令和5年(2023)11月15日(水)
13時25分大原港発の船に乗る。
それには雲は」あるが、青空である。
それを映してか、朝の海と違い、澄んだ青色であった。
船内は朝は満席であったが、この便は少なく3分の1であった。
ISHIGAKI DOREAM TOURS と書かれた船は石垣港を経由し、50分程で、
竹富港へ到着した。
貸切ワゴン車で、島内を回る。
竹富島は9km南北にやや長い楕円形の平坦部が多い低島である。
サンゴ礁が隆起によりできた琉球石灰岩で構成されているので、
牧畜や農業には適していないため、琉球王朝の時代には税を支払うため、
西表島に通って米の栽培を行ったという歴史があるそうである。
最初に案内されたのは島内西北にあるコンドイビーチである。
竹富島で唯一泳げるビーチで、白い砂浜と遠浅の海は家族連れにピッタリと
いうが、この時期は一人もいない砂浜で、車は浜辺に沿った道を
走り抜けていった。
南下するとすぐに車が停まった。 浜に出ると、浜辺に石が転がっていた。
ここはカイジ浜である。 カイジ浜は星砂の浜として知られているところである。
バスの運転手の説明によると、 「 星砂は、有孔虫(バキュロジブシナ)の殻で、
その成虫か死骸が海により運ばれてきて、堆積したものです。 」 とあった。
手の平に乗せてみたが、極めて小さなものであった。
修学旅行の女子達はグループになって、ワイワイ言いながら探していた。
バスに戻ると、島の中心部に向って走り、竹島観光センターへ連れた行かれた。
「竹富観光」と書かれた牛車に乗せられた。
牛車は歩けば10分〜20分の距離を20分〜30分かけて廻る。
進むのが乗った牛まかせなので、牛によって所要時間が異なる。
利用した牛車は、途中で立ち止まってしまい、所要時間を大幅に延長してしまった。
牛車は西に向って進み、最初の交叉点を右折すると、
島の中央部を貫なる道路に出た。
竹富島の世帯数は180戸、人口は330人で、
集落が三つあり、道の南方は中筋集落で、ほとんどが民家で、商店などがない。
道の右側は東集落、左側が西集落である。
この道は神が通る道といわれ、
白砂が撒かれていて、月夜には白く光って神々しいという。
砂は海砂なので、塩分を含み、草が生えない。
道の左右には亜熱帯の植物が生え、石垣で囲まれた木造家屋が続く。
竹富島の住民協定では、「 建物は木造赤瓦で、木目調の壁であること、
家は石垣で覆われていること。 」 とあるので、
赤瓦と石垣がある木造家屋しか建っていない。
これらの家並は昭和62年(1987)に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
屋根にはシーサー(獅子)が乗っているが、
集落のはずれの家のシーサーはその方向に向いていて、集落を守っている、と
いわれた。
シーサーには座っているシーサーが沖縄本島には多いが、
竹富島のシーサーはおしりを持ちあげているのが多い。
これは家族の繁栄と家族を守ることを祈念したものという。
また、竹富島にはシーサーを造る専門職人がいなかったので、
昔は屋根を葺く瓦職人が造ったため、一戸毎に違っているとのことだった、
コースに史跡があるわけでなく、左右の家を見て、
屋根にシーサー(獅子)が付いているのを確認する程度である。
牛飼いの説明で印象に残ったことを記す。
東部の海は人は利用できず、海に向うには西部の海に歩いて20分で行ける。
、
道の右側の島唯一のスーパーと説明あったのは、平屋のお店で、
「 150円のアイスキャンデーがおいしい。 」 とあったが、
「 営業時間はオバアの気分次第で、そのあたりは沖縄のゆるい文化です。 」 という。
食事処で大きくうまいのが、「かにふ」という店で、島で獲れる伊勢エビが食べられるようである。。
道端に咲いている花や民家にバナナの木があったりしたが、
「 夏には沖縄県の花のデイゴが真っ赤な咲く。 」 といわれたが、
この時期は道端にピンクのブーゲンビリアが咲いていた。
まちなみ館のあるあたりに、記念碑があり、
「 いつもはこのあたりに島猫(放し飼い猫)がいるのだが、
今日はいないね!! 」 とのこと。
大きなガジュマルの木があったが、 「 ガジュマルには赤い髪の男の子の
キジムサーという妖精がいて、それに出逢うと幸福をもたらす。 」 という
伝承があるという。
石垣はサンゴで出来た琉球石灰岩を手積みしたももで、
しっくいやセメントで留めておず、石が重くその重さでバランスが取れているという。
台風が来て風が叩きつけると、石の間の隙間が風の力を弱める働きをする、
という優れもので、琉球人が生活で得たたまものなのだろう。
まちなみ館の駐輪場に「←なごみの塔・西桟橋 西塘御嶽→」の標識がある。
牛飼いの話では 「 竹富島の東部は開けていず、海にはいけない。
海は西方に歩いて20分、西桟橋、コンドイビーチ、カイジ浜が利用できる。 」
といわれた。 なお、西塘御嶽は、琉球王より、最初に「竹富大首里大屋子(頭職))
に任じられた、西塘を祀る御嶽である。
牛飼いがアサトヤユンタを蛇三味線を弾いて歌ってくれたが、
この歌には竹富島で生まれた歌で、歌われた美女・アサドクヤマとこの地に
赴任してきた官民との恋の歌とのことだった。
竹富島にいたのは一時間四〇分、竹富港で船の到着を待ち、
船に乗ると15分で石垣港に着いた。
夕食は730記念碑交叉点を左折したさきにある、そば処まーさん道でとった。
八重山そばとラフテーであったが、どちらもおいしく、満足した。
久しぶりに団体で、一日びっしりのスケジュールだったので、疲れて早寝した。
令和5年(2023)11月16日(木)
今日はツアーではフリーの日で、旅行社からはいくつかのプランが案内されて」いた。
こういう機会でないといけないと思った 「人が住む島では日本最南端の
波照間島へのツアー」を申し込んだが、支払いなどは当日行うとのことだった。
ところが、前日の竹富島から石垣港へ戻り、その日のツアー開催となった時、
添乗員より 「 明日の波照間行きは波が高い予想があり、開催中止となるかもしれない。 その時は、皆さんどうされますか? 」 との話があり、
その場合は小浜島ツアーに参加するという申し込みが多数で、
小生も申しこみをした。
添乗員はその後、海運会社に行き、波照間島ツアー中止が決まったのが19時過ぎで、「 明日の小浜島ツアーの集合時間は10時10分 」 ということも
合わせて、連絡がきた。
昨日訪れた島や小浜島はサンゴ礁の内側にあるのに対し、
波照間島は外洋にあるため、欠航が多いという。
後日調べてみると、この時期は中止になることがほとんどで、
安定して実施できるのは5月ごろのようである。
以上の理由から、今日は小浜島ツアーである。
石垣港で、10時発の 小浜ー石垣 「しぶぁふぬぃに」 に乗った。
小浜港には25分で到着した。
港の待合所でトイレを済ませ、貸切バスに乗る。
小浜島には乗合バスはないので、個人で行く時はレンタサイクルか歩くしか方法が
ないようである。
バスは県道210号に沿って進む。
海から離れると道の左右はサトウキビ畑である。
県道から離れ少し行き右折すると、道に沿って電線が直線に伸びる道にでた。
この道はさとうきび畑の一本道であることから、
シュガーロードという名が付いたという。
この道が有名になったのは、NHK朝ドラ「ちゅらさん」のロケ地になったためである。
右側に黒毛和牛が10頭ほどいた。 現在、小浜島に畜産農家24軒、
牛は750頭飼われている。
小浜島は地下水があるため、稲やサトウキビが栽培できていたが、
黒毛和牛は、石垣牛の名で、高級肉として高値で取引されているので、サトウキビ畑は牛の牧草地に変わり始めているように思えた。
交叉点で右折すると小浜小中学校があった。
小浜島の人口は750人で、観光業が盛んなことから、
人口は増えているとのこと。 小学生が39名、中学生が21名、全校生は60名
である。
集落に入ると、両側に琉球石灰岩で出来た石垣が続いていた。
少し進むと、民家の前で、バスが停車し、運転手より、
「 ここがNHK朝ドラの「ちゅうらさん」 で、
主人公の生家の民宿「こはぐら荘」
として使用されたところです。 」 という説明があった。
建物前の塀の前には、ロケで使用された「こはぐら荘」と書かれた小さな看板があり「 民家なので、立ち入りしないでください。 」 という
立札が建っていた。
この家・大盛家住宅は大正四年(1915)に建てられた、
桁行き五間半、梁間四間半の寄棟造平入りの木造住宅で、琉球赤瓦で葺かれている。
集落を抜け、小道を上っていくと、緊急ヘリ用のエアポートがあった。
車道から逸れ、通るのがやっとという道を上っていくと、数台が停まれる駐車場が
あり、バスはそこで停車した。
運転手から、 「 この先の階段を上っていくと、展望台があります。 」 と
いわれ、下車してぞろぞろとみんなで、300の階段を上った。
上ったところが大浜展望台で、西大岳の頂上である。
ここには「ちゅらさんの碑」 と書かれた石碑があり、各自が写真に収めていた。
ここは小浜港から1700mのところで、
右手には標高99mの大岳(うぶだき)がある。
また、左側には休憩所(東屋)があった。
目の前に見えるのは喜弥真島(かやまじま)で、
ヨナラ水道を挟んで、西表島が見える。
快晴の時は波照間島まで見通せるといわれたが、当日は無理だった。
添乗員の話では、 「 ここは八重山の展望台といわれるほどの一面が見渡せるところで、喜弥真島から西表島までは2kmの距離である。 」 といわれた。
展望台から戻るとバスは坂を下る。
右手に沖縄独特の墓があった。 コンクリート製の格納庫のようなものの前に、
彼岸やお盆で一家集まって食事したり、歌を歌ったりできるスペースがあった。
右手の草叢の間に海が見えだし、小さな漁港に着いた。
島の西側に突き出しているここは細崎(くばざき)で、
沖縄の海人(漁師)が暮らす集落である。
奥に見えるのはマンタの形をした展望台、その下は海人公園になっている。
バスは港から少し走ったところの民宿前で停まり、
右手にある浜に案内していった。
砂浜から奥を見ると、西表島が目の前にあり、
その間の海にはマンタが回遊している、という。
我々以外誰もいないビーチで、離島らしい雰囲気にしばらく浸った。
この後、バスははいむるぶしに向う。
左側に 「はいむるぶし」の看板が見えてきたところで、海側から左の道に入った。
はいむるぶしはヤマハが開発したリゾートホテルで、海側の地を中心に
島内の4分の1、
40万坪の敷地を持つ巨大なリゾート施設である。
はいむるぶしは沖縄語で、南十字星を意味し、世界でも有数のさんごしょうが
広がるプライベートビーチを有する。
現在は三井不動産が経営している。
道に沿って椰子が植えられていた。
その先に星野リゾートの小浜島カントリークラブのハウスがあった。
その先に建物が数棟たっていて、その内の一棟前に停まり、
若い女性3人組が降りた。
運転手は 「 星野リゾートへの客が同乗していたので、はいむるぶしと
星野リゾートリゾナーレ小浜島によったので、
皆様はとくしたね!! 」 とアナウンスをした。
バスが5分程走ると、小浜港に着き、ツアーは終了した。
1時間30分のツアーであった。
添乗員より、 「 帰りの石垣行きの船の出港は13時30分です。
それまで自由行動です。 」 と告げられた。
バスの運転手からは 「 このあたりで食事できるのは二軒で、
ハンバーグ屋は今日は休みなどで、和食の店だけです。 」 と告げられた。
この店に先に降りた人々が向うのを見て、行くのをあきらめた。
小浜島にはスーパーやコンビニはなく、小浜港の待合所に小さな売店があるが、
これというものを売っていないので、石垣島で購入して持参する必要がある。
待合所の近くに東屋があったので、そちらにぶらぶら歩いていった。
小浜港の桟橋は浮桟橋で、ちゅら桟橋の名が付いていた。
高速船・あやぱに号が入ってきたのは13時25分。
なお、船名のあやぱには、カンムリワシの美しい羽根を意味するようである。
案内に従い乗船し、小浜島をあとにした。
石垣港へ着いたのは14時15分を過ぎていたので、
昼食を食べに向う。
730記念碑交叉点の右手に八重山そぼ ゆめのや本店があったので、入った。
小生はゴ―ヤチャンプルと八重山そばを頼み、
同行の娘は八重山そばとじゅうしいを頼んだ。
八重山そばは那覇などの沖縄そばと麺がちがう。
沖縄そばはちじれ麺に対し、ストレート麺である。
もともとは平麺であったが、丸麺が登場すると丸麺=八重山そばという認知
になったようである。
また、ゆでた後、油処理がされるのがラーメンなどの中華麺と異なる。
スープは豚骨のだしにかつおぶし、ほんのり甘みがあるのが特徴である。
ジューシーとは沖縄独特の炊き込みごはんで、
米と豚肉、人参、肘木かまぼこをブタの出し汁で焚いたものである。
750記念碑交叉点には750と書かれた石碑とその前にシーサー一対がある。
750記念碑は1976年7月30日に、沖縄の自動車が右側通行から本土並みの左側交通に
変わってことを記念して建てられたものである。
交叉点から港方面に戻ったところに石垣島プリン本店がある。
プレーン、紅いも、黒蜜、塩など、7種類のプリンがあり、
原料は石垣島で厳選された素材を使用している。
750記念碑交叉点を北に国道390号を行くと、
左側に御菓子御殿があり、交叉点を左折すると
「ユーグレナモール」と書かれたアーケード街がある。
この一帯は石垣市大川で、日本最南端のアーケード商店街である。
この通りはユーグレナモール(中央通り)で、
総延長が256mの商店街であるが、観光客向けの土産店や地元の個人商店などが
並ぶ。
右側にうちなーみやげ館があったので、中に入り、石垣土産の塩ちんすこうなどを
買った。
その先に石垣公設市場があり、半地下階には観光客向けの飲食店と豚肉、鮮魚、
かまぼこなどの市民むけの生鮮食品が売られていた。
2階は石垣市特産品販売センターとTシャッツショップが入居していた。
この北側の通りはユーグレナモール(銀座通り)で、
中央通りに比べ、小さな店が多く、地元客向けの商店街かなあ!! と思った。
まちなか交流館ゆんたくという建物があり、自由に立ち入り休憩できる施設で、
トイレもあった。
昨日と今日と船旅も多かったこともあり、疲れたので、早いがこれで、
石垣市の観光は終了することにして、ホテルに戻った。
当初、夕食に街に繰り出す気になっていたが、ホテル内の施設でよいのではという
ことになり、郷土料理ひるぎに入り、八重山牛などのすしともう1品を頼み、
オリオンビールを飲みながら、食事をして、一日が終わった。
令和5年(2023)11月16日(木)
ツアー最終日である。
ホテルを7時20分に出るので、6時30分に1階にあるレストラン トレアドールで、バイキングによる朝食をとる。
3日間、この食堂を利用したが、品数が多く、味も悪くなく、
これまで体験したツアーの中では上位に位置していたので、満足した。
バスに35分程乗り、到着したのは川平湾(かぴらわん)の駐車場で、
駐車場開門時間の8時を待って、中に入る。
駐車場を出ると、「石垣島特産品販売」の大きな看板がある店前を通り、
浜に向う。
浜には数隻のグラスボートがあった。
これからこの内の一隻で30分程、湾の海底を見てまわるのである。
あいにく空は曇天で、風が吹いている。
沖縄に来て痛感するするのは日の出が遅く、
北海道の釧路に比べると、1時間の時差があるので、
まだ薄暗い。
船は静かに出港し、船長によるアナウンスがあり、船底のガラス面を眺める。
造礁サンゴが群落する海として、サンゴの種類の説明があったが、興味がないので聞き流した。
亀がいるというので、見つけたが、直ぐに画面から消えたので、
写真は映せなかった。
大きな貝の群生は確認できたが、熱帯魚やサンゴ礁に住む小さな魚はあまりいなかった。
以前、沖縄本島のプセナ海中公園で、グラスボートの体験したが、
そちらでは綺麗な海と魚をみることができたので、
そちらの方がお勧めである。
川平湾は、沖縄の本土復帰直後に訪れた時より水質が悪化し、
また、汽水化が進行しているようで、川平の黒真珠の養殖にかなり影響していると、
思った。
浜に戻り、周囲を探索する。
坂を上って行くと、川平湾が一望できる川平公園に出た。
湾口をふさぐように横たわる小島(くじま)を始めとして、
幾つかの小さな島が点在し、潮の満ち引きと日光により、
海の色が変わるようである。
公園茶屋があり、川平観音堂があった。
9時に川平湾を後にして30分走ると、9時過ぎには石垣空港へ到着。
乗る飛行機は10時50分発JL972便であるが、
空港へ入ってくるのが30分程遅れたため、出発時間が大幅に遅くなった。
待合場の近くにある売店で、石垣牛のおにぎりとお茶を買い、機内に入った。
40分遅れて、11時20分石垣空港を離陸。
行きは偏西風の影響で3時間20分かかったが、帰りは2時間50分ですんだ。
14時10分羽田空港大ターミナルに到着すると、
このツアーは流れ解散となった。
沖縄本島と違う亜熱帯の土地に触れられたので、
満足の旅になった。