続いて、若狭神宮寺に向かう。
この道は、上根来に通じ、 針畑峠越えの鯖街道である。
◎ 若狭神宮寺
程なく、若狭神宮寺の駐車場に到着した (右写真 − 本堂から 入口方面を撮影)
神宮寺は、 和銅七年(714)に、 泰澄大師の弟子により創建された、と伝えられる寺である。
寺伝では、 「 若狭彦命 (遠敷明神) の直孫が、 山上に長尾明神を祀り、
その下に、 神願寺を創建し、 翌年 勅願寺となったことに始まる。
鎌倉時代、 若狭鎮守 の 若狭彦神社と若狭姫神社 の別当となり、 神宮寺 と、改称した。 」 とされる。
本堂は、 単層入母屋造檜皮葺の建造物で、天文三年(1533)に、 朝倉義景によって再建されたもので、「室町末期の代表的建造物」 として、 国の重要文化財に指定されている (右写真)
本堂の左に 薬師如来などの仏像、 右側に 白石鵜之瀬明神や、和加佐彦比古などの神が祀られていて、 神仏混淆の時代の姿が残って いる。
寺の北にある仁王門も、 重要文化財である。
本堂の先にある清楚な建物の中には、 閼伽(あか)井戸がある。
しめ縄が張られた岩の下から、 水がこんこんと湧き出て、 周りに流れていたので、
柄杓で一口飲んだ (右写真)
神宮寺は、 三月二日のお水送りで知られる。
これは、奈良の東大寺二月堂に香水を送る神事である。
「
東大寺二月堂の修二会 (しゅにえ) は、 天平勝宝四年(752)、
東大寺開山の良弁僧正の高弟 ・ 実忠和尚により始められた と、伝えられる行事で、
以来一度も途絶えることなく続けられ、 平成二十年(2008)で、千二百回以上を数える。 」
神宮寺の神事は、 若狭の泉から、 お水取りに使う水を奈良に送る行事である。
境内には行事で使う護摩壇がある (右写真)
「 天平の昔、
若狭の神宮寺から東大寺に行かれた、 インド僧 ・ 実忠和尚が、 大仏開眼供養を指導の後、
二月堂を創建し、 修二会を始められた。
二月初日(旧歴)に 全国の神を招待され、 全ての神が参列されたのに、
若狭遠敷明神だけが来ず、 ようやく、 二月十二日の夜中過ぎに参列された。
若狭の神は、川漁に時を忘れて遅参されたので、 そのお詫びをかねて、 若狭より二月堂の本尊へ、
お香水の閼伽水を送る約束をされた。 それが有名なお水取りである。 」
奈良東大寺二月堂 の 「若狭井」 と名付けられた井戸は、 その時、
地中から、 白と黒の鵜が飛び出て、 その穴から泉が湧き出たもので、
その水を汲む行事が お水取り である、という。
境内のスダジイ(椎の木)は、
樹齢五百年を超すもので、 小浜市の天然記念物である (右写真)
根は四方八方に生え、 生命のたくましさを実感した。
(ご参考) 「若狭神宮寺」 の由来
若狭神宮寺でいただいた資料によると、
「 この地方を拓き、国造りをした祖先が、 遠敷明神(若狭彦命)で、
その発祥の地が根来の白石で、 都へ近道の起点に良地を選び、
遠敷明神の直孫 和朝臣赤磨公が 八世紀初め山岳信仰で、
紀元前銅鐸をもった先住のナガ族の王を金鈴に表し、
地主の長尾明神として山上に祀り、 その下に神願寺を創建され、
翌年 勅願寺となったその秋には、 紀元一世紀頃 唐服を着て 白馬に乗り影向し、
すでに根来白石に祀られていた遠敷明神を神願寺に迎え 神仏両道の道場にされた。
これが若狭神宮寺の起源で、 鎌倉時代初期に若狭彦神社の別当寺となり、 神宮寺と改称した。 」
と、ある。
◎ 小浜城跡
小浜城は、雲浜城とも呼ばれた城で、京極高次により、築城を開始し、酒井忠勝の時代に 完成した、三層の天守閣を持つ城であった。
「 関ヶ原の戦いで、 東軍についた 大津城主、京極高次は、 徳川家康より 若狭小浜の地が与えられ、 小浜藩主になった。 京極高次は、 慶長六年(1601) に、 小浜湾と南川と北川に囲まれた要害の地に、 城を築き始めた。 その子 ・ 忠高に至る
三十三年間に、城の大半を造ったが、 寛永十一年(1634)、 出雲松江に転封になり、
酒井忠勝が藩主になり、 寛永十五年(1638)に、 三層の天守閣を築いた。
その後、酒井家は明治維新まで、十四代二百六十年の長きにわたり、城主を勤めた。 」
小浜城は、海岸城の平城で、東西百五十六間(284m)、南北百四十五間(264m)、
外濠を除いた敷地面積は、一万八千九百三十七坪だったといわれる。
明治四年の火災で、城の大半は焼失、 更に、 河川拡張のため、 旧城地が削られて、
往昔の面影は残っていない。
城跡には、 小浜神社が建っている。
明治八年(1875)、 旧藩の家臣達により、 小浜神社が創建され、 初代藩主 ・ 酒井忠勝と、
城の境内に祀られていた、 天御中主大神を祭神としている。
天守閣があったところに上ると、 その先に 海や二つの川が見えた。
その手前には、沢山の家が隙間なく建っていた。
これらの家の敷地は、かっての城跡だろうと思った。
右下の写真は、小浜城天守閣跡より、 小浜湾を望んだものである。
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今は、かなり整備され、小浜の歴史的建造物群が見られるようだが、
小生が訪れた頃は、鯖街道の起点のプレートが、 市内のいずみ町にあり、
鯖街道資料館が近くにある程度であった。
以上で、小生の鯖街道の旅は終わりである。
旅をした日 平成二十年四月