早朝に自宅を出て、地下鉄日比谷線の茅場町駅から中目黒駅に向った。
車内は予想に反して空いていた。
「 日比谷線は北千住で東武動物公園まで乗り入れているのに反し、
反対の中目黒は、かっては東急東横線に乗り入れていたが、
渋谷駅で副都心線に乗り入れ、横浜方面に行くように変わったため、
サラリーマンの利用が少なくなったためだろう。
朝が早かったことも一因だが・・・ 」
中目黒には八時前に到着。
早速目黒川へ向うと、桜は満開である。
駅に向う橋の上では通勤途中のサラリーマンやOLが写メールしていた。
「 目黒川は世田谷区三宿から目黒区の池尻大橋、 品川区の戸越を経由し、天王洲アイル駅付近で東京湾に注ぐ約八キロの川である。 三宿から池尻大橋までは暗渠だが、池尻大橋から地表に現れる。 」
目黒川には、
池尻大橋から東急目黒線下の亀の甲橋までの約三千八百メートルの川沿いの両岸に、
約八百本のソメイヨシノが植えられている。
中目黒から池尻大橋まで写真を撮りながら進む。
途中に大きな公園などはなく、公衆トイレがあるだけ
、植え込みにはビール缶や焼酎瓶などが捨てられ、トイレも同様に汚い。
ベンチで休んでいた老夫人に話をうかがうと、
「 ここに越してきて、三十年以上になるが、当時は人出は少なく、
静かに桜を見ることができた。 最近は夜になるとビールなどを片手に花見にきて、
大きな声をあげたり、
飲み終わった瓶などを投げ捨てていくというモラールの悪さが目立ち、
此処を避けて遠回りして帰宅する。
桜の花は以前はもっとピンクだったような気がする。
が古くなったからかしら!! 」
と話してくれた。
しゃくやま橋からの桜は見事に咲き競っていた。
九時を過ぎると中国人か、韓国人か分らないが、通勤客の代わりに、
外国人が現れ、大部分を占めた。
「
桜は日本の象徴であるが、喚声を上げ、自撮り棒で写真を撮りまくる。
橋にせり出した桜をさわろうとする。
枝を折る人がいなかったのはせめての救いで、マナーがよくない。
また、三脚にカメラを付けた中高年の人々は、青空が出るのを待っているのか?、
橋の一部を占拠して動こうとしない。
当日はうす曇りで、桜の上に青空が現れるのはむずかしいと思ったが、
写真をやる小生にはその時を待つカメラマンの気持ちは分るが・・・
じゃまである。 」
橋を離れ、北に向うと少しずつ桜の木の枝数や花数が減り、パッとしなくなった。
代わりに 「目黒川桜まつり」 協賛のピンクと白と提灯が目に入る。
池尻大橋に近づくと、 「 水車跡 大橋1−10 」 という説明板があった。
「 この地域は近くに大山道(現在の玉川街道)が通り、 物資の輸送に便利だった。 三田用水、目黒川の水力にも恵まれていたので、江戸時代から明治時代にかけて、 水車が多くつくられた。 なかでも大橋近くにあった加藤水車が有名だった。 」
川の両岸はコンクリートで護岸され、苔むしているところもあり、
当時ののどかな水車小屋を想像するのはむずかしい。
桜も満開を過ぎて、花びらが水面に流れていく。
少しあるくと大橋に出たが、
その手前に 「清流の復活 目黒川 」 という説明板があった。
説明板「 清流の復活 目黒川 」
「 目黒川の上流は昭和の始めごろは灌漑の水源として、
下流は河口から現在の船入場までは運河として利用されてきたが、
都市の発展や陸上交通の発展とともに水質の悪化や水量の減少が見られた。
平成七年(1995)三月より新宿区上落合にある落合水再生センターで高度処理した再生水を放水し、清流の復活を行った。
」
新宿から目黒まで送水管で繋いで、
目黒川や渋谷川、呑川に流しているというので、すごい工事をしたものだと感心した。
目黒川の桜が注目されるようになったのは清流の復活と関係があるなあと思った。
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訪問日 平成二十八年(2016)四月一日