茂林寺は、群馬県館林市堀工町にある、曹洞宗の寺院である。
「 正式名称は、青竜山(せいりゅうざん) 茂林寺で、
本尊は釈迦如来である
室町時代中期の応永三十三年(1426)に、美濃国の大林正通禅師により開山された。
応仁二年(1468)、青柳城主・赤井正光(照光)が帰依し、寺領八石を寄進、伽藍を建立した。
」
食べ物屋・土産屋のある道の先に、山門があり、その先に総門がある。
館林七福神めぐりは、正月から二月初めまでに、七つの神社、仏閣をめぐるもので、
茂林寺には、萩の大黒天が祀られている。
インドの神で、生産・豊作の神・寺院の守護、護法の神とされる。
左手で、福徳の詰まった大袋を背負う。
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当寺は、説話として有名な分福茶釜ゆかりの寺として有名である。
「 寺伝によると、開山の大林正通禅師に従って、
伊香保から館林に来た守鶴は、代々、住職に仕えました。
元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に、
茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要になりました。
その時、守鶴は、一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。
ところが、この茶釜は不思議なことに、いくら湯を汲んでも、尽きることがありませんでした。
守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える 「黄金銅分福茶釜」 と、名付け、
この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長寿・八つの功徳に授かると、云いました。
守鶴は、十世天南正青の時代に、熟睡している時に、手足に毛が生え、
尾が付いた狢(狸の説あり)の正体を現してしまう。
これ以上、この寺にいられないと悟った守鶴は、名残りを惜しみ、人々に源平屋島合戦と、
釈迦の説法の二場面を再現して見せます。
人々が、感涙に咽ぶ中、守鶴は、狸の姿になり、飛び去りました。
時は、天正十五年(1580)二月二十八日、守鶴が開山大林正通と小庵を結んでから、
百六十一年の月日が経っていました。
後に、この寺伝は、明治・大正期の作家・巖谷小浪によって、お伽噺「分福茶釜」として出版され、
茶釜から顔や手足を出して、綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました。 」
拝観料を支払い、本堂に入ると、分福茶釜を見学することができる。
また、「狸コレクション」 と称する、日本各地の狸にまつわる品々や狸の剥製が展示されている
(館内撮影禁止)
山門前には、二十一体の信楽焼の狸の像が並んでいて、表情が豊かである。
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所在地 群馬県館林市堀工町1570
東武伊勢崎線茂林寺前駅から、徒歩約10分
東北自動車道館林ICより、約4.5km(約15分)
訪問日 平成十三年(2001)十一月二十三日