◎ 羽黒山正善院
鶴岡市役所から東に県道47号を進むと、赤川を越えたところに羽黒庁舎(旧羽黒町役場)がある。
更に進むと、羽黒山入口交叉点があり、その先に大鳥居がある。
さの先の三叉路で、県道47号は左に行くが、県道46号に入り、進むと手向郵便局があり、
三叉路で県道と別れ、右の細道に入る。
黄金堂前のバス停があり、左側の正善院の建造物がある。
「 正善院は、神亀五年(728)、聖武天皇の勅願により、建立されたという説があるが、
証明するものがない。
建久四年(1193)、源頼朝が、奥州平泉の藤原泰衡の討伐に際し、
羽黒山に戦勝祈願し、平定後に、羽黒山の所領六万六千石を安堵し、守護地頭不入の地と定めた。
さらに、作事奉行職の土肥実平に命じ、山上の大金堂を修造し、
門前町の千向に、小金堂を建立、三十三体の聖観音像を配し、東国三十三国の総守護とした、
と伝えられる。
黄金堂と呼ばれるようになったのは、文禄年間(1592〜1596)頃からで、
黄金色に映える三十三体の聖観音像の姿から、黄金堂と呼ばれるようになった。 」
仁王門を入ると、正面に黄金堂、右側に於竹大日堂が建っている。
「 黄金堂の前には、「重要文化財 羽黒山正善院 本堂 黄金堂 鎌倉時代建久四年(1193)建立 」の立て看板が建っている。
黄金堂は、三十三体の聖観音菩薩の御像を本尊として祀る御堂で、
羽黒山内の建造物で、最も古く、羽黒山上の三神合祭殿(神仏習合時代の大金堂)と対をなすお堂で、
国の重要文化財に指定されている。
お堂の中央に、三体の一際大きな坐像、それを取り囲むように、
三十体の等身体の立像が祀られている。
お堂には、この他、山上の大金堂にあった、御本尊の出羽三山大権現(大日如来、阿弥陀如来、
聖観世音菩薩)を始め、五重塔の御本尊の羽黒三所大権現(聖観音菩薩、妙見菩薩)・
弁天堂(現在の厳島神社)の御本尊の宇賀弁財天など、出羽三山に残る約八十体の尊像を安置している。
」
◎ 羽黒山五重塔
黄金堂を出て、道を進むとと、随神門バス停がああり、そこから羽黒山の石段が始まる。
羽黒山は海抜414mの丘陵である。
羽黒山の石段参道は、2446段の石段がある。
階段は一の坂、二の坂、三の坂から成り立っていて、あちこちに、盃や瓢箪などの絵が彫られている。
約10分歩くと、木立の中に五重塔がある。
「 平安時代の中期の承平年間(931〜938)、平将門の創建と伝わるが、
定かではない。
現在の塔は、応安五年(1372)に、羽黒山の別当職・大宝寺政氏が再建した、と伝えられる。
慶長十三年(1608)に、山形藩主・最上義光により、修理された。
塔は、総高約29、2メートル、塔身高は22、2メートルである。
屋根は柿(こけら)葺きで、様式は純和風で、塔身には、彩色を施さない素木の塔である。
明治の神仏分離により、当初祀られていた聖観音菩薩と妙見菩薩は正善院へ、
軍茶利明王は無くなり、現在は大国主命を祭神として祀り、
出羽三山神社の末社「千より社」となっている。
東北地方では最古の塔と言われ、昭和四十一年(1966)に国宝に指定された。
近くには、樹齢千年、樹の周囲10mの巨木「爺杉」がある。
なお、塔の所有者は出羽三山神社である。 」
三坂の中で、急で長いのが二の坂である。
別名、油こぼしといわれ、武蔵坊弁慶があまりの勾配に、奉納する油をこぼしてしまった、
と伝えられている。
二の坂を過ぎると、休憩所として、二の坂茶屋がある。
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五重塔所在地: 山形県鶴岡市手向
鶴岡駅からバスで40分、随神門前で下車、徒歩10分。
◎ 出羽三山神社
羽黒山の山頂まで、石段参道を上ると、一時間から一時間半かかる。
自動車で、羽黒山有料道路を使うとあっという間に、山頂に到着である。
「 出羽三山は、月山・湯殿山・羽黒山の総称である。
修験道を中心として、山岳信仰の場として、
今日も多くの修験者・参拝者を集める。
明治維新までは、月山・湯殿山・羽黒山のそれぞれに神社と別当寺があり、
月山と羽黒山は天台宗、湯殿山は真言宗であった。
羽黒山に祀られていたのは、羽黒山出羽神社で、伊氏波神の本地仏を正観世音とし、
一山を寂光寺と称した。
湯殿山は、本地仏を大日如来とし、別当寺として本道寺など四つの寺が建立された。
月山には月山神社が祀られ、本地仏を阿弥陀如来とし、岩根沢(現在西川町)に、日月寺という
別当寺が建てられた。
明治の廃仏毀釈で、別当寺は廃され、神社となり、三社を一つの法人で管理することになり、
出羽神社に社務所がおかれた。
旧社格は月山神社が官幣中社、出羽神社と湯殿山神社が官幣小社である。
別当寺であった寂光寺は廃寺となり、羽黒山では伽藍や文物が取り壊され、
山内にあった十八坊の内、十五坊が廃業になり、取り壊される。
残った正禅院と荒澤寺と金剛樹院が独立し、現存する。
月山の日月寺は、廃寺になり、岩根沢三山神社になった。
湯殿山の本道寺と大日寺は廃寺になったが、大日坊と注連寺は真言宗と寺院として、湯殿山から
独立して残っている。 」
山頂にあるのは、三神合祭殿である。
日本最大規模の茅葺屋根を持つ、大社殿の存在感は大きく、総漆塗りの内部も迫力がある。
「 三神合祭殿は、文政元年(1816)に、羽黒修験の道場として、再建されたものである。
前面にある拝殿は、入母屋造、茅葺、平入、桁行十三間二尺(24、2m)、梁間九間二尺(17m)である。
本殿は、入母屋造、茅葺、妻入、桁行二間、梁間三間、向拝付(こけら葺)である。
神仏分離以降、月山や湯殿山が冬期積雪により、参拝が困難になることから、
出羽三山神社の社殿で合祭される形式をとり、
三所の神を合祀しているため、三神合祭殿に改称した、
平成十二年に国の重要文化財に指定された。 」
三神合祭殿の少し手前に、二つの建物がある。
羽黒山開山堂 蜂子神社である。
「 出羽三山信仰お礎を築いたのは、第32代崇竣天皇の御子・蜂子皇子である。
その尊像は、江戸時代の初めまでは五重塔に祀られていた。
元和五年(1619)に、羽黒山別当により、山頂にお堂(開山堂)を建て、御尊像を祀った。
明治維新で行われた神仏分離により、蜂子神社に名を改めた。 」
出羽三山神社へは、鶴岡駅から羽黒山山頂行きにのり、終点で下車。 約1時間
◎ 出羽三山の奥の院 湯殿山神社
湯殿山は、月山や羽黒山で修業を積んだ山伏が、最後に修業に入る山である。
湯殿山神社本宮は、撮影禁止、参拝は土足禁止という、厳しい戒めがある。
参道を素足で歩くことで、山の大地を直に感じとれる。
お湯が出ているのか、あたたかかった。
大鳥居の左手にある、湯殿山参籠所は、宿泊や日帰り入浴ができる(要予約)
湯殿山は、「恋の山」と呼ばれていて、御守りが女の子に人気がある
湯殿山本宮へお参りするには、お祓いを受ける必要がある(お祓い料500円)
大鳥居から本宮までは距離があるので、本宮参拝バスか、
自家用車では有料道路で湯殿山駐車場へ行く。
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訪問日 平成十一年(1999)九月二十三日