宇陀の桜めぐり 仏隆寺〜室生寺


2005年4月14日、奈良県宇陀市の桜を探して、旅しました。
又兵衛桜から、仏隆寺、教安寺と廻り、室生寺に。 
その後、西光寺から大野寺を訪れたが、天候に恵まれ、楽しい旅であった。 






最初に訪れたのが又兵衛桜である。 
宇陀市は、平成の合併で、榛原町、大宇陀町、室生村が合併し、誕生した。 
又兵衛桜があるのは旧大宇陀町である。 

この町は、奈良県の北東部にある歴史の古い高原の町で、雄大な自然が今も豊かに残っている。 
万葉の歌人、柿本人麻呂が軽皇子(後の文武天皇)のお伴をして、当地を訪れた時、
「 ひむがしの 野にかぎろひの立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ 」
 と詠んだと伝えられる地で、この歌にちなんで、「かぎろひの里」としても広く親しまれている。

又兵衛桜は、町の中心から少し離れた山間の本郷地区にあった。 
又兵衛桜の名の由来は、大阪夏の陣で活躍した豊臣方の後藤又兵衛が、 可愛がっていた桜という言い伝えによる。 
又兵衛は、豊臣家崩壊後、この地で暮らし、再興 の時を待ったといわれるが、桜はその時の後藤家屋敷跡にある。 
樹齢三百年のしだれ桜で、その脇に植えられている桃の花と調和し、美しく咲き誇っていた。 

又兵衛桜      又兵衛桜      又兵衛桜
又兵衛桜
又兵衛桜
又兵衛桜



国道165号を走り、萩原交差点で右折して、国道369号(旧伊勢本街道)に入り、 しばらく走る。 
榛原高井郵便局の先で左折して、山道を行くと左手にお寺が見えてくる。 
仏隆寺(ぶつりゅうじ)という寺で、 参道脇に千年桜という桜があると聞いたからである。 
仏隆寺は、室生寺を守る四寺の一つで、南門すなわち正面の門にあたり、 嘉祥三年(850)、 空海の高弟、堅恵(けんね)によって創建された寺である。
参道の石段を上って行くと、横に飛び出したような木が千年桜だった。 
石段を登って見上げると、花びらはほとんど見られないが、 望遠で遠くから見ると、一部開花していた。 この木は山桜系である。 
その上の丸くこんもりした桜の木は白い花で満開だった。 
寺院の前には何本かの桜があったが、満開で美しかった。 

千年桜      寺の前の桜      仏隆寺
千年桜
寺の前の桜
仏隆寺



国道に戻り、国道を南下し、弁財天トンネルをくぐる。 
梅坂バイパスには入らず、左の道をとり、左折して県道28号に入りしばらく進むと、室生下田口。県道から左に入るとふるさと元気村があり、教安寺がある。 
寺は無住であるが、桜は咲いていた。 
  北上を続けると室生龍穴神社があった。 名前に興味を感じて立ち寄った。  

「環境庁・奈良県の説明板」
「 龍穴神社は 延喜式(697)内の古社で、雨神タカオカミノカミを祭り、 雨ごいの神として知られています。  神域には龍穴と呼ばれる洞穴があって、いまでも雨ごいの行事が行なわれています。  この神社は室生寺よりも古く、室生寺が龍穴神社の神宮寺ともいわれ、 龍王寺と呼ばれていた次期もありました。 」  

教安寺      教安寺      室生下田口
教安寺
教安寺
室生下田口



神社から室生川に沿って約一キロ下ると、右側に室生寺への赤い橋があった。 
太鼓橋を渡ると「女人高野室生寺」の石標と門がある。 

「 室生寺は、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒のため、 龍神信仰の室生山で行われた祈祷の霊験で快癒されたことから、 天皇の発願で興福寺の僧・賢m(けんきょう)が開基となり、建立された寺である。 
江戸時代に五代将軍綱吉の母、桂昌院が、興福寺から分離させ、発展した。 
女人禁制の高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから、女人高野と呼ばれ、 広く女性の信仰を集めた。 」

室生寺の表門の桜は山桜のようだった。
表門前を右に道なりに進むと、朱塗りの仁王門がある。

太鼓橋      表門      仁王門
太鼓橋
室生寺表門
仁王門



仁王門をくぐり、その先で左折すると鐙坂である。 季節になるとシャクナゲが美しく、 シャクナゲの名所としても知られる。 
鐙坂の石段を上ると、金堂の柿葺(こけらぶき)寄棟造りの屋根が次第に迫り上って見え、 登りきると全貌が見える狭い平地に出る。 
金堂は平安時代前期の建築で、国宝に指定されている。 

「 懸け造りの高床正面一間通りは、江戸時代に追加された礼堂(らいどう)で、 この部分がなかった時代は、堂内の仏像が外からも拝めたという。 
本尊の釈迦如来立像は、金堂5仏の中尊で、高さ238cm。 
均整のとれたかやの一木像で、朱色の衣の流れるような衣紋は、れんぱしきと呼ばれる、 室生寺独特のものである。
板光背に宝相華唐草」の中に七仏を描いている。  」

金堂の奥の桜はかなり大きく、金堂を前景にして、真白に咲き誇っていた。 
金堂からさらに石段を上ると本堂がある。 

「  真言密教の最も大切な法議である潅頂(かんじょう)を修するための堂で、 寺院の中心であることから本堂、あるいは潅頂堂と呼ばれている。 
鎌倉時代、延慶元年(1308)の建立で、国宝に指定されている。 
五間四方入母屋造りで、和様と大仏様の折衷建築様式である。 
安置されているのは如意輪観音菩薩である。 平安時代中期の作で、国の重要文化財。 
穏やかな作風のかやの一木造り。 観心寺・神のう寺の如意輪菩薩とともに、 日本三如意輪の一つと称されている。 」

本堂西側、奥の院への参道を兼ねる急な石段の最上段に優しく立つ五重塔は、高さ約16m。  屋外にある五重塔としては日本で一番小さく、また、法隆寺五重塔の次で古い塔である。 
国宝に指定された塔は台風で傷んでいたが、檜皮葺の屋根や朱塗りの組物が改修されていた。 
五重塔の前にある山桜は風で散り、今や終わろうとしていた。

金堂      本堂      五重塔
金堂
本堂(潅頂堂)
五重塔



室生寺の正面の小高いところに上って行くと、天正八年(1580)開基の西光寺がある。 
小生は車道を走り、遠回りでやってきたが、先程の仏隆寺から山道を歩くとここに至るようで、 この道は仏隆寺から室生寺を結ぶ室生古道である。
現在は無住の寺で、本堂は、四間四面の入母屋造りで、屋根は茅葺だが、 それを亜鉛並板で覆っていた。
境内の桜は、城之山枝垂桜と呼ばれているが、樹齢三百年のコイトサグラである。
小粒のかわいい花をたくさんつける雅なしだれ桜である。 

西光寺      城之山枝垂桜      城之山枝垂桜
西光寺
城之山枝垂桜
城之山枝垂桜



最後に訪れたのは大野寺である。 大野寺は近鉄室生口大野駅から徒歩で5分のところにあった。 

「 大野寺は、古くから室生寺の末寺として、室生寺の西門とよばれてきた寺である。 
白鳳九年(681)、役小角(役行者)が室生寺とほぼ同時に開創した、と伝えられる古刹である。 
天長元年(824)、空海が一堂を建てて、慈尊院弥勒寺と称したが、 後に、地名から大野寺と呼ばれるようになった。 
明治三十三年(1900)の火災で全焼、本尊を始めとする仏像などは持ち出されたが、 現存する建物はすべて火災以後のものである。 」

桜の名所として知られ、境内には樹齢約三百年のコイトシダレ二本とベニシダレ十本があり、 雪柳などの花も咲き乱れていてきれいだった。
宇陀川を挟んで対岸に弥勒磨崖仏がある。 

「 鎌倉初期の承元元年(1207)、興福寺の僧・雅緑僧正の発願で制作が開始され、 同三年に、 後鳥羽上皇のもとで、開眼供養が行われた。 」


大野寺      コイトシダレ桜      弥勒磨崖仏
大野寺
コイトシダレ桜
弥勒磨崖仏



天気は一日中快晴で、雲一つもなかった。 
風もほとんどなく桜撮影には好都合だった。
名古屋からの往復で四百キロ以上走ったので帰宅すると疲れが出たが、 満足できた桜探しの旅だった。




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かうんたぁ。