補陀落山寺(ふだらくさんじ)は、和歌山県那智勝浦町にある、天台宗の寺院である。
青岸渡寺の別院で、境内は、国の史跡「熊野三山」 の一部、
ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参拝道」 の構成資産の一部をなしている。
補陀落は、サンスクリット語で、観音浄土を意味する 「ホータラカの音訳である。
国道42号の那智駅前交叉点で、、山側の道に入ると、右側に補陀落山寺がある。
「 仁徳天皇の治世に、
インドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたという、古刹である。
平安時代から江戸時代にかけて、人々が観音浄土である補陀落山へと、小船で那智の浜から
旅だった宗教儀礼 「補陀落渡海」で知られる寺である。
江戸時代、那智七本願の一つとして、大伽藍を有していたが、
文化五年(1808)の台風により、主要な堂塔は全て滅失した。
その後、長い間、仮本堂であったが、平成二年(1990)に、
室町様式の高床式四方流宝形の本堂が再建された。 」
小屋があり、再現された、渡海船が収蔵されている。
「 平安時代に入ると、観音信仰と浄土信仰が国内に広がったが、その中で、
観世音菩薩が住んでおられるとされる補陀落山は、
熊野の那智山に擬せられ、浄土は熊野の沖 にあるといわれるようになった。
鎌倉時代に入ると、熊野の沖にあるといわれる浄土を目指して、
生きながらに小さな出口のない船で 浜の宮から船出をしたのである。
これを 「補陀落渡海」 という。
船上に設けられた屋形には扉がない。 屋形に人が入ると、出入口に板が嵌めこまれ、
そとから釘が打たれて、固定される。 その屋形の四方に鳥居が建てられる。
これは、「発心門」 「修行門』「菩薩門」 「涅槃門」 を意味していた。
十一月の風が強い日に、曳船に曳航され、沖に出て流されたので、
閉じ込まれた人は餓死か沈没による死亡しかなかった。
」
平安時代から鎌倉時代に六名が渡海の記録が、寺の石碑に刻まれているという。
当初は、信仰心からくる儀礼であったが、戦国時代になると、
庶民への客引きとして利用され、捨身のこころざしのない者を船にいれたことから、
金光坊事件が起きている。
「 寺の住職は六十一歳の十一月になると、
観音浄土をめざし生きながら海に出て往生を願う渡海上人の習わしがあった。
熊野信仰が世に広まると、極楽往生を願う庶民が渡海船の出船にお金をかけるようになり、
金光坊は、周囲から追い詰められ、出発したが、途中で船から逃れ出たが、捉えられて
海に投げ込まれて殺される事態が起きた。
こうしたことをきっかけとして、室町時代には生きたまま入水自殺することはなくなった、という。 」
裏山は、勝山城址で、 その一角に補陀落渡海で亡くなった人の供養碑があある。
お参りをし、御朱印をいただき、寺を出た。
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所在地 和歌山県那智勝浦町浜の宮
JR紀勢本線那智駅より、徒歩5分