六義園(りくぎえん)は、文京区本駒込にある。
山手線の駒込駅で下車すると、数分で六義園の染井門に到着する。
訪れたのは十時二十分過ぎだったが、少し列ができていたので、しばし並んで中に入る。
「 六義園は、五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越城主・
柳沢吉保が、元禄十五年(1702)に築園した回遊式築山泉水の大名庭園である。
吉保は、加賀藩下屋敷だった敷地を拝領すると、
千川上水を引いて、池をつくり、平坦な土地に土を盛って、
山をつくるなどして、七年間かけて、庭園を完成させた。
六義園と名付け、大和郡山藩主になった後も、下屋敷として使用した。
明治時代に入り、三菱の創業者の岩崎弥太郎の別邸になったが、
昭和十三年(1938)に岩崎家より東京市に寄付され、
昭和二十八年(1953)に国の特別名勝に指定された。 」
細い道を直進すると、道の右側に 「千里場 馬場の跡」 の説明板がある。
説明板「千里場 馬場の跡」
「 江戸時代大名庭園内馬場の残された数少ない遺構として貴重である。 」
パンフレットを見ると、
今歩いている道の左右に少し膨らんでいる部分が、
馬場のあった 「千里場」 のようである。
その先、道が細くなって、藤棚のある先に、しだれ桜と多くの人の姿が見えた。
細い道を直進すると、道の右側に「千里場 馬場の跡」の説明板がある。
「 しだれ桜は、高さ十五メートル、幅二十メートルあり、
薄紅色の花が流れ落ちる滝を思い出させる風情である。
期間限定だが、夜間のライトアップした桜は、やや白味を帯びていて幻想的である。
」
この桜の樹齢は七十年と聴いたので、戦後すぐくらいに植えられたのだろうか?
しだれ桜の周囲は見物客で一杯で、人を入れない写真を撮ることはできないし、
木が大きすぎて全体を写すことはできなかった。
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しだれ桜の正面左手にある大きな門は 「内庭大門」 といい、 正門に続いている。
「
六義園の名は、中国の詩の分類法(詩の六義)にならった、
古今和歌集の序にある 「分類の六体」 に由来する。
柳沢吉保自身が撰した六義園記では、
日本風に 「むくさのその」 と呼んでいたが、
現在は漢音詠みで 「りくぎ」 と呼ばれている。 」
池のある方向に向うと、左手奥に、宣春亭と心泉亭の建物が見える。
公園の案内パンフレットの花暦の三月は シダレザクラとコブシ とあったが、
心泉亭横のコブシは盛りを過ぎて、花が落下して、下に白く絨毯のようになっていた。
そのまま進むと池の縁に出る。
「
このあたりを 「出汐湊」、立っている前は 「玉藻磯」 と名が付けられている。
正面右は 「中の島」 という築山で、 「妹山・背山」 と呼ぶらしい。
古くは、女性は 妹、男性を 背と呼び、この中の島は男女の間柄を表現しているという。 」
中央奥に見える茶屋は吹上茶屋で、手前を吹上浜、
その脇にある松が吹上松である。
また、池の中の左にある小さな石組の島は 「蓬莱島」 という。
神仙思想を主題とした石組の一つで、典型的洞窟石組 (アーチ形) の島とある。
赤い毛氈が敷かれた吹上茶屋ではお茶を飲み、休憩している客の姿が見られた。
吹上茶屋の脇にソメイヨシノの花が咲いていたが、
一本だけなのでなぜか貧相な気がした。
この後、つつじ茶屋の脇を通る。
五月にはつづじがさくのだろうか?
その先、右手に山陰橋があり、右手は小高くなっている。
これは人工的に造った三十五メートルの富士見山で、藤代峠もある。
以上で、六義園の見学は終わった。
六義園にはしだれ桜以外にも桜が咲いているだろうと思って訪問したので
、少し期待外れであったが、しだれ桜は立派であった。
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六義園の開園時間は九時から午後五時(入園は四時三十分まで)で、
年末年始を除き開園している。
入場料は300円、65歳以上は100円。
訪問日 平成二十八年(2016)四月一日