名所訪問

「 下北半島の旅 」

( 種差海岸・恐山・薬研温泉・大間・浅虫温泉 )


かうんたぁ。


◎ 種差海岸

八戸市に到着して、最初に訪れたのは種差海岸である。
海面には海食された岩や岩礁が見られ、太平洋の展望も開放的である。

「 種差海岸は、 美しい海岸として、観光の名所になっている。
もともとは漁村として栄えていたが、 三陸復興国立公園に指定されると、 天然の芝生の丘陵や変化に富んだ海岸線の景色を見に、 多くの観光客が訪れるようになった。
種差海岸駅周辺は、天然芝に覆われた段丘面が広がる。
海岸線には、砂浜海岸・岩礁海岸・海食海岸などと、 多様な地形が続く。
砂浜には、海浜植物や高山植物を見ることができる。 」

ハマナスも自生していて、赤い花が咲いていた。

岩礁海岸
     海食海岸      ハマナス咲く
岩礁海岸
海食海岸
ハマナス咲く

種差海岸で、 久し振りに、いちご煮とほやなどの海の幸を食べました。

「  ほやは、独特の味と匂いがするので、好き嫌いが分かれる食品である。
ウニはこの海岸でとれる新鮮なものだが、海が荒れると、 寿司屋のネタがないといわれることがある。
いちご煮はウニを塩水で茹でたもので、熱湯で身がいちごのように 開くので、その名がある。
八戸には、白銀海岸など有数の漁港・魚市場があるので、 魚は美味しいですよ!! 」

海岸の岩の上にいる、白い色の羽根で、 嘴がするどいのが、ウミネコである。

「 ウミネコは、カモメ科カモメ属に分類される鳥類。
日本に住むウミネコは、周年生息するが、 冬期になると、北海道や本州北部に棲息する個体群は南下する個体が 多い。
全長45センチ、翼開張120センチである。 」

種差海岸の最北部に、蕪島 という、陸続きの小島がある。
島の中央に蕪島神社がある。

「 創建は、永仁元年(1269)で、訪れた時あった社殿は、平成二十七年(2015)に焼失。
現在の社殿は、五年後の令和二年(2020)に再建されたものである。
祭神は市杵嶋姫命(弁財天) で、金運・商売繁盛・漁業安全・ 安産・子宝に御利益があるとされ、最近、人気のスポットになっている。 」

蕪島はウミネコの繁殖地として知られ、 大正十一年(1922)に、国の天然記念物に指定された。
訪れると、神社の屋根や庇などに、ウミネコが密集して並んでいる。
、 空にはおびただしい数のウミネコがかん高い声を発しながら、 空を舞う。
空から、糞が降ってくるので、お参りはあきらめた。

珍味のほや
     白い鳥・ウミネコ      蕪島神社
珍味のほや
白い鳥・ウミネコ
ウミネコに占拠された蕪島神社


◎ 恐 山

下北半島の恐山を目指す。
八戸市は、東北では数少ない工業都市で、大きな工場もある。 
その中を抜けて、市外にでる。
むつ市までは、 太平洋側の道路を進むことにする。
霧がところどころにでていて、見通しが悪く、 また 家も少ない。 
原野が広がるという殺風景が続く。
むつ小川原湖は、ビート(砂糖大根)を造る国家事業で失敗。 
現在は、原子力再処理事業が進められている。 
むつ市へ入ると、そのまま、恐山に向かう。 
森の繁みの中を走る。 
途中、車が数台駐車していました。 
脇に小さな石仏が数体あり、赤い着物が着せられ、 白と赤のブチのエプロンがしてありました。 
少し離れた場所には、やや大きい石仏があり、 「恐山大湊参道第23番観世音菩薩」 とありました。 
ここは、観音信仰で廻るようになっている、札所の一つのようで、 お供えがされていました。
少し走ると、左手に池が見えてきて、ほどなく、恐山に到着。 

「  恐山菩提寺は、宇曽利山湖の湖畔にあり、日本三大霊場の一つである。 
康正二年(1456)、 蛎崎の乱の際、焼き払われ、廃寺となった。
享禄三年(1530)に、円通寺開山の宏智聚和尚が再興した。 
そうしたことから、現在は曹洞宗の寺院で、 本坊はむつ市田名部にある円通寺である。 」

山門をくぐって進むと、一段と高いところに、 「地蔵殿 本尊伽羅陀山地蔵大士安置」 の標札と 「田名部海辺33番観音巡礼33番札所 恐山菩提寺」 とある。
観音信仰のゴールといえる、寺院である。
地蔵堂の先は、死者の菩提を供養するため、 死者の世界・地獄との接点、 黄泉の世界を再現したものである。
以前訪れたときは、建物はほとんどなく、 そこに、赤茶けた大地と、奥に深閑とした湖があるという、 状態で、不気味な世界が出現していました。
今は建物がいくつか建てられ、お参りにきた人が ビニール製の風車をお納いしている。
湖には橋などが造られ、明るい雰囲気である。
そこには、商業主義を感じでた。  

恐山菩提寺地蔵殿
     地獄めぐり      地獄めぐり
恐山菩提寺地蔵殿
地獄めぐり
地獄めぐり


◎ 薬研温泉 ・ 大間

下北半島の恐山の奥に薬研温泉がある。 
大畑町から大畑川を遡り、薬研渓谷をさかのぼると、旅館が数軒見えてきました。 薬研温泉です。 
ここにはこれまで二度泊まった(20年近く前ですがねえ!!)
特に、紅葉のときに泊まった古畑旅館で聞いた、夜中の水の流れる音が印象的で、いまでも憶えている。 
昼間見た紅葉の残像と音が重なりあって、 妙に心に突き刺ったのでしょう。
森深い中にある秘湯である。
ここには、かっぱの湯 という、無料露天風呂 がある。
かっぱの湯は混浴なのでやめて、 男女別の露天風呂がある、夫婦かっぱの湯に行くことに変更。 

「  夫婦かっぱの湯は、薬研渓谷沿いの奥薬研修景公園内にある。
公園には、駐車場とレストハウスがある。
レストハウスには、軽食コーナーや売店があるので便利。 」

湯に入るため、レストハウスの脇から下に降りて行く。 
手前が男子、奥が女子である。 

「  中に入ると、粗末な脱衣所があり、その前に露天風呂がある。
早速、入りました。 
湯槽は、かなり大きいので、多人数が同時に入浴可。 
無色透明の熱い湯が滝のように注がれていた。
お湯が熱く、長くは入っていられない!!
川に面しているので、流水を見ながら身体が冷えるのを待つ。 
水も少しは入れられていたようでしたが、 温度調整する装置や水道施設がないので、 身体を洗うことはできません。 
流し放しのお湯にただ入るだけです ・・・ 
天気は快晴!! 日なたぼっこをしながら入浴しました。
レストハウスは、 何も買わなくても快く休憩させてもらえましたので、感謝感激です。 」

千人風呂として有名なかっばの湯は、 もう少し手前の川の脇にありました。 
付近は、新緑や紅葉の広葉樹林が美しいところです。 
混浴なので、女性は入るのに勇気がいりますが、こちらの方が鄙びて風情があると思います(無料、日の出〜日没 )
(注) 古畑旅館は、現在、名前を変えて、薬研温泉 晃山桜の名で、 営業を続けている。

入浴後、大間に向う。
奥薬研から、大畑川に沿って下り、海側の大畑に出る。
国道279号を北上すると、下風呂温泉郷がある。
そこを過ぎると、大間町に入る。
平成の市町村の大型合併の時、周辺の町・村は合併して、 むつ市になる、選択をしたが、まぐろの町として、 財政が豊かなのが、合併しない道を選択した。
国道から外れて、北に向かうと、大間崎バス停があり、 公園広場には、「本州最北端」と書かれた石柱や、マグロの碑がある。
そして、こちらには「みちのく慕情」の石碑が建っていた。
昭和五十三年(1978)に、歌:天童よしみ,、作詞*滝竜二、 作曲:熊五郎で、発売された、大間崎をイメージして作られた、 歌の「歌謡碑が建っていた。
「元祖 炭火焼専門店 海峡の店」 の看板を掲げた店があった。
国道279号は、大間町役場の三叉路を西に入ると、 大間〜函館間のフェリー乗り場があるところで、終わる。
ここは、北海道と本州の物流の大動脈で、大型トラックが多数蠢いて いた。

レストハウス
     夫婦かっぱの湯      「みちのく慕情」の歌碑
奥薬研修景公園レストハウス
夫婦かっぱの湯
「みちのく慕情」の歌碑


◎ 浅虫温泉

本州最北端の大間から、浅虫海岸までスピードをあげ、吹っ飛ばす。 
落日の写真を陸奥湾で撮るためである。
御陰で、なんとか間に合った。
本日は、浅虫温泉で宿泊する。
旅館の裏側が国道4号、その先に堤防があった。 
カメラと三脚を担ぎ、国道を横切り、堤防に寄って、写した。 
太陽は赤く燃え、撮影条件は良かったのですが、半島の山々がどうしても入ってしまう。 
海に落ちる夕陽の構図は、残念ながら、だめでした。

「  今回の旅では、 「夕映えの海といで湯の里」 というパンフレットを見て、 浅虫温泉に泊まることにしたのである。
泊まっての感想ですが、温泉街は、青函トンネルが開通する前のような活気はないように思えた。 
温泉街がの繁栄するには、温泉旅館全体で、魅力ある温泉街造りに 取り組んでいかないといけないだろう?
浅虫温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉である。

むつ湾の落日
     むつ湾の落日      むつ湾の落日
<むつ湾の落日
むつ湾の落日
むつ湾の落日

訪問日     平成十四年(2002)六月二十九日〜三十日



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