紀三井寺は、名草山の中腹にある西国三十三所の第二番札所の寺である。
「 正式の名称は、紀三井山 護国院 金剛宝寺で、
救世観音宗の総本山である。
境内に、清浄水・楊柳水・吉祥水という三つの井戸があったため、紀三井寺と呼ばれるように
なった、と伝わる。
唐の僧・為光が宝亀元年(770)に、十一面観音像を刻み、草堂を造って安置したのが始まり、
と伝えられる。
平安時代には、後白河法皇により、勅願寺となり、
鎌倉時代には五百人を越える僧がいたが、天正十三年(1585)の豊臣秀吉による紀州征伐で、
寺領は没収された。
江戸時代になり、紀州徳川家が誕生すると、紀州祈祷大道場になる。 」
JR三井寺駅から10分歩くと、「紀三井山護国院」 の石柱が建ち、 石段の先に、国の重要文化財に指定されている、楼門がある。
説明板「 寺伝では、永正五年(1509)、に再建されたもので、
三間一層入母屋造。
下層中央間は扉がなく、開放で、正面両側に仁王像を安置している。 」
本堂までの231段の急な石段を結縁坂という。
山門の前に、「結縁坂のいわれ」 が 書かれている。
説明板「結縁坂のいわれ」
「 その昔、紀の国文左衛門は、若き頃から、信心篤く、母を背負って、この坂を登り、
観音様にお参りをしていました。 途中、草履の鼻緒が切れ、困っているところに、
玉津島神社の宮司の娘のかよが通りかかり、鼻緒をすげかえたのが縁となって、
二人は結ばれ、宮司の出資金によるみかん船で、大儲けをした、という。
紀の国文左衛門ゆかりの、この坂は結縁坂です。
商売繁盛も吉縁成就も、その他何ごとも、先ずは信心からと申せましょう。
観音様に心から願いを掛けましょう。 」
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その先に、「木塚龍王」と書かれた幟がひらめく建物がある。
祭神は大樟で、県の天然記念物に指定されている。
さらに、石段が続く。
小生が訪れた時はこのように歩いたが、今はケーブルカーとエレベーターがあるので、
途中の風景はみられない。
その先に「身代わり大師」の提灯がある、大師堂がある。
石段を)登ると、六角堂がある。
「 寛延年間(1748〜1751)に、初代・二代目雑賀弥左ェ門による造営で、 三十三体の観音像を祀る。 」
その先に、コンクリート造りの仏殿がある。
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更に行くと、桜の木があり、その先に本堂がある。
「 本堂は、宝暦九年(1759)の再建である。
観音堂とも称するもので、入母屋造本瓦葺き、柱間は五間で、千鳥破風を付し、
正面は唐破風、三間の向拝を設ける。
本尊の秘仏十一面観音像は収蔵庫である、仏殿に保管されていて、ここにはないようである。 」
修理中の鐘楼は、安土時代の建設で、国の重要文化財に指定されている。
「 重層袴腰入母屋造、寺伝では天正十六年(1588)、
安部六太郎の再建という。
旧鐘は、文禄・慶長の役で、没収されて筑後国に移されたが、現存しない、という。 」
以上で、記三井寺のお参りは終了。
所在地 和歌山県和歌山市紀三井寺1201
JRきのくに線紀三井寺駅下車、徒歩十分
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