日御碕神社は、 島根半島の両端の出雲市日御碕に鎮座する神社である。
「
日御碕神社が所在する日御碕の浦は、 出雲風土記に、
「 御前浜(みさきのはま) 広さ百二十歩あり。 百姓(おおみたから)の家あり。 」 と記載のある御前浜にあたる、と思われる。
百姓の日御碕の海子(あま) が 採集する鮑は、 名品だったという。
風土記には、日御碕神社の祖形とされる、 美佐伎社・御前社・百枝槐社が
記載されている。
美佐伎社が、 素盞嗚尊を祭る上の社(神の宮)で、
元は経島(ふみしま)にあったと思われる。
百枝槐社は、天照大神を祭神とする下の社(日沈宮)とされる。
御前社は不明である。
伊勢神宮は、日の本の昼を守り、
日御碕大神宮は、日の本の夜を守るという伝承がある。
日御碕大神宮には、夜を治める神 ・ 月夜見命(つきよみのみこと) が鎮座している。 、
」
駐車場の脇には祖霊社があり、その先を進むと、大きな鳥居が建っている。
「 楼門が見るところに、御影石製の鳥居がある。
寛永十六年(1639)に、 三代将軍 ・ 徳川家光による寄進である。
参道入口の宇龍にあったものを、昭和十年(1935)に現在地に遷された。 」
参道を進むと、目を見張るほど赤い大きな楼門と廻廊が建っている。
「 徳川第三代将軍 ・ 徳川家光の命令により、 幕府直轄で工事が行われ、完成したもので、 国の重要文化財に指定されている。 」
楼門の中には大きな狛犬が左右に分れて安置されている。
木製はめずらしいと思った。
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「日御碕神社の由来」 と書かれた説明板がある。
説明板「日御碕神社の由来」
「 古来、両本社を総称して、 日御碕大神宮 と称する。
日沈の宮(ひしずみのみや) は、 神代の昔、
素盞嗚尊の御子神 ・ 天葦根命又 (天冬衣命と申す宮司家の遠祖) が、
現在地に程近い 経島(ふみしま) に、 天照大御神の御神託を受け、祀り給うと、伝えられる。
また、 日出る所 伊勢国五十鈴川の川上に、 伊勢大神宮を鎮め祀り、 日の本の昼を守り、
出雲国日御碕の清江の浜に 日沈の宮を建て、 日御碕大神宮と称して、
日の本の夜を護らむ。
天平七年乙亥の勅に輝く日の大神の御霊顕が仰がれる如く、 古来、
日御碕は夕日に餞け鎮める霊域とされ、
また、 素盞嗚尊は、出雲の国土開発の始めとされた大神と称えられ、
日御碕の隠ヶ丘は、 素尊の神の神魂の鎮めた霊地と崇められた。
神の宮は素尊の神魂鎮まる霊地と崇められた。
神の宮は素尊の神の神魂の鎮める日本総本宮として、日沈の宮と共に
出雲の国の大霊験所として、皇室を始め、普く天下の尊崇を受け、現在に至っている。 」
楼門をくぐると、右手に回廊があるので、上っていくと、 上の宮(神の宮) の拝殿がある。
「 上の宮 (神の宮) の祭神は、素盞嗚尊である。
今から二千五百年以前の安寧天皇十三年に勅令により、現在地に移された。
社殿は、徳川第三代将軍 ・ 徳川家光により寄進された、 総権現造である。 」
下に降りると、楼門の先に、 日沈の宮 (ひしずみのみや) の拝殿と本殿がある。
「 下の宮 の 日沈の宮 の祭神は、 天照大御神である。
下の宮は、今から千百年前の天暦二年(948)に、 村上天皇の勅令により、
現在地に移された。
下の宮も上の宮も、社殿は、 徳川第三代将軍 ・ 徳川家光による寄進で、
西日本に例を見ない総権現造の豪華な建物である。
徳川家光の命令により、 幕府直轄で工事が行われ、 寛永十一年から工事を始め、
十年の歳月をかけ、 寛永二十一年に竣工した。
内陣の壁面装飾は、極彩色で華麗にして荘厳である。
また、柱や欄間の彫刻は見事というほかはない。 」
楼門に入り、社殿の左右にあるのは、 門客人社 (かどまろうどしゃ) である。
「 右側(南)の社には、豊磐間戸神、
左の社には 櫛磐間戸神が祀られている。
両社とも、一間社入母屋造、向拝一間、檜皮葺である。 」
日御碕神社の建物や鳥居等は、ほぼ全て、 国の重要文化財に指定されている。
「
日沈の宮(下の宮) の 本殿・幣殿・拝殿(合1棟)、玉垣・禊所・廻廊・楼門・門客人社、
そして、 上の宮(神の宮) の 本殿幣殿・拝殿(合1棟)、玉垣・宝庫・鳥居(2基)
その他、 国宝の 白糸威鎧 (しろいとおどしよろい) 兜 ・
大袖付 - 鎌倉時代(塩冶高貞寄進)や、
重要文化財の 藍韋威腹巻(あいかわおどしはらまき) - 南北朝時代(名和長年寄進)
が所蔵されている。 」
日御碕神社社家の小野家は、 戦前は出雲大社の千家 ・ 北島両家や、 石見一ノ宮 の 物部神社社家 の 金子家 と並び、 全国十四社家の社家華族(男爵) の一つに列する格式を有していたという。
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