喜多方は、会津若松城主となった蒲生氏郷時代に、
この地帯の在郷町 (農村部の市場) として誕生し、発展した町である。
新田開発により増えた米と良質な湧水を利用し、郷頭・肝煎や在郷<商人により、
酒造や味噌・醤油の醸造が行われ、蔵が建てられました。
火災による耐火に効果が認識された、江戸後期以降は、もとんどの家が蔵を建て、
今日、蔵の町として、有名である。
車を停めたところに、蔵馬車がいた。
喜多方駅には駅から十五分程歩くと、「弥右衛門酒 寛政二年」 の 藍色の暖簾があり、
「 自由に見学ください。 」 と入ると、創業が寛政二年()1790の大和川酒造で、
内部に入り、酒蔵を見学した。
弥右衛門は、同酒造の代表的な銘柄であった。
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蔵馬車 | 藍色の暖簾の大和川酒造 | 酒蔵内部 |
大和川酒造の酒蔵は、江戸・大正・昭和に建てられた蔵という。
同酒造の北方風土館は、日本酒の史料館になっている。
喜多方ラーメンは、大正末期に中国人によりもたらされたもので、多くの店がある。
四十軒程のラーメン店が加入する、喜多方老麺会が発行するパンフレットを見れば、
お店毎に、麺の種類・堅さ、汁の系統・味の濃さなどが分かるので、
自分の好みで訪問する店を選ぶことができる。
五十嵐製麺所は、七十余年の歴史を持ち、今は世界にも麺を販売しているという。
地元では蔵のある家が自慢とされたが、明治の大火により、煉瓦造りの蔵が
増えました。
座敷蔵や蔵をお店に改造している家が見られます。
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大和川酒造北方風土館 | 五十嵐製麺所 | 蔵を改造した店 |
訪問日 平成十五年(2003)三月十九日