「 出雲大社と出雲の神々 」 探訪記 (続き)

( 出雲の神社めぐり )

かうんたぁ。

 



◎ 八重垣神社 (やえがきじんじゃ)

八重垣神社は、 松江市佐草町に鎮座する神社で、意宇六社の一つで、 縁結びの神社として有名である。 
平成二十八年(2016)十月二十六日、八重垣神社へ御参りに、行った。

説明板「八重垣神社由来」
「 八重垣神社は、 八岐大蛇退治ゆかりの神社です。 
縁結びで名高いこの神社の鏡の池は、 稲田姫が飲料水を得また姿を写されたところと、云われています。 
早く出雲八重垣に縁を結が願いたい という歌は、 出雲において、最も古い民謡で、 御祭神も、 八岐大蛇を退治し、高天原第一の英雄素戔鳴尊と、  国の乙女の花とうたわれた稲田姫の御夫婦がおまつりしてあります。 
素戔鳴尊が、 八岐大蛇を御退治になる際、 斐の川上から七里を離れた佐久佐女の森(奥の院)が、安全な場所であるとしてえらび、 大杉を中心に、八重垣を造って、姫をお隠しなさいました。 
そして、大蛇を退治して、 「 八重立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣渡る その八重垣を 」 という喜びの歌い、  両親の許しを得て、  「 いざさらば いざさらば 連れて帰らむ 佐草の郷に 」 という、出雲神楽にもある通り、  この佐草の地に宮造りをして、御夫婦の宮居とされ、縁結びの道をひらき、 掠奪結婚から正式結婚の範を示し、 出雲の縁結びの大神として、又、家庭和合、子孫繁栄、安産災難除、和歌の祖神として、 古来、朝廷・国司・藩主の崇敬が厚く、御神徳高い神国出雲の古社であり、  名社であります。   」  

大鳥居の道の反対には、 大きな夫婦椿・蓮理玉椿がある。
鳥居をくぐると、立派な随神門がある。 
その間の右側にあるのが、上述の 「八重垣神社由来」 という立派な説明板である。

上記の説明板は、八重垣神社を分りやすく説明しているが、  社伝によると、今日に至るまでにいくつかの変遷がある。 

「八重垣神社社伝」
「 八重垣神社は、素盞嗚尊と櫛稲田姫を主祭神とし、 大己貴命、および、出雲国風土記 の意宇郡大草郷条で 須佐乎命の子として記載される、青幡佐久佐日古命 (あおはたさくさひこのみこと)  を配祀する神社である。  
素盞嗚尊が、八岐大蛇を退治した後、 八岐大蛇への生贄となった櫛稲田姫命と、須賀の宮にて、結ばれた。 
後、 佐草里八雲床に 宮を構えて、須賀の宮からお移りになり、   「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」 とお歌いになった。  
神社の創建時期は不詳だが、 須賀 (現在の雲南市大東町須賀) の地に、須我神社が創建され、 後に、 青幡佐久佐日古命が祀られる佐久佐神社の境内に遷座した。
当地は、 意宇郡大草郷の西端に位置し、 近世までは 佐草村 と呼ばれていた。  出雲国風土記には、 素盞鳴尊の御子 ・ 青幡佐久佐日古命が坐した地 とあり、 延喜式神名帳に、 式内社 ・ 佐久佐神社 という名前は記載されているが、 当社の他、 同市大草町の六所神社も論社となっている。 
社伝によると 「 佐久佐神社は、仁寿元年(851)に従五位、 貞観七年(865)に 従五位上、 貞観十三年に 正五位下、 元慶二年(878)に 正五位上 の神階を授かった。   佐草氏が神職として奉仕し、 近世には  八重垣大明神 と称された。
明治五年(1872)、本社と末社を入れ替え、社号を佐久佐神社とし、  主祭神も青幡佐久佐日古命とし、 郷社に列せられた。  
明治九年(1876)に県社に昇格したが、 八重垣の社号を捨て切れず、 明治十一年(1878)に八重垣神社に改称。 
昭和五十六年(1981)、神社本庁の別表神社に加列された。 」

随神門をくぐると、一対の狛犬がある。
たてがみに特徴があり、 日本の神社に狛犬が登場した初期ごろのものではないかといわれる。 
右手に社務所があり、正面に拝殿が見える。 
「 八重立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣渡る その八重垣を 」 と、刻まれた石碑は、 本殿の左手の境内にある。 

随神門
   八重垣神社拝殿    八重垣歌碑
鳥居と随神門
八重垣神社拝殿
八重垣歌碑

八重垣神社の本殿は、江戸中期、拝殿は、昭和三十九年(1964)に、再建されたものである。 
本殿にあった国重要文化財指定の 板壁画 ・ 板絵著色神像は、 宝物殿に納められている。

「   神社の障壁画としては日本最古のものといわれ、落箔が甚だしいが、 戦後造営の際、 本殿から取り外して、樹脂注入などで、保存措置が講じられた。  全部で三面あるが、稲田姫を描いたとされる、 もと正面にあった壁画が、最も保存がよく、 匂うような肌と髪、鮮やかな紅の唇など、 とても数百年を経たとは思えないほど。 
ヤリガンナで、仕上げたスギ板の上に、直接描かれているが、 絵具などは現代すでに求め難い優秀なものが使われているという。  」

本殿の右手に、 荒神 ・ 伊勢宮 ・ 脚摩乳社、 左手に、社白社 ・ 山神社 ・ 貴布也祢社 ・ 手摩乳社の小さな社が並ぶ。 
面白いと思ったのは、夫婦椿乙女椿の隣にある山神社で、 大山祇命と石長姫命が祭神であるが、 祠の前にあるのは男性のシンボルを石で作ったものだった。 
伊勢宮は、天照大神と書かれた石碑である。 
その先は出口で、右側は玉垣。 

出口から宮橋を渡ると、夫婦杉がある。
ここは、「奥の院」 といわれる小さな、佐久佐女の森である。 
  この森は、「 佐久佐女(さくさめ)の森」 といい、 小さいながら、老杉などが生い茂り、 地表にあらわになった木々の根が異様である。  
神社が、まだ、社殿を持たないころ、 人々が巨石や老木に、神々が宿ると信仰した、 磐座(いわくら)、 神籬(ひもろぎ) の跡 と思われるところである。
その中にある鏡の池には、 若い男女が集まっていた。 

「  鏡の池は、 稲田姫が化粧の時の鏡がわりに使ったという伝承がある。
また、大蛇退治の時、稲田姫が身を隠されたという故事に由来する、 五月三日の 身隠 (みかくし) 神事 も、ここで行われる。 」

最近若い女性に人気なのは、「縁占い」 である。 

「 池に硬貨を乗せた用紙を浮かべ、 その沈み具合いで縁の遅速を占うという占いである。  社務所で売られている薄い半紙の中央に、小銭を乗せて池に浮かべると、 お告げの文字が浮かぶ。  紙が遠くの方へ流れていけば、遠くの人と縁があり、 早く沈めば、早く縁づくといわれる。  このため、軽い1円玉を使うのを避け、10円もしくは100円で占いを行う。  また、紙の上をイモリが横切って泳いでいくと、大変な吉縁に恵まれるという。 」

NHKの朝の連続ドラマで、 松江に来日した、ラッカデイヨハーンが取り上げられ、放送されている。

「 英国人、ラッカデイヨハーンは、 日本人と結婚し、小泉八雲 と名を変えた。
ラッカデイヨハーンは、  明治二十四年四月五日、西田千太郎と、 行楽と取材を兼ね、 人力車で松江郊外の神社めぐりを行っている。  八重垣神社では、鏡の池にとくに興味を示したという。 
八重垣神社のお札類をイギリスオックスフォード大學の博物館に贈り、今も残っている。 」

左本殿右拝殿
  鏡の池   縁占い
正面左側 本殿、 右側 拝殿
鏡の池
縁占い



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