平成二十八年(2016)十月二十八日、 参詣した。
神魂神社は、小高い丘にある。
駐車場を出て、鳥居をくぐると、鬱蒼とした樹木の中を歩く。
右手に急な石段があり、これが男坂、 直進すればなだらかな道で、 女道である。
「 ここは、意宇平野(おうへいや)の一角である。
意宇平野は、古代から栄えていた所で、
近くに、出雲国庁跡や、国分寺 ・ 出雲国山代郡正倉跡があり、八雲風土記の丘がある。
また、県下最大の規模を持つ山代二子塚をはじめ、
代表的な古墳はこの付近に集中している。 」
急な石段を上りきると現れるのは、 神魂神社の拝殿である。
「 神魂神社は、 伊弉冉尊(イザナミノミコト)を主祭神、 伊弉諾尊(イザサキノミコト)を副祭神とする神社で、 近くの 熊野大社 ・ 八重垣神社 ・ 六所神社などとともに、 意宇六社の一つに数えられ、 大庭(おおば)の大宮さん と親しまれている。 」
神社の案内によると、
「 当社は、出雲国造の大祖 ・ 天穂日命 (あめのほひのみこと) が、
この地に天降られ、 出雲の守護神として創建以来、
天穂日命の子孫が 出雲国造として 二十五代まで奉仕され、
大社移住後も、 神火相続式、 古伝新嘗祭奉仕のため、 参向されている。 」 とあるが、
何故か 延喜式に記載されておらず、 出雲国風土記にも出てこない。
出雲国造家とゆかりが深く、古くは 国造家の私斎場的性格だったためかとも、思われる。 」
巨大な自然石を積み上げた石段といい、
古代出雲の神々の里らしいたたずまいを見せる神社で、 霊気が漂う気がした。
本殿は、 室町時代初期 正平元年(1346) の建立の 大社造 の建物である。
「
その大きさは三間四方、高さ四丈あり、出雲大社本殿とは規模を異にするが、
床が高く、木太く、特に、前面と後方の中央にある宇豆柱(うずばしら)
と呼ばれる柱が、壁から著しく張り出していることは、
大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造として、
昭和二十七年三月、 国宝に指定された。
一見、 白木造りのようだが、往古は彩色されていたといわれ、
屋根裏あたりにかすかに痕跡を留める。
本殿内陣は、狩野山楽 ・ 土佐光起の筆と伝えられる、極彩色の壁画九面にて囲まれ、
天床は、九つの瑞雲が五色に彩られている。
なお、本殿の屋根の前後を飾る千木(ちぎ)の先端が水平に切ってあるのは、
「内そぎ」 と呼ばれるが、
これは、祭神が女神であることを示すものである。
これに対し、出雲大社や佐太神社など、 男神を主祭神とする神社では、
千木の先端が垂直に切ってある 「外そぎ」 である。 」
拝殿の右手に社務所、その先には多くの末社が小さな社を並べている。
「
本殿の左手には二つの大きな社(やしろ)があるが、
右側の社には、貴布祢(きふね)神社と、稲荷神社が一緒に祀られている。
この社殿は、桃山時代の建築様式を伝える二間社流れづくりで、
国の重要文化財に指定されている。
流れづくりそのものも、出雲地方では珍しいが、
一般的な流れづくりは、前側の柱間が一間か三間の奇数であるのに対し、
この社殿は、二社を同時に収容するためか、二間に仕切っている。 」
古い鉄釜は、出雲国造の祖神である天穂日命が高天原から降臨された時、 乗って来られたと伝えられ、 十二月十三日に、御釜神事(おかましんじ)が行われる。 古代このあたりが鉄の産地であったことを示す遺物の一つである。
「 松江に住み日本に帰化した小泉八雲は、明治二十四年四月五日に、西田千太郎と訪れて、 杵築の国造へ火鑽を授ける習慣、天穂日命が臨降時に使用したという鉄の大釜、 伊弉諾尊・伊弉冉尊の神鳥とされるセキレイの伝承について、記している。 」
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