根来寺は、和歌山県岩出市にある、新義真言宗の総本山である。
「 根来寺は、一乗山 大傳法院 根来寺 と称し、
今から千三百年前に、役の行者が仏教隆昌の場所として、
葛城二十八所の行場の一つとして、創立し、その後、寛治年間に最初の寺として、
豊福寺の名で、豊福長者の寄進で建立された。
その後、鳥羽上皇の時代の長承元年(1132)に、
院宣によって、付近の荘園と共に、この地を興教大師寛ばん上人に、下賜され、
大傳法院が建てられた。
室町時代には、山内の寺院が二千七百以上、領地七十二万石という、
大名級の勢力となり、鉄砲をいち早く導入し、根来衆徒は強硬で、紀州は独立国の
様相を呈した。
しかし、天正十三年(1585)、豊臣秀吉の紀州征伐により、根来衆は抵抗するも敗退、
大塔と二、三の建物を残して、全山焼失した。
江戸時代の元和九年(1623)、徳川家の援助によって、復興が始まり、
寛政・文化・文政に、大改修が進み、面目を一新して、今日に至っている。 」
根来寺の敷地は、葛城連峰の山腹に位置し、東西20町、南北12町を頂点とする、
三角形の地形で、120ヘクタール(34万坪)の広さである。
大塔を中心として、三十六の峰が続き、菩提谷・蓮華谷・大谷が合流して、
根来川となった一帯の淨域で、四季を通じて、桜・青葉・紅葉が多く、
格別の趣きがある。
駐車場の近くに、不動堂がある。
「 嘉永三年(1850)の再建で、国の重要文化財に指定されている。
八角円堂の奥殿と方形の拝殿の合体構造で、本尊は不動明王である。
保延六年(1640)の乱で、寛ばん上人の命を身代わりとなって助けた不動尊で、
三国一のきりもみ不動と呼ばれるものである。
その先のもみじ谷には赤い橋が架かっている
周囲には楓の樹が多く植えられている。
石段の前には、「新義真言宗総本山 根来寺」 の石柱と、
「紀仙郷県立自然公園 根来寺 」 の木標が建っている。
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石段を上ると、本堂である、大伝法院が見えてくる。
「 大伝法院の建物は 豊臣秀吉の焼討では難を免れたのだが、
秀吉が管理を任せた、京都大徳寺の文蔵主が解体し、京へ移転しようとする。
淀川で差し止められ、お堂の用材はそこで陸揚げされたが、
そのまま放置され、朽ちてしまった、という。
現在の建物は文政十年(1827) の再建で、国の重要文化財に指定されている。
本尊は、大日如来、左脇に金剛さっさ、右脇に尊勝仏頂を祀る。 」
大伝法院の左側にあるのは、大塔である。
「 大塔は、真言密教の教義を形で表わしたものである。
文明十二年(1480)に工事が始まり、天文十六年(1547) に完成と、
半世紀以上かかったとされる、我国最大の木造多宝塔で、国宝に指定されている。
大塔は高さは37m、幅15mの多宝塔である。
多宝塔とは、二重塔のことで、初層の外見は方形だが、内部には円形の外陣がある。
基部には、複数の弾跡がある。
これは、豊臣秀吉の根来攻めの際、火縄銃による弾の跡である。 」
大塔から手前に下ったところに、大師堂がある。
「 大師堂には、真言宗を開宗した、弘法大師空海上人の像が安置されている。
明徳二年(1391)の建立で、秀吉の焼討から免れた建物である。
内部の隅厨子と須彌壇と併せて、国の重要文化財に指定されている、 」
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大師堂から下に下ると、もみじ谷に出る。
左に行き、上ったところに、本坊がある。
本坊は、庫裏・湊御殿・名草御殿・別院で、構成されている。
復元された奥御殿は、紀州徳川家の湊御殿と、名草御殿と別院の三棟である。
庭園は、名草御殿と光明殿の間にある。
庭は代表的な日本庭園として、国の名勝に指定されている。
「 自然の滝と池を取り入れた、池泉式蓬莱庭園(江戸時代の作庭)、 枯山水庭園(江戸時代の作庭)、平安時代の開創よりある、聖天池の三つの庭園で、 構成されている。 」
御朱印をいただいて、根来寺のお参りは終った。
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◎ 根来寺の所在地 和歌山県岩出市根来2286
JR和歌山線岩出駅から岩出巡回バス・東巡回で、根来寺バス停下車(一日4本)
JR和歌山線岩出駅から和歌山バス那智で、根来寺バス停下車。
近畿大学を経由しない便は、岩出図書館下車、徒歩1200m。
南海本線樽井駅・JR阪和線和泉砂川駅から、和歌山バス那智で、岩出駅に乗車し、
近畿大学を経由する便は根来寺バス停下車、すぐ。
経由しない便は、岩出図書館下車、徒歩1200m。