会津盆地では、江戸時代から、獅子舞が奉納される行事があり、彼岸獅子と呼ばれた。
会津に獅子舞が伝来したのは諸説あるが、
NHKの放送と会津若松市の見解は、
「
寛永年間(1624〜1643)に、下野国(栃木県)から「三匹の獅子9として伝わり、
次第に会津盆地の各地に広がっていった、といわれる、
由来の一つは、その昔、疫病が流行し、多くの人の命がなくなった。
疫病を退散させるために、主な寺院に奉納して、祈願したところ、次第に終息したといわれる。
折しも、彼岸であったことから、彼岸獅子と呼ぶようになった、と伝えられる。
松平藩主が庇護したことから、かっては県内に30位の獅子団があり、
彼岸の時、会津若松城下に集合し、獅子舞が披露された。 」
一方、喜多方の見解は、
「 彼岸獅子が喜多方へ伝来したのは県内に一番早かった。
疫病で苦しんでいる時、京から疫病退散の為に、導入され、時期は寛永年間よりも早いとされるが、
寛永年間(1624〜1643)と見るのが穏当である。
喜多方から県内の会津若松、郡山などの各地と山形の一部に普及した。
最初はお盆に寺院に奉納していたが、会津盆地の夏は暑く、獅子頭を被り踊るのは大変なので、
彼岸に変更になったことから、彼岸獅子になった。 」
上記の見解によれば、喜多方の獅子舞は一番古いということになる。
![]() | |
喜多方の彼岸獅子 |
彼岸獅子の特徴であるが、
一般的な獅子舞は二人一組で演舞するが、会津獅子は獅子の面を被った一人で構成され、
三匹の獅子が笛と太鼓の音に合わせ、踊る。
明治以降、田舎の衰退により、彼岸獅子を演じる集落が激減し、
NHKの放送では、会津若松市郊外の北会津村の小松集落が、その保存に苦労している姿を放送した。
小生が確認しているのは、会津若松市で、天寧獅子団と小松獅子団の二つ、
そして、喜多方市で、下柴獅子団の一つのみである。
![]() |
![]() |
|
喜多方の彼岸獅子 | 喜多方の彼岸獅子 |
喜多方で小生が見た、下柴獅子団は、予約された店舗の前で、
その店のためのお祓いと繁栄を祈る演舞だったのだろうと思った。
2025年の会津若松市のはるまつりのホームページには、
「 天寧獅子団と小松獅子団が、鶴ヶ城本丸・
七日町通り・市役所前などで、演舞される。 」、とある。
喜多方市のことは分からないが、下柴獅子団が今も存在しているので、見ることができるのだろう。
訪問日 平成十五年(2003)三月十九日