上下、左右にさせて礼をする意である。 」
古事記では、この地に、 黄泉へと通じる道の 黄泉比良坂(よもつひらさか)
があったとされ、この世と黄泉の国の境である。
国道9号線平賀交叉点には、「黄泉比良坂右折700m」 の標識があるので、
指示通り進み、鉄道踏切を越えると、駐車場がある。
ここには、「 黄泉良比坂 伊賦夜坂 今、出雲国伊賦夜坂と謂う故に其の謂はゆる黄泉良比坂は 」 という看板がある。
看板の文字
「
女優北川景子さんが主演を務めた映画「瞬」(またたき)」のロケ地である。
亡くなった恋人にもう一度会いたいと訪れる場所、生と死の境とされるこの坂で、
映画のラストシーンを飾る大事なシーンが撮影された。
「 神代の時代、伊邪那岐命 (イザサキノミコト) は、
先立たれた最愛の妻 ・ 伊邪那美命 (イザナミノミコト) にもう一度逢いたいと、
黄泉の国へと旅立ちます。
古事記では、この黄泉の国(あの世)と、現世(この世)との境が黄泉良比坂であり、
現在の松江市東出雲町にあるこの場所、 伊賦夜坂(いふやさか) である、とされている。
昼間もひんやりとした冷気に包まれるこの神秘的なスポットとして、
「 逢いたい人にもう一度逢える場所 」 として
、ひっそり佇んでいる。 」
黄泉良比坂は、古事記に登場する坂で、 伊邪那岐命が黄泉国から還ろうとした時、
追って来る悪霊邪鬼を桃子(もものみ)で撃退した坂で、大穴牟遅神(おおあなむじのかみ)、
後の大国主神が黄泉の国で、 須佐之男神の課す様々な試練を克服し、
妻の須勢理昆売 (すせりひめ) と共に還ろうとしたとき、
須佐之男神が追い至って、 大国主神の名を与え 、国造りを許したのも、 この坂である。
その場所については、 「 故(かれ)其のいわいる黄泉良比坂は、
今の出雲国の伊賦夜坂と謂うなり 」 と記している。
昭和に建てられた石碑の西方の山道が、この伊賦夜坂といわれていて、
途中に、塞(さえ)の神が祀られている。
日本書紀に、伊弉諾尊が伊賦夜坂で、 「 ここから入って来てはならぬ 」
と言って投げた杖から出現した神であると記されている。
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| 「黄泉良比坂 伊賦夜坂」看板 | 伊賦夜坂 | 塞の神付近 |
国道9号線と交叉する旧道(県道191号)を行くと、 JR揖屋駅の手前に、揖夜神社 (いやじんじゃ) の石柱と鳥居があり、 出雲街道の説明がある。
説明板
「 鳥居の前は、出雲大社から姫路に至る約二百三十五キロの出雲街道が通り、
江戸時代には、東出雲の行商人が中海でとれた海の幸、豊かな山の幸を天秤でかついて、
この街道を行き来していた。 」
揖夜神社は八重垣神社、熊野大社などと共に、意宇六社の一つに数えられる神社である。
祭神が、 伊弉諾尊(イザサキノミコト) と、国造りをした伊弉冉尊 (イザナミノミコト)
という女神であることから、 働く女性のパワースポットといわれる。
「 出雲国風土記には、伊布夜(いふや)社 と記される古社で、
日本書記の斉明天皇五年(659)の条に、
「 言屋(いふや)社 」 として、 出雲大社の創建にかかわった社として記され、
古事記では、 黄泉国の入口、黄泉良比坂は伊布夜坂と表現され、
黄泉の世界と関係の深い神社として、中央でも重視された神社だった。
平安時代末から南北朝時代まで、荘官として派遣されていた大宅氏が、
「別火」 と呼ばれた神職に就き、当社を支配。
室町時代以降は出雲国造の命を受けて、神魂神社の神職の秋上氏が神主を兼任していた。
江戸時代には井上氏が別火となり、 今日に至る。
現在も造営にあたっては、出雲国造家から奉幣を受けるという。
武将の崇敬が篤く、 大内義隆が太刀と神馬を寄進、 尼子晴久が百貫の土地を寄進、
天正十一年(1583) 毛利元秋が社殿を造営、 堀尾吉晴は元和元年(1615) 社殿を再建、
京極忠高は、寛永十四年(1637) 社殿の修復を行っている。
松平氏になってからは、社殿の営繕は松江藩作事方が行ったという。 」
鳥居の先には 神門(随神門)があり、 その先には狛犬や背の高い常夜燈がある。
その先の左側に社務所があり、その先の右手に、天満宮、恵比須社、その奥に荒神社がある。
揖夜神社の拝殿と本殿は左側にあり、 本殿の右側には大きな社殿の三穂津姫神社、
左側には小さな祠の韓国伊太氏神社が祀られている。
拝殿と本殿は大社造りであるが、神座は出雲大社とは反対で、
左から右に向かっているのが特徴である。
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| 神門(随神門) | 揖夜神社拝殿 | 韓国伊太氏神社、 (奥)揖夜神社本殿 |
JR山陰線の揖屋駅前のロータリーに、歌舞伎の名女形 ・ 女寅 (めとら) はん の像がある。
旧道はその先に三菱農機の前身・佐藤造機の創始者・佐藤忠次郎記念館がある。
その先に 「出雲街道追分」 の道標がある。
右側に 大内神社がある。
「 大内義隆の養子 ・ 大内晴持がここで死んだのを祀った神社である。
天文十一年(1542)、大内氏が毛利氏に味方をして、出雲を統治していた尼子氏攻略に出向いたが、反撃に遭い、総崩れになり、落ち延びてきた若大将の大内晴持が、ここで落命した。 」
JRの踏切を渡ると、 出雲郷宿(あたがえしゅく) に入る。
出雲郷公民館があるが、 このあたりが宿場があったところである。
古い建物はなく、新しい建物が多い。
出雲郷宿のはずれに、阿太加夜神社(あだかやじんじゃ)がある。
「 出雲風土記にでてくる神社で、祭神は阿太加夜怒志多伎吉日女である。
出雲郷(あたがえ)の地名は、ここからのようである。 」
民家の前に、 「出雲郷」 の道標があり、「右 松江マデ 二里七丁 」、
「左 安来マデ 三里四丁 」 とある。
意宇川(いうかわ)に架かる出雲郷橋を渡ると、松江市東松江になる。
「 意宇川は、
出雲風土記の国引物語の 八束水臣津命 (やつかみずおみつぬのみこと) がこの上流で、
「 今は国引きおえつ 」 と杖を突き、 「 意宇 (おえ) !! 」 と云ったことによる。
意宇(おえ)!!とは、 仕事が終り、 休憩に入る時の発した言葉である。 」
旅した日 平成二十八年(2016)十月二十六日