「 出雲大社と出雲の神々 」 探訪記 (続き)

( 出雲の神社めぐり )

かうんたぁ。

 



◎ 揖夜神社 (いやじんじゃ)

国道9号線と交叉する旧道(県道191号)を行くと、 JR揖屋駅の手前に、 揖夜神社 (いやじんじゃ) の石柱と、鳥居が建っている。
また、「 出雲街道 」の説明板が建っている。

説明板 「出雲街道」
「 鳥居の前は、出雲大社から姫路に至る約二百三十五キロの出雲街道が通り、  江戸時代には、 東出雲の行商人が中海でとれた海の幸、 豊かな山の幸を天秤でかついて、 この街道を行き来していた。 」  

揖夜神社は、八重垣神社、熊野大社などと共に、 意宇六社の一つに数えられる神社である。
祭神が伊弉諾尊(イザサキノミコト) とともに、  国造りをした伊弉冉尊(イザナミノミコト) という女神であることから、  働く女性のパワースポットといわれる。

「 出雲国風土記には、 伊布夜社 (いふやしゃ) と記される古社で、  日本書記 の 「斉明天皇五年(659)の条」 に、  「 言屋(いふや)社 」 として、 出雲大社の創建にかかわった社として記されている。
古事記では、 黄泉国の入口、 黄泉良比坂は、 伊布夜坂 と表現され、  黄泉の世界と関係の深い神社として、 中央でも重視された神社であった。 
平安時代末から南北朝時代まで、 荘官として派遣されていた大宅氏が、   「別火」  と呼ばれた神職に就き、 当社を支配。 
室町時代以降は、 出雲国造の命を受けて、  神魂神社の神職の秋上氏が、 神主を兼任していた。
江戸時代には、 井上氏が別火となり、 現在に至る。 
現在も、造営にあたっては、 出雲国造家から 奉幣を受けるという。 
武将の崇敬が篤く、 大内義隆が、太刀と神馬を寄進、 尼子晴久が、百貫の土地を寄進、  天正十一年(1583) 、毛利元秋が、社殿を造営、 堀尾吉晴は、元和元年(1615) 社殿を再建、  京極忠高は、寛永十四年(1637) 社殿の修復を行っている。 
松平氏になってからは、社殿の営繕は松江藩作事方が行ったという。 」

鳥居の先には、神門(随神門)があり、 その先には 狛犬や背の高い常夜燈が建っている。 
その先の左側に社務所があり、 その先の右手に、天満宮と恵比須社、  その奥に荒神社がある。
揖夜神社の拝殿と本殿は左側にあり、 本殿の右側には、大きな社殿の三穂津姫神社、  左側には小さな祠の韓国伊太氏神社が配祀されている。 
拝殿と本殿は大社造りであるが、 神座は、出雲大社とは反対で、  左から右に向かっているのが特徴である。 

神門(随神門)
   揖夜神社拝殿    奥は揖夜神社本殿
神門(随神門) 揖夜神社拝殿 韓国伊太氏神社、
(奥)揖夜神社本殿



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