品川台場は、ペリー率いる米国艦隊への備えとして、東京湾に築かれたものである。
江戸時代の人工海上要塞の貴重な遺構で、国の史跡に指定されている。
続日本100名城の第124番に選定されている。
第三台場は、埋立地である「お台場」地区と陸繋がりになり、
都立台場公園として自由に出入りできる。
お台場海浜公園からは、江戸湾が一望出来、
第三台場とレインボーブリッジの美しい姿を見ることができた。
第三台場に入ると、下部中央にあるのは陣屋跡である。
「
陣屋は、勤番者の居住地として、中心の低地部に建てられていた。
今は建物の基礎部分だけが残っている。 」
南端にあるのは砲台跡である。
「 西洋式築城法により、外周部に築造された砲台である。
現在あるのは、当時の記録を基に、
昭和八年、御台場公園が設置された時に復元されたものである。 」
第三台場とレインボーブリッジ | 陣屋跡の柱列 | 復元された砲台 |
下部にはかまど跡と火薬庫跡がある。
「
周囲には土堤をめぐらせた本瓦葺の建物があったといわれる。
火薬は火災や被弾の危険に備え、数ヶ所に分散して格納されていた。 」
南西角からは人工島が二つ見え、その間を海上バスなどの船が通っていくのが見える。
その島の右、レインボーブリッジに挟まれてある島が、
もう一つの台場、第六台場である。
「
第六台場が当時の姿で海の中にある。
立ち入り禁止になっているため、植物や野鳥の宝庫になっており、
学術的にも貴重な存在になっている。 」
品川台場の見学は以上で終わった。
火薬庫跡 | 第六台場 | 続100名城スタンプ |
(ご参考) 品川台場の歴史
「 品川台場は、嘉永六年(1853)、
ペリー提督率いる米国海軍艦隊の来航を期に、
江戸幕府が、南品川猟師町(品川洲崎)から深川洲崎にかけての品川沖に築いた要塞である。
西洋の築城書や砲術書などを参考にして築造が進められ、
嘉永七年(1854)七月には第一・第二・第三台場が、
十二月には第五・第六台場と、陸続きの御殿山下台場が完成した。
しかし、第四・第七台場は工事半ばで中止された。
完成した六基のお台場は、親藩・譜代と、それに準じる格をもつ大名により、
慶応四年(1868)の幕府崩壊まで、江戸湾防備の基地として、警備が行われた。
お台場は、明治六年(1873) 海軍省の管轄となり、
明治八年(1875)には陸軍省に移管された。
大正四年、東京市に払い下げられ、同十五年、国の指定史跡となる。
その後、未完成だった第四・第七台場は撤去され、
第三、第六台場を除き、その他の台場は埋め立てられ、姿を消した。 」
所在地:東京都港区台場1−10
品川台場(第3台場)へは、ゆりかもめ線お台場海浜公園駅より徒歩13分
りんかい線東京テレポート駅より徒歩約15分
東京都観光汽船「日の出桟橋」に乗り、お台場海浜公園下船、徒歩17分
第6台場には渡る事はできない。