金谷宿は、東に大井川、西に小夜の中山峠と、二つの難所に挟まれて栄えた宿場である。
天保十四年の調査では、宿内人口は四千二百四十一人、家数千四軒を抱える大きな宿場であり、
本陣三軒、脇本陣一軒、旅籠は五十一軒だった。
明治に大井川の川越え業務が終了すると、大量の失業者を出したが、
茶の栽培と製茶業で乗り越えた。
最近はSLのふるさととお茶を宣伝しているところである。
大井川は、駿河国と遠江国の国境なので、東海道の旅は、江戸から四番の遠江国に入る。
堤防上の道を二百メートルほど下流に向かって進むと、右側に、東海道を示す矢印道標があるので、
その反対側の河原が、金谷側の渡し場の跡ということになるが、それを示すものはないようである。
道を右折すると下り坂になった。
道の両側の家は、道よりかなり低いところにあるので、川より低いところに立っていることになる。
道を下って行くと公園があり、 「夢舞台東海道 金谷宿八軒家」 の道標があった。
その先の小さな橋は、東橋 とあるが、 八軒家橋 ともいうようである。
橋のイラストは、蓮台に乗った女性で、その間から川が見えたので、川の水を入れて写して見た。
東橋を渡ると、金谷宿である。
「 金谷宿は、大井川の金谷側の川会所のある金谷川原町と一体経営になっていたようで、川原町が川越業務、金谷宿が宿場を分担していた。
宿場の入口は大代橋を渡ったところからという説もある。 」
新堀川に架かる東橋の手前の道脇に、福寿稲荷大明神が祀られている。
左側は竜神公園で、その一角に、「夢舞台東海道 金谷宿」 の道標が建っている。
「 金谷の地名は、長禄二年(1458)の 「足利義政御判御教書」 に、
「遠江国質侶庄金谷郷」 とあるのが初見。
大田道灌は、「平安紀行」 の中で、 「金谷駅」 と題して、
「 思うかな 八重山越えて 梓弓 はるかき旅の 行く末の夜 」 と、詠んでいる。 」
新堀川を越えたところには、古い家が残っている。
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秋葉神社の前あたりから、左の細い道を入って行くと、慶応四年開創の 「宅円庵」 という寺がある。
寺というと立派な伽藍を想像するが、ここの建物は、民家という程度のものである。
境内に、歌舞伎の十八番 ・ 白浪五人男に登場する、日本駄右衛門のモデルになった男の墓がある。
「
日本駄右衛門は、実在の盗賊・浜島庄兵衛、別名、日本左衛門がモデルという。
この人物は義賊という説もあるが、詮議の目が厳しくなり、もはや逃れられぬと覚悟して、
京都で自首し、江戸に送られて処刑された。
その後、根城にした見付宿(現磐田市)でさらし首になったのを、金谷宿のおまんという愛人が、
ひそかに首を持ち帰り、この寺に葬ったものである。 」
踏切を渡ると、左側に、大井川鉄道新金谷駅がある。
新金谷駅は、今は珍しいSLが走る大井川鉄道の起点で、 SLフアンが多く集まるところである。
奥の操車場には、いろいろに列車があったので、大変楽しかった。br>
PLAZA LOGOは、休憩所や売店になっているようだが、時間が早く開いていなかった。
街道に戻り、大代橋を渡ると、このあたりは、まだ古い家が残っていた。
清水橋の手前には、小さな祠が祀られていた。
橋の上から見ると、川の中に多くの鯉のぼりが吊るされていた。
清水橋を渡ると、その先の交叉点で国道473号に入る。
金谷の中心部で、郵便局や銀行がある。
商店街になったが、この先には、昔い建物は残っていない。
江戸時代には、山田屋・佐塚屋・柏屋の三軒の本陣があったので、探して歩いた。
右側に佐塚書店があるが、佐塚屋本陣跡である。
「 佐塚本陣は、建坪二百六十三坪の本陣で、佐塚佐次衛門が勤めた。 」
その先の右側にある、金谷南地域交流センターと大井川農協金谷支店が柏屋本陣跡である。
「
柏屋本陣を務めた河村八郎左衛門は、庄屋も兼ねていた。
本陣の敷地面積は、二百六十四坪で、間口九間半、奥行四十間の建物に、門と玄関がついていた。 」
残りの山田三右衛門が勤めた山田屋本陣や、 金原三郎右衛門の脇本陣の角屋があった場所は、
残念ながら、確認できなかった。
旅籠が五十一軒もあったというのだから、それらしい家があってもよいのだが、
そうした説明もなかった。
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ここから、緩やかな登り坂となった。
両脇にはお茶を商う店が多い。
大井川に橋が架かったことで、失業した川越人足たちは、
すでに名物となっていた茶の栽培を行うようになったため、明治以降、
大井川周辺での茶の生産は飛躍的に増えていった。
坂道を歩いて行くと、左側にJR金谷駅がある。
右側にJRのガードがあり、ガードの入口に、「夢舞台東海道 金谷宿一里塚」 の
道標が建っている。
金谷一里塚は江戸から五十三番目の一里塚である。
ガードをくぐって、駅の反対側に出る。
右に行けば東海道だが、正面の小高いところに、日蓮宗の長光寺がある。
石段を上っていくと、境内に、芭蕉の句碑が建っている。
「 道のへの 木槿は馬に 喰はれけり 」
寺の裏にまわると、牧之原大茶園で、広大な茶畑が広がっていた。
下に降り、東海道を歩くと。左側に秋葉常夜塔があり、奥まったところに社殿がある。
橋の欄干をよく見ると、「不動橋」 と書いてあったので、不動尊のようだった。
不動橋は金谷宿の京側の入口であるので、金谷宿はここで終わる。
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訪問日 平成十九年(2007)五月二十二日