納沙布岬から根室市内に戻り、その日は川湯温泉へ泊まる。
翌日、摩周湖・屈斜路湖・阿寒湖を見学する。
納沙布岬の近くに展望塔があったが、あいにく霧が多く、
国後・択捉方面も見えそうにないので、これで、納沙布岬の見学は終えた。
根室市内への帰りは、道道35号をそのまま走り、半島の東側を南下する。
西側には発電用の風車は僅かであったが、東側は風が多く強いようで、
無数の風車が設置されていた。
少し走った集落に、「歯舞神社」 と表示された鳥居があり、丘の上に社殿がある。
集落の名が「歯舞」 で、戦後、
北方四島から引き揚げてきた人達が多く住んでいるのだろう、と思った。
望郷の気持と郷土返還を願って祈る住民の総意に応える神社の神さまは大変だなあ、と思った。
根室を訪れて思うことは、 「 アイヌと和人との戦いと交流という歴史 」、
そして、指呼の先に、日本の領土であった四島があり、
そこに住んでいた住民がこの地に住み、
今も帰りたいという気持で、毎日を暮らしている、ということ、である。
小生には、根室は観光の町という認識があったが、そうした色彩は町中にはあるが、
納沙布岬に行くと皆無であったのには、驚いた。
今夜の宿は川湯温泉なので、川湯温泉を目指すが、
所要時間三時間程で、150kmの距離である。
道道35号、根室市役所から国道44号に入る。
網走付近は北見ナンバーだったが、根室からは釧路ナンバーで、
トラックを含め、車が多くなり、
制限速度の10キロオーバーで走る車が大部分であった。
厚床2丁目交叉点で、釧路に行く車と別れを告げ、国道243号に入る。
別海温泉の先の交叉点で左折すると、車も少なくなる。
国道243号をそのまま進み、標茶町に入る。
そのまま進むと、左側から国道391号が合流してくる。
国道243号をそのまま進むと、「摩周湖入口」があり、
その先で釧網本線の踏切を渡ると、
原野で右折して、国道391号に入る。
少し行くと、右手に川湯温泉駅があり、その先の信号交叉点で左折して、
大鵬通りに入る。
川湯小学校の先で、左斜めの三叉路に入ると、
今夜の宿・お宿欣喜湯 別邸忍冬(さいかずら) があった。
「
この宿は、老舗旅館「忍冬」が、今年4月30日に「お欣喜湯 別邸 忍冬」として、
オープンしたもので、お湯は草津温泉と同じ、強酸性の酸性明礬泉である。
22室とこじんまりした宿で、総料理長おまかせの創作和食はうまかった。
ゆっくり湯に浸かり、おいしい食事で満足した。 」
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令和三年(2021)七月二十一日、宿を出て、硫黄山へ行く。
「 アイヌ語で、「アトサヌプリ」、裸の山と呼ばれる硫黄山。
山肌からは轟々と音を立てながら、噴煙がほとばしり、
周囲には硫黄の独特な匂いが立ちこめている。
山全体が黄色く見えるのは、各所から吹き出す硫黄によるものである。 」
落石の危険性があることから、硫黄山は立ち入り禁止になっているので、
すぐに出発。
この後、摩周湖に向かう。
道道52号を上っていくと、途中からジグザクした上りのカーブが続き、
頂上に着くと、摩周第三展望台があり、ここの駐車場は無料であった。
展望台からの正面の湖に浮かぶのは、断崖の小島・カムイシュ島である。
「
この島は、約四千年前に、、
カルデラ中央に溶岩ドームが形成されたことから誕生した。
その奥に聳えているのは摩周岳(カムイヌプリ)である。
この山は、四千年の同時期に、カルデラ東部で噴火が始まり、できたものである。」
かって、歌謡曲「霧の摩周湖」がヒットしたことから、摩周湖の名前が全国で知られるようになった。
観光客は「霧の摩周湖」が普通と思って訪れが、出逢える確率は低い。
今回は、出逢うことができたので、よかった。
山肌には黄色い花を咲かせるアキノキリンソウが咲いていた。
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続いて、摩周第一展望台に移動する。
こちらは500円の駐車料金が必要で、硫黄山駐車場へも入れる。
以前、観光バスで訪れた時もここでの観光となり、土産屋も公衆トイレもある。
こちらからは、カムイシュ島は湖の中央に、右手に雲が被っているが摩周岳が見えた。
「 摩周湖は、日本で20番目の大きさである。
約七千年前の巨大噴火で生まれたカルデラ湖で、
アイヌ語では、 「キンタン・カムイ・ト ― (山の神の湖) 」 という。
流入及び流出のない閉鎖湖で、周辺の雨水が土壌に浸透して濾過されるため、
世界でバイカル湖に次ぐ二番目の透明度の高い湖である。
急激に深くなっていることと、その透明度が高いことから、青以外の反射が少なく、
よく晴れた日の湖面の色は摩周ブルーと呼ばれている。 」
売店の土産はかっては鮭をくわえた熊の置物が定番だったが、今は姿を消し、
ある熊はこぐまのぷーさん風で、ほんの一部だけしかない。
アイヌをデザインした壁掛けやTシャツが主流であった。
この後、山を下り、川湯の反対側にある屈斜路湖に向う。
「 屈斜路湖は、凍結する淡水湖としては日本一大きい。
日本の湖沼で、6番目の大きさで、約三万年前に出来たカルデラ湖である。
この時の噴火は大規模で、札幌以西を除く、北海道のほぼ全域に火山灰が覆った。
硫黄山や川湯温泉からの強酸性の水が流入するため、酸性湖になっている。
そのため、魚類は乏しい。
湖岸を掘ると湧き出す砂湯が観光名所になっている。
また、湖底からも温泉が湧出する。 」
屈斜路湖に入るところに、アイヌコタンの集落がある。
ここには、コタンの湯や、アイヌ民族資料館・アイヌ民芸品店などがある。
屈斜路湖に到着したが、観光するようなところは乏しそうなので、
湖をしばらく眺め、それで終了とした。
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阿寒湖へ向かう。
国道243号から鈴蘭3丁目で、国道241号阿寒横断道路に入る。
山道をくねくねと上っていく。
途中、数カ所で道路工事が行われ、交通整理が行われていた。
やがて、双岳台・双湖台があったが、停まらず走り続け、雌阿寒分岐で、
国道240号に変わると、右手に阿寒湖が見え始める。
出発して、約一時間二十分、阿寒湖アイヌコタンに到着した。
「 阿寒湖アイヌコタンの戸数は 三十六戸、約百二十人が住む北海道で最大のアイヌコタン(集落)である。 」
フクロウが羽根を広げた装飾の阿寒湖アイヌシアターの建物がある。
北海道の先住民・アイヌの伝統的古典舞踊が上演される劇場なので、見学したかったが、
コロナによる観光客の激減で、夜間に一回か公演されないと、表示されていたので、
中に入り、ポスターを撮影して、終了した。
外に出て、阿寒湖の方へ向かうと、「阿寒湖アイヌコタン」の看板がある家があり、
本来なら、アイヌ料理などがあるはずだが、コロナで閉鎖中であった。
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中央にあるトーテムポールは、2007年に彫刻家・床ヌプリさんの指導のもと、
地元アイヌ人が制作したものである。
姉妹都市のカナダブリテッシュコロンビア州バーナビー市の釧路公園の方角を向いている。
阿寒湖に向って坂を降りていくと、両脇に、アイヌ民芸品の店が並んでいた。
注目したのは、各店舗の外観。
阿寒湖を代表する彫刻家たちが制作さいた看板や屋根の装飾である。 見応えがある。
坂を下りきると、湖岸の道で右折して進むと、阿寒湖観光船乗り場がある。
船は出たばかりで、次は一時間後とのこと、帰りの飛行機の時間を考えてあきらめた。
周囲の商店街には数軒の飲食店と、その他は民芸品店であった。
以前訪れた時はマリモを売る店が多かったが、人工のマリモであることが浸透したせいか、
売っている店は見かけなくなっていた。
民芸品も小型のアクセサリーや魔よけのようなものが多く、時代の変化を感じた。
昼食は軽食・喫茶エルムという店に入った。
店主は、ジャズが好きなようで、レコードが飾られていた。
ピザとバターライスのトンカツを頼んだが、添え物のスパゲッテイがうまかった。
後日ホームページを見てみたら、ミートスパが紹介されていて、
トマトを使わないデミグラスソースは濃厚で、細めのパスタとよく絡むとあった。
パスタが得意の様子である。
東京への帰路は、ここからは釧路空港が近いのだが、6月〜8月上旬にかけては、
釧路湿原に霧が出ることが多く、飛行機が欠航した経験をしているので、
帯広空港から帰る手配をしている。
従って、食事が終えると、出発の時間になった。
阿寒湖観光船の乗船はまたである。
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訪問日 令和三年(2021)七月二十日〜二十一日