上高地へ車で行く場合、入場制限があるので、「上高地紅葉ツアー」の広告を見て、
バス旅行に妻と参加した。
名古屋から高速道路で、途中、トイレ休憩はあったが、計画時間通りに、
上高地へ到着した。
大正池の近くでバスは停まり、添乗員から地図が渡され、 「 ここから自由行動です。
指定時間までに北方にあるバスターミナルに御集り下さい。 」 というアナウンスがあり、
バスから降ろされた。
最初に大正池へ行った。
大正池は、大正四年(1915)に、活火山である焼山が噴火し、泥流が梓川を堰きとめて、
出来た池である。
池には立ち枯れた木が残り、それが水面から出ていた。
それと、紅葉した山を背景した、この時期の風景が見られた。
その後、場所を変え、持参した望遠レンズで、大正池しの涸沢カールを撮影した。
この後、黄色に色付いた林を歩いて、田代沼に向かった。
田代沼は、小さなもので、正面に見える六百山や霞沢岳などからの伏流水が湧きでているところである。
説明板に、「
池は腐った草が底に沈殿し、少しつづ湿原化している。
昭和五十年の大雨で土砂が流れ込み、池の半分以上が埋まってしまった。 」 とあった。
この後、梓川の河岸を歩く。
この付近にみられるのはシラカンバで、普通、白樺と呼ばれ、木肌が白味を帯びている。
田代橋には多くのハイカーがいて、記念写真を撮っていた。
田代橋を渡り、梓川の対岸に出る。
橋を渡ると、上高地温泉ホテルがあり、そこで昼食を摂った。
この後、梓川に沿って北上し、梓川から涸沢方面が見えるところに出た。
梓川の両側は黄色が主体で、赤はほんの一部である。
上高地の秋は黄色が主体で、赤はほとんどない。
シラカバやハルニレなどの広葉樹の黄葉、
その奥は穂高の山々が夕方の紫色を帯びて沈んでいた。
望遠レンズで、涸沢カールを見ると、残雪があり、残雪の廻りはななかまどが紅葉していた。<
ウエストンレリーフがある。
説明板「ウエストン碑」
「 英国牧師 ウオルター・ウエストンは、明治21年(1888)から
同28年までの日本滞在中に槍ヶ岳や穂高の山々を数多く歩き、
我が国に近代的な登山意識をもたらし、日本山岳会結成のきっかけを作りました。
また、その間の紀行文「日本アルプスの登山と探検(明治29年)」 により、
中部山岳を世界に紹介するなど、その業績は高く評価されています。
ここにあるレリーフは、日本山岳会が昭和12年にウエストンの喜寿(77才)を祝って、
作ったもので、昭和40年にかけなおされています。 」
この後、中部電力株式会社 上高地サービスステーション の前を通る。
梓川に出て、周囲の山を見上げると、上に新雪が残り、その下は赤味を帯びた樹木と
黄色・緑が入り混じり、秋のハーモニーを奏ていた。
今回の旅も終りが近ずく。
梓川沿いの黄葉を目に焼きつかせた。
丸太で組んだ河童橋が現れた。
ここからバスターミナルが近いので、ハイカーより観光客の方が多い。
最後に売店に立ち寄り、カッパのたまごを買った。
訪問日 平成十五年(2003)十月十六日