名所訪問

「 北海道・道央旅行 2 」

( 小樽観光 )


かうんたぁ。


JR小樽駅前の交差点から、正面を見ると、坂が下っていて、その先に海と運河が見える。
JR小樽駅の現在の駅舎は、上野駅をモデルに昭和九年(1934)に建設されたもので、 平成十八年(2006)に、国の有形文化財に登録された。
駅前に、「石川啄木と小樽駅」の説明板が建っている。

説明板「石川啄木と小樽駅」
「 子を負いて 雪の吹き入る停車場に われ見送りし 妻の眉かな 
漂白の詩人・石川啄木は、姉トラの夫・山本千三郎氏が、 当時、中央小樽駅長であったので、函館から小樽へ家族を呼び寄せた。
しかし、わずか5ヶ月後の明治41年1月19日、 数々の想い出を残して、雪の降るなか、妻・節子に見送られ、 この駅から、寂しく釧路へと向かった。
現在の小樽駅は、昭和9年(1934)北海道で初めて、地下コンコースと2階にプラットホームが、 接続するように、建築された。
この駅舎の構造は、坂のまち・小樽の地形を最も効果的に利用した例である。
← 左手の階段を上がると、石川啄木の歌碑があります。 
                小樽市           」

(ご参考)「小樽の歴史」
「 松前藩は、慶長年間に、松前藩の商場(アイヌとの交易場)をオタルナイに置いた。
文禄年間には和人も入り、元治二年(1862)、江戸幕府が、オタルナイを村並とする。
明治二年(1869)、明治政府は、蝦夷地を北海道と命名、開拓使を置き、本府を札幌にし、 オタルナイを小樽と改称した。
明治五年(1872)には、小樽港が開港、明治十三年(1880)、小樽と札幌間に鉄道が開通する。
小樽は、海の玄関先として、人とものが集まるようになり、昭和初期にかけて、 金融機関や船舶会社・商社などが進出し、北海道経済の中心地となった。 
明治三十六年(1903)には札幌と函館を結ぶ、函館本線が開通し、小樽駅ができた。
当初は交通の要所として、人や物資を運び、大きな役割を担っていた。
しかし、札幌が北海道の中心となると、衰退の一途を辿るようになり、 戦後になると、ニシン漁の不漁や石炭産業の閉鎖、北海道の各地に港が出来たことから、 卸業が衰退する。 」

タクシーで、道道454号の手宮1丁目にある、小樽総合博物館へ行く。
小樽総合博物館は、平成十九年(2007)に開設された博物館で、 蒸気機関車記念館・鉄道車両保存館と、鉄道・化学・歴史館の三つの建物で構成される。
博物館の敷地は、約六haで、旧手宮線の手宮駅跡である。
時間の関係から、蒸気機関車記念館の蒸気機関車・しずか のみの見学になった。

「 蒸気機関車・しずかは、アメリカのピッツパークのポーター社成製で、 官営幌内鉄道が明治十四年から約十年間に八台輸入した内に一台である。 」

小樽駅前
     石川啄木説明板      蒸気機関車・しずか
小樽駅前
石川啄木説明板
蒸気機関車 ・ しずか

道道・小樽港手宮線を南下すると、左側に運河が現れる。
右側に、運河公園があり、公園の奥の道の反対に、旧日本郵船の小樽支店がある。

説明板「 重要文化財 旧日本郵船小樽支店」
「 構造 石造 二階建 
 この建物は、明治39年、日本郵船小樽支店として、新築したものです。
設計は、工部大学校出身の佐立七次郎工学博士で、当時では最も新しい石造りの建物です。
新築後まもなく、日露戦争の講和条約による樺太国境画定会議が小樽で開かれることになり、 この建物の2階会議室において、各国の代表による会議が開かれ、 隣の貴賓室で祝杯が交わされました。
昭和30年、市がこの建物をゆずり受け、小樽市博物館として使用していましたが、 昭和59年から昭和62年まで、保存修理工事を実施し、 営業室・会議室・貴賓室などを往時の往時の姿に復元しました。 」

令和二年から令和七年四月まで、保存修理工事が行われていたので、 姿は見られなかったが、写真は前回、修理後に訪れたときのものである。

色内大通りを南下し、左折して手宮中通りを進むと、 運河には、今も当時の石造倉庫が残っていて、小樽観光の目玉になっている。

「 小樽運河は、北海道開拓の玄関口として発展した小樽港の港湾で、 大正十二年に完成した海岸の沖合を埋め立てた運河である。
運河沿いには、ガス灯や石造倉庫群があり、 現在は散策路や海上観光船の乗り場などがある。 」

運河通遊歩道
     旧日本郵船小樽支店      石造倉庫群
運河通遊歩道
旧日本郵船小樽支店
石造倉庫群

色内2丁目には、旧大屋倉庫がある。

「 石川県出身の海産商・大屋七平によって、明治二十四年(1891)建てられた 、木骨石造の一階建ての建物である。
建物の妻壁には、「山七」の印がある。
外壁に札幌軟石を使用し、越屋根と入口部分の二重アーチが特徴である。
その姿の雄大さと独特の姿は、運河地区の石造倉庫を代表するもので、 小樽市指定歴史的建造物の一つである。
手宮中通りを更に南下すると、右側に小樽総合博物館運河館がある。

「 明治二十六年(1893)に建てられた、木骨石造りの倉庫で、 旧小樽倉庫が利用していた。
約二千点の歴史及び自然の資料を保存し、館内の展示で、小樽の歴史が学べる。 」

小樽博物館運河館の先にある、色内2丁目交叉点を右折すると、 旧安田銀行小樽支店があり、その先の左側に、手宮線緑地がある。

「  ここは、旧国鉄手宮線の線路で、寿司屋通りまで残っている。
北海道初の鉄道・官営幌内鉄道は、 幌内(三笠市)から小樽港へ石炭を運ぶために設立された鉄道である。
明治十三年(1880)に、手宮と札幌間が開通し、二年後に全線が開通した。
その後、国鉄の一路線になったが、炭鉱の閉鎖で廃線となった。 」

旧大屋倉庫
     小樽総合博物館運河館      旧手宮線線路
旧大屋倉庫
小樽博物館運河館
旧手宮線線路

線路に沿って南下すると、右側に、小樽美術館・小樽文学館がある。

「 旧小樽貯金局に、昭和五十三年(1978)に開館。
文学館には、小樽にゆかりのある、小林多喜二や伊藤繁などの著書や資料を収蔵・展示している。 」

日銀通りを東に進むと、右側には旧日本銀行小樽支店(現・金融資料館)や 旧第一銀行小樽支店、左側に旧北海道銀行本店の建物が残っていて、 小樽の最盛期の凄さを感じ取ることができる。
再び、手内大通りに入り、南下すると、左側に大正硝子館がある。

「 明治三十九年に建てられた、名取高三郎商店を改造し、 店舗にしている。
当店では、和風の硝子器を中心に、小樽市内で製作された、手作りガラスを展示、 販売している。 」

川を渡ると、左右の道は寿司屋通りで、小樽の寿司は観光の目玉になっている。
寿司屋通りとの交叉点の左側に、小樽浪漫館がある。

「 ここは、小樽堺町通り商店街の入口である。
小樽浪漫館は、明治四十一年に建てられた、旧百十三銀行小樽支店の建物である。
現在は、アクセサリーやガラス小物のショップになっている。
ゴルーデンカムイの聖地巡礼の舞台になっていて、 ゴルーデンカムイ単行本4巻34話に、
 「 土方歳三が、銀行を襲撃!! その目的は、銀行に保管されていた日本刀。 
そういたことから、この建物が話題になっている。 」

南下すると、北一硝子の建物群があり、その先の左側にルタオ、 交叉点を越えた先は堺町本通りで、小樽オルゴール堂 本館がある。

「 小樽オルゴール堂 本館の建物は、 大正四年(1915)建造の歴史的建造物を使用していて、 古き良き時代の小樽の歴史を当時のまま残している。 」

函館駅で特急に乗り、札幌駅で乗り換えて、小樽駅へ到着したのが、14時過ぎ。
蒸気機関車記念館と、小樽文学館で時間を消費したので、 北一硝子や小樽オルゴール堂へは寄る時間がなく、 閉店前のルタオをケーキを食べ、南小樽駅へ行き、 小樽観光は終了した。

小樽美術館・小樽文学館
     大正硝子館      小樽浪漫館
小樽美術館・小樽文学館
大正硝子館
小樽浪漫館

訪問日     令和四年(2022)九月十日



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