名所訪問

「 瀬波温泉 」

かうんたぁ。


瀬波温泉は、村上駅の西方の日本海に沿ってある。 

説明板「瀬波温泉の由来」
「 瀬波温泉は、 明治三十七年四月、石油の試掘を中、地下199間(252m)より突然、150度の熱湯 が噴出したのが始まりです。 
岩船興業組合が瀬波温泉株式会社として温泉経営に乗り出し、瀬波噴湯株式会社を経て、現在の瀬波温泉噴湯開発有限会社が、この元湯の管理を行っております。
昭和二十六年(1951)までは自噴しておりましたが、現在はエアーリフト(空気を送る)で、 噴き揚げています。
明治末には、東屋・養真亭・萩野屋・高橋館(大和屋)・吉田屋・丸一・三島屋  の7軒の旅館がありました。
また、昭和12年(1937)2月10日に、与謝野晶子が瀬波温泉に來遊、 養真亭に投宿し、温泉と白砂青松を詠んだ45首の歌を残しております。
昭和47年(1972)5月21日には、全国植樹祭に來県された、天皇皇后両殿下が、 当地で2泊されました。
美空ひばりなど、往年の著名人も多数來湯され、新潟県でも指折りの温泉です。
温泉井戸及び泉質について
源泉名 噴湯(元湯)
噴出地 村上市瀬波温泉2丁目566番地
深度  350m
湧出量  180L/分
揚 湯  エアーリフト方式(空気を送り揚湯する)
泉質  ナトリウムー塩化物泉(アルカリ性低張性高温泉)
泉 温  92℃
臭 味  弱塩味
外 観  極微褐色・透明
PH値  8.9      

県道3号にある、瀬波温泉入口バス停から、海に向かうと、 右側に、野天風呂 湯元龍泉がある。
この施設は四つの露天風呂があり、食事も休憩する設備もあり、 日帰り温泉で、900円で入ることができる。
宿泊設備もある。

小生が泊まったのは、左側の小高いところにある、瀬波グランドホテルはぎのやである。
宿での夕食は、村上牛ステーキとあわびの踊り焼、お造りもおいしく、 日本海の幸を満喫。 
風呂も、展望檜風呂や、異なる四つの源泉風呂を楽しんだ。  

夕食前の散歩を兼ねて外出。
旅館の裏側に、「← 温泉やぐら」 の案内があり、石段を上る。

湯元 龍泉
     はぎのや      「← 温泉やぐら」看板
湯元 龍泉
瀬波グランドホテルはぎのや
「← 温泉やぐら」看板


上ると広場があり、白い小屋と鉄骨の塔があり、その先に白い湯気が噴き揚げていた。
源泉櫓には九十度の湯が入り込み、持参すれば温泉卵をつくることができる。

与謝野晶子の歌碑が建っている。
 「 温泉は  いみじき瀧の  いきほいを  天に示して  逆しまに飛ぶ  晶子
  昭和十二年二月十日  瀬波噴湯場にて    」
高台から海が見えた。
与謝野晶子は、ここで、自噴するお湯が天に向かって、飛び散る様子を詠んでいる。
今は空気を入れてお湯を取りだしているので、湯は飛び出す様子はなく、 湯気のように思えた。

噴湯塔の前に、「与謝野晶子と瀬波温泉」の説明板がある。

説明板「与謝野晶子と瀬波温泉」
「 歌人晶子は、昭和十二年二月十日に來湯し、養真亭(波済健氏経営)に投宿、 來湯の羽賀虎三郎氏(長岡市)が催したお祝いの席に、 井上苔渓(台湾銀行の常任監査役)夫妻、西村伊作(文化学院創始者)夫妻らと共に出席し、 その後、羽賀氏が常宿にしていた、養真亭に招待したものである。
波済氏の晶子來遊記によれば、 「二月十日二時すぎに、養真亭に到着され、 早速、波済氏の案内で、石油櫓を掛けた中に、噴き出して尽きない湯元を見学し、 浜へ出まして、北海に佐渡・栗島を遠望した。 」 と、記しています。
この滞在で、晶子は、噴湯・赤松・日本海を題材に、四十五首の歌を詠んでいます。
(注) この後に、四十五首の歌が書かれていますが、省略します。 」

源泉櫓の脇を百八十一段の石段を登ると奥の院(伊夜日子神社)がある。
階段の脇に、「この上 ↑ 奥の院
 ・ 瀬波温泉街と日本海が一望できます。
 ・ 鳴らすと幸せになれる “龍神の鐘” があります。 」と書かれたボードがあった・

瀬波温泉は、カメラマンに、 「日本海に沈む夕日が素晴らしい」 と人気がある場所のである。
期待して、上っていったが、日本海が一望できることはできたが、 ここから海が遠い。
また、当日は夕日が赤く染まらないかったので、残念であった。 

温泉やぐら
     与謝野晶子歌碑      伊夜日子神社入口
温泉やぐら
与謝野晶子歌碑
伊夜日子神社入口


瀬波温泉へはJR村上駅からバスで10分、瀬波温泉下車

訪問日    平成二十七年(2015)十月二十六日〜二十七日



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