高岡城は、加賀藩二代藩主・前田利長が、
自らの隠居城として、慶長十四年(1609)に築城した城である。
日本100名城の第33番に選定されている。
JR新高岡駅からは少し距離があるが、JR高岡駅からは直線で六百メートル程である。
「
高岡城は、小矢部川と庄川に挟まれた高岡台地上に、築城された。
加賀藩二代藩主・前田利長は、慶長十年(1605)六月、
富山城に隠居したが、四年後の慶長十四年(1609)、 富山城下から出火した火災で、
城内の建築物の大半が焼失したため、魚津城に移った。
大御所・徳川家康と、将軍・徳川秀忠に、 関野の地に築城する許可を貰い、
前田家の客将だった築城の名手・高山右近に、縄張(設計)を頼み、
新たな居城として、六ヶ月で築城するとともに、 城下を整備した。
同年九月に、 関野を高岡と改め、九月十四日、高岡城に入城した。
殿閣は、先代利家が豊臣秀吉から賜った、
伏見城秀次邸跡の良材を使って建てられたとも伝えられる。
慶長十九年(1614)、利長が没したので、隠居城として使われたのは、六年ほどの短さである。
翌元和元年(1615)、一国一城令により、高岡城は廃城となった。
その後は、 加賀藩の米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが置かれ、
高岡町奉行所による、管理下で維持された。
明治維新後は公園に整備されて、今日に至っている。 」
高岡城跡は、古城公園になっている。
敷地は約二十一万u、その1/3は堀である。
「
高岡城は、西南向きに築かれ、本丸を馬出と呼ばれる四つの郭(二の丸・鍛冶丸・明丸・三の丸、)で囲み、
郭を囲う広大な水堀は、本丸西側が一重で、その他は二重である。
本丸の南は、二の丸(西の丸)、北は小竹藪、東側には、南から北へ鍛冶丸・明丸・三の丸が一列に並んでいた。
本丸を他の郭でコの字型に囲む形の縄張りにしたことで、本丸の東と南は堅固に防御された。
南外濠に架かる赤い欄干の駐春橋を渡ると、二の丸跡である。
右手に護国神社があり、慰霊碑が建っている。
護国神社は、本丸跡にある射水神社の末社と、あった。
右手は鍛冶丸跡で、ここには高岡市立博物館が建っている。
高岡城を築城した前田利長の書状などの歴史資料が展示されていて、
日本100名城のスタンプは、本館受付に置かれている。
堀越しに二の丸から本丸への土橋を見ると、本丸の石垣が見えた。
この石垣は築城当時のものという。
二の丸と本丸の間には土橋があり、そこのは西内濠がある.
そこの石垣も築城当時のもので、石に刻印が記されている。
本丸には、射水神社の青銅製の鳥居がある。
「 射水神社は、もとは高岡市の二上山南麓にあった神社で、
式内名神大社、越中国の一宮である。
創建時期は不詳だが、奈良時代以前にあったとされ、
二上山を神奈備とし、太古よりその麓に鎮座したが、
養老元年に、行基が勅命を受けて、二上山麓に別当寺を建立し、
二上神を二上権現と称して祀ったという。
最初は伊也頭国造の祖神とされる二上神だったが、
現在の祭神は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)である。
明治八年に、高岡城本丸跡の現在地に、遷座された。
なお、元の鎮座地である二上山南麓には、二上射水神社がある。 」
遷座時の社殿は、明治三十三年(1900)の高岡の大火で焼失。
現在の社殿は、明治三十五年(1902)に、再建された。
屋根の上に、千木や鰹木が乗っている、神明造の建物である。
本丸北西部には芝生の本丸広場があり、歌碑や現代美術のブロンズ像が点在している。
高岡城には飲水用として数ヶ所の井戸が掘られたが、その内の一つ、本丸の井戸が残っている。
本丸広場の南側には、堀出された高岡城の石垣の石が、十三個並べて展示されていた。
説明板
「 明治初頭に、護岸工事で持ち出されていたもので、
平成十三年に、河床から出てきたものを設置した。 」、
本丸広場の北側には、高岡城を建てた、加賀藩二代目藩主・前田利長の騎馬銅像が建っている。
慶長十四年(1609)九月十三日、高岡城へ入城した晴姿を模したものである。
本丸広場から内濠沿いに東に行くと、赤い欄干の朝陽橋がある。
内濠に浮かぶ中の島には、緑翆亭がある。
その先は三の丸で、民部の井戸がある。
説明板「民部の井戸」
「 高岡城があった頃、越中の飲水用として、数ヶ所に井戸を掘られた。
そのひとつが、体育館横の昔、今枝民部の屋敷があったところの井戸である。
井戸の中でも、最も大事なものだったようで、その後、屋形を建て、今日まで保存されてきた。 」
その先には動物園があり、その周囲には、枡形濠と呼ばれる堀がある。
動物園は明丸だったところだろうか?
その先は鍛冶丸、 そして二の丸跡で、城内を一周したことのなる。
高岡城は市街地でありながら、堀や郭が当時のまま良好に残っており、
近世初頭の政治、軍事の状況や、築城技術を知るうえで、貴重な史跡であるとして、
平成二十七年に国の指定史跡になった。
ただ、建築遺構は現存せず、一部の土塁や石垣・堀や、井戸が残るのみであるが ・・・・
高岡城へはJR北陸本線高岡駅から徒歩10分
訪問日 平成二十九年(2017)九月二十三日