名所訪問

「 法善寺横丁と水掛不動尊  」

かうんたぁ。


法善寺横丁は、大阪市中央区難波一丁目にある、法善寺の門前にある路地で、 老舗の割烹やバー、焼き鳥やなど、大阪ならではのグルメの店が約六十軒ある。
法善寺の西向不動明王は、水掛不動尊として、参拝者が絶えない。 


大阪ミナミの繁華街より、路地に入ると、長さが八十メートル、巾三メートルもない、 石畳の道がある。
この両側にあるのが、法善寺横丁である。

「 法善寺は、浄土宗の寺院で、正式名は 天龍山法善寺 である。
江戸時代の寛永十四年(1637) に、 当時の住職 中誉尊念法師が、  京都宇治から、当地に寺を移転した。
念仏聖の法師は、人々のために、 千日間の及ぶ、 千日念仏回向を行ったので、  大阪ミナミの法善寺一帯の地区は、 千日前と呼ばれるようになった、という。
法善寺横丁の歴史は古く。 江戸中期、 法善寺境内で、  参拝者に商いをする露店が ルーツである。        」

法善寺の入口には、「法善寺」と書かれた門があり、左側に 「西向不動明王」  と書かれた、石柱が建っている。
そこをくぐると、粗末といってもいいと思われる金毘羅堂が建っていて、 右手に、 「不動明王」 の提灯が漣る四阿がある。

「  法善寺は、 昭和二十年(1945)三月の空襲により、六堂伽藍が全て焼失したが、 西向不動明王のみが残っていた。
その後、金毘羅堂と庫裏は再建されたが、本堂は再建できず、  本堂の本尊 阿弥陀如来は、 市内の長圓寺に移され、同寺は法善寺別院となった。
金毘羅堂は、難波が港町であったことから、航海の守り神として、 信仰されてきた。 」 

昆陽寺 山門
   善寺入口    金毘羅堂
法善寺横丁
法善寺入口
金毘羅堂

「不動明王」 の提灯が漣る四阿の中には、苔で見えなくなった西向不動明王があり、  それを多くの若い人達が取り囲んでいた。

「 法善寺の西向不動明王は、 梅田の大融寺、 高浜の清水寺と並んで、  大阪三大不動として、 篤く信仰を集めてきた。
四百年の歴史を持つ法善寺であるが、水掛けの歴史は浅い。
戦後すぐのある日、 一人の婦人が、 お供えされていた、目の前の水を手ですくい、 不動様にかけ、「夢をかなえてください。」 と、すがる思いで御祈りをした。 
これが、 今日まで続く、 「水掛け作法」 の発祥となった。 
不動尊を包む苔は、 願い数だけ広がり、 願いの分だけ、育まれてきました。 」

法善寺の名前を有名にしたのは、 織田作之助の小説「夫婦善哉」 である。
また、藤島恒夫の「月の法善寺横町」は、  今日、 若い人が御参りに訪れる、引き金になった曲である。
甘味処 「夫婦善哉」 は、 水掛不動の脇で、 割烹 「正弁丹吾亭」は、 横丁西口ずぐの角で、 今も営業している。
「夫婦善哉」の暖簾がある店に入り、夫婦善哉を注文すると、  御盆に二つの椀が乗っていて、 椀の中には、一つの白玉団子と御汁粉が入っていた。
二杯で一人前という、ぜんざいであった。

水掛不動
   甘味処 「夫婦善哉」    夫婦善哉
水掛不動
甘味処 「夫婦善哉」
夫婦善哉

訪問日    令和四年(2022)十一月十七日


所在地 大阪市中央区難波1−2−16(法善寺)
地下鉄なんば駅 なんばフォークB16出口から北へ 徒歩1分(法善寺横丁)
地下鉄日本橋駅 なんばフォーク18出口から北へ 徒歩1分(法善寺横丁)      



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