名所訪問

「 白川郷 」


かうんたぁ。


「 白川郷は、合掌造りの集落として、有名である。
独特の景観をなす荻町集落は、1976年に、国の重要伝統的建造物保存地区に指定された。
また、1995年には、五箇山と共に、合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産に登録された。 


白川郷へは、公共交通手段によるアクセスは弱い。
高山駅や名古屋駅からバスが出ているが、本数が少ない。
訪れる人のほとんどが、団体のツアーか、マイカーによるものである。

小生は高山に訪れた際、レンタカーで訪れた。 
高山西ICから飛騨清見ICを経由し、白河郷ICで降り、せせらぎ公園駐車場に車を停めた。
高山から約一時間を要した。 

せせらぎ公園からであい橋を渡ると、秋葉神社がある。 
このあたりには六軒の合掌造りの家があり、みたらし団子の店や民宿などを営んでいる。 
交叉点をの先は田圃になっていて、その先に鐘楼門があり、 その奥には茅葺き屋根の建物が建っている。 

「 鐘楼門は、約二百六十年前の寛延元年(1748)に創立された 浄土真宗の明善寺の門で、奥に見える建物は本堂で、手前左側にある合掌造りの建物は庫裏である。 」

鐘楼門にある石碑には、 「 鐘楼門は享和元年の建立されたものだが、 鐘は戦後再建されたもの。 
本堂は、文化六年〜文化十年にかけて、高山市の大工により建造された。 」 と ある。 
また、庫裡前の「明善寺 庫裏」の説明板には、「 当村一番大きな合掌造りです。  本堂 築270年以上 庫裏築200年 高さ15m、建物面積100坪・・・ 」 とあった。 」
それにしても、本堂、鐘楼門、庫裡ともに茅葺きである寺は、全国的にも珍しい。

秋葉神社
     合掌造りの家      明善寺
秋葉神社
合掌造りの家
明善寺


庫裏前を直進すると交叉点があり、合掌造りの家を見ながら進む。 
右側の奥まった家は長瀬家である。 

道の脇にある看板には、「 当家の合掌づくりは五代目当主民之助により、明治二十三年(1870)に建造されました。  白川の自然に育まれた 樹齢一五〇〜二〇〇年の天然檜や樹齢三〇〇〜三五〇年という栃、欅、桂等の巨木が使用されております。  五階建て合掌造づくり は三年の歳月と当時の金で八百円、米百俵、酒十一石八斗と白川郷民の結の心で完成したといわれています。
 (中略) 
先祖が加賀百万石前田家の御典医を勤めていたことから、 前田家から拝領した品も多く伝わっております。 (以下略) 」 と、あった。 

しばらく歩くと、右手に車道道があり、上っていくと、 紅葉越しに荻町の町並みが見えた。 

「 合掌造りの家が誕生したのは江戸時代中期以降のようで、 その誕生には養蚕との関わり がある。 
白川郷は、もともと寄棟茅葺屋根が主流だったが、 江戸時代に入り、養蚕業が盛んになると、白川郷では 養蚕スペースを設けるために、 家の構造を三層や四層にして、切妻合掌造りが誕生した、という。 」

合掌造りの家
     長瀬家      荻町の町並み
合掌造りの家
長瀬家
荻町の町並み


頂上には駐車場があり、観光バスはかならず立ち寄る。
ここからの冬の雪が積もった集落が特に人気があり、小生も写真撮影会で訪れたことがある。 
その先の小さな公園の松林の中に、 「ここは萩町城跡(城跡公園)です」 の立札があった。 

近くに、「萩町城址」 の標柱が建っていて、説明板もあった。 

説明板
「 築城年代は未詳ですが、 南北朝の頃、南朝の公家達が隠れ住んだ城といわれています。 
その後、内ヶ島上野介為氏が信州より入り帰雲城を築城しました。 
その時、白川郷に勢力を張っていた正蓮寺(後の照蓮寺)を攻め、 萩の白川郷を掌中にしました。 
内ヶ島の家臣山下大和守氏勝が萩町城を代々の居城としました。
城主氏勝は力が優れ強弓を引いて、 七・八丁距てたヤマミズの木に射ちこんだといわれています。 
氏勝は内ヶ島氏の滅亡 の後、徳川家に仕え名古屋城の築城に献策しました。 」 

城といっても砦のようなものだったのだろうが、その痕跡は残っていなかった。 
萩町城址の下に降りる道を下って行くと、広い道に出た。 
その先の左手に大きな合掌造りの建物は、国の重要文化財に指定されている和田家である。 

「 萩町合掌集落で最大規模を誇る合掌造りで、 江戸時代には名主や番所役人を 務めるとともに、 白川郷の重要な現金収入源だった焔硝の取引によって栄えたという家柄で、 現在も住居として活用しつ つ、一階と二階部分を公開している。  」

萩町城跡
     「萩町城址」の標柱      和田家
萩町城跡
「萩町城址」の標柱と説明板
和田家


中二階にはかっての生活道具が展示されていた。
天井を見ると、材木同志を縄で縛るだけで、合掌造りの家が作られていることが分かった。
小川にかかる小さな橋を二度渡ると、合掌造りの家がある道に出た。 
その先、右手の奥まったところにある家は、神田家 である。

「  合掌造りの家が村外に流失していく姿を見た荻町集落の人達は、 昭和四十六年(1971)、 「 売らない、貸さない、壊さない 」 の三原則を定め、 茅葺屋根の葺き替えに補助金を出したり、民家の外観を壊す改装は行わないようにした。 
その後、国道156号線が改良されたことと連動し、 観光を業とするようになったことで、今日のような多くの合掌造りが残った。 
茅葺屋根の耐久年数は三十〜五十年で、葺き替え工事には三千万円以上かかるといわれるから大変であるが、それ以上の問題は人手確保である。 
葺き替え工事には数百人もの人手が必要なので、村中が協力して役割を分担し、 共同で屋根葺き 作業を行うのが 結 という組織である。 
集落の人口が減ると結が結成できなくなる。 
そうして消えていった集落もあるので、深刻な問題のようである。  」

十二年振りに訪れたが、若い人が民宿やお店をやっているようなので、 白川郷は心配ないのかもしれない。
ここから先は、おだんご屋、民宿、飲食店などを営んで多くの合掌造りの家が残っていた。 
せせらぎ公園に戻り、駐車させていただいた、 蕎麦処脇本 で、ざる蕎麦を食べ、 白川郷を跡にした。 

生活道具
     家のしくみ      蕎麦処脇本
生活道具の展示
家のしくみ(縄掛け)
蕎麦処脇本


名古屋駅からJR特急ワイドビューひだで2時間半高山駅下車、 高山駅から高速バスで約50分白川郷バスターミナル下車すぐ
名古屋駅から徒歩5分の名鉄バスセンターから高速バスで約2時間30分 白川郷バスターミナル下車すぐ
北陸自動車道白川郷ICから国道156号で約5分
東海北陸自動車道荘川ICより国道158号、156号で45分

訪問日    令和三年(2021)十一月二十五日



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