六義園でしだれ桜を見た後、飛鳥山の桜を見に行くことにした。
駒込駅まで引き返すと地下鉄南北線の脇にソメイヨシノが咲いていた。
地下鉄南北線で、王子駅に到着し、北口に出た。
北口から北区役所の方に行ったところで、道が違うと引き返し、
王子神社の山下を通る。
「 王子神社は、王子権現ともいわれ、
紀州熊野三所若一王子が勧請され、熊野信仰の拠点となっていた神社である。
江戸時代、徳川家から保護されたこともあり、
王子の狐で有名な王子稲荷神社とともに隆盛を極めた。
王子 の地名の起こりとなった神社で、古くは 「岸村」 といわれたのが、
「王子村」 になったといわれる。 」
その先には音無川が流れていて、
川に沿って植えられている音無川親水公園の桜が美しい。
タイルで造られた、歌川広重の 「名所江戸百景 王子音無川堰棣 世俗大瀧ト唱」
という浮世絵があった。
「説明板」
「 この川は石神井川で、王子稲荷のあたりでは音無川と呼ばれている。
王子稲荷が、紀州の熊野権現を勧請し、地勢も熊野山を模したことに由来するためで、
川の名前も紀州の音無川に倣った。 」
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しばらく桜を見た後、音無橋の上に階段で登って行くと、
明治通りが通る音無橋交叉点近くに出た。
ここには都電荒川線が通っていて、都電の先に飛鳥山の桜が見えた。
「 八代将軍・徳川吉宗の時代、
江戸近辺の桜の名所は徳川家の菩提寺の寛永寺周辺しかなかった。
吉宗は庶民が花見ができる場所として設けたのは飛鳥山や代官山である。
飛鳥山は、王子権現などを配下にしていた寺院の所有だったが、
幕府は、ここを整備・造成を行い、花見時には庶民に開放、
吉宗自ら飛鳥山に宴席を設け、名所としてアピールを行ったといわれる。 」
平日だが、多くの花見客が来ていた。
奥の方には広場もあり、幼稚園の子供が遊び風景が見られた。
公園の中央部に、佐久間象山の 桜賦碑(さくらふひ) が建っている。
桜賦は、松代藩士で儒学者の佐久間象山の作である。
「「桜の賦碑」は、彼の遺墨をもとに、門弟の勝海舟の意によって、
明治十四年(1881)に建立されたものである。
この賦は、万延元年(1860) 佐久間象山五十歳の作といわれる。
佐久間象山は、
「 桜の花が陽春のうららかな野山に爛漫と光り輝き人々の心を動かし、
日本の全土に壮観を呈し、その名声は印度、中国にまで響き、
清く美しいさまは他に比類がない。 」
といっている。
当時、象山は、門弟の吉田松陰の密出国の企てに連座し、
松代に蟄居中だったので、 「 深山幽閉中で訪れ来る人もないが、
愛国の志は堅く、この名華の薫香のように遠くに聞こえる。 」 と結んでいる。
」
公園にはこのほか、「 老農・船津伝次平 」 の碑や、飛鳥山碑がある。
以上で、飛鳥山公園の探訪は終了した。
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訪問日 平成二十八年(2016)四月一日