名所訪問

「 上宮天満宮 (じょうぐうてんまんぐう) 」

かうんたぁ。


上宮天満宮は、 大阪府高槻市天神町にある神社である。 
一般には、「うえのみやてんまんぐう」 と呼ばれるほか、 「北山の天神さま」 、 とも称される。
太宰府天満宮 に次いて、 日本で二番目に古い天満宮と称され、  「上宮」 の名も、 創建が京都の北野天満宮より古いことから冠された、 といわれる。


JR高槻駅前に阪急デパートがあるが、その先の交叉点を越えたところに、 大きな鳥居が道を覆ぐように建っている。 この鳥居は、上宮天満宮の一の鳥居である。
その先に進むと、天神町一丁目交叉点があり、、左右の道は県道67号である。
道の対面には石段があり、「上宮天満宮」と書かれた鳥居と常夜燈が建っている。
神社への参道はその先、北に向って続いているが、 この参道が天神の馬場なのだろうか?

「  天神の馬場は、かつては松並木が続いていたといい、 天正十年(1582) の 山崎合戦の際 には、秀吉の本陣が置かれていたところである。 
秀吉は戦勝に感謝し、天正十八年(1590)、神社に土地を寄進し、社殿を修造している。 」

参道はけっこう長く急である。 
上っていくと、「てんじんさま」 と、「」 の幕が掲られた、 コンクリート製の門があり、 そこをくぐると、境内にでた。 
右手に 「式内野身神社」 の石標があり、コンクリート塀に囲まれた中に、 「野身神社」の小さな社(やしろ)がある。
扉に、「野身神社と宿称塚古墳」 と 「車塚古墳」 の説明文が貼られていた。

「 土師器 と呼ばれる素焼きの壺や皿は、祭祀に用いられ、 これらを製作する土師氏を率いる族長が、ノミ(祈み) の スクネ(直の根) と呼ばれ、 神に対する直系の長を意味する。  この日神山 (ひるかみやま) を北端として、 南西一キロ・南に三キロの地域は、 野身郷 と云い、 その族長が葬られ、 連綿と祭祀された。  九二七年に制定され始めての法体系ともいうべき、  延喜式の神社台帳 ともされる 「神名帳」 に記載されている神社を 式内社 とするが、 野身宿称を祀るのは 四社 (三河、尾張、因幡、及び当社)  しかなく、 弊社の原点ともいうべき古社である。  そして、明治十二年以降かなりの間、 この全域は古名野身神社が正式名称であった。  日本書記の説話をもとに、 相撲の神様としての伝承も定着している。
 ■ 車塚古墳
この天神山(日神山)には、南北に四つの古墳が築かれている。
境内に二つの古墳があり、その一つが宿称塚(野身神社)、 
あとの一つは参道を下り、交叉点を左に折れ、急な小坂をあがったところにあり、 前方後円墳とハッキリ解る。 この古墳は、元来、当社境内地であったが、道路建設の為、分断された。  猪狩りの様子をあらわした動物埴輪が並んでいる。 
現在のものは模型であり、 生け捕りの狩は角力(スモウ)の原義を示し、 巫女の角笛も見られ、全国唯一の角笛埴輪である。
立寄って頂き、野身宿祢とのゆかりをしのんでいただきたい。 」 

その先の車道側に、上宮天満宮の説明板がある。

説明板「上宮天満宮」
「 御祭神    武日照命
         野身宿禰命
         菅原道真命
由 緒
日の神 ・ 武日照命 の天降って鎮座された、此れの太古の杜、 日神山一帯は、 弥生人の住居跡として銅鐸も出土し、 南北に並ぶ四古墳のうち、 中央の円墳上には式内古社の野身神社が在る。
此地は、「日本書記」 が古代祭儀としての埴輪や相撲の逸話を記した野身宿禰を、 千数百年も前から斎き祀ってきた、 島上郡野身里 である。  彼の率いる祭祀者一族・土師氏は、 何百年か後に、菅原道真・大江匡房始め、 平安時代に於ける史学、文芸学者たちを次々に生み出すが、  殊に右大臣にまで昇った道真公は、然し その後 天皇廃立に関わったとされ、 九州へ追放される。  その死後、 百年近い頃、 正暦四年(994)に、正一位左大臣の位を遺贈する勅使として、 菅原為理が太宰府へと赴いた。  御霊代など奉じての帰途、 芥川を遡り、 当地の上田部(市役所西)に上陸し、 領主近藤氏の城館に宿った。 ところが、 いざ出立となると輿が動かず、 これを先祖と共に留まりたい霊意と排察して、 里人が日神山上に天満宮本殿を造営し、 改めて 三神を併祭し奉った。 実際の創建はこれより五十年も早く、 京都北野社鎮座以前であり、 全国天神社のうち、 二番目の古社とされている。  戦国の天正年間、 豊臣秀吉は 当社参道「天神馬場」 に本陣を置き、 明智勢を山崎天王山に討った。  その戦勝を感謝して、 後に秀吉は社殿を美々しく修造する。  これは平成八年に事故により失われた。  江戸初期には、 高槻藩主 ・ 永井直清が拝殿を設け、大鳥居も建立、 時の天台座主親王 ・ 天松院宮筆の神額を奉納した。  古来、近郷の三島地方はもとより、 遠く京都、大阪始め、 北攝能勢や北河内方面の崇敬を集め、今に至る。 
例祭 「初天神」 は、 延々と露天の連なる京阪神きっての民衆的大祭である。 」

神社の境内は広く、絵馬堂もあった。
拝殿をくぐった先には、平成十四年(2002)に再建された本殿があったので、お参りをした。
本殿は、平成八年十一月に放火により焼失したが、地元の竹を使い、再建されたという。

説明板「竹の本殿」
「この建物は柱、壁、屋根の殆どが竹でつくられております。  竹はわずか5年で成竹となり、再生可能な木質系資源として、 国連レベルでも注目を集めております。  失われつつある森林は砂漠化の原因ともなり、代替材として期待され、 研究と実用化が進んでおります。 弊社は2ヘクタール8千本の竹林を持ち、その整備と資源活用を通じて、 全国各分野の専門家集団と関わり、世界で始めてとされる竹による外部構築物を完成させ、 建築 ー 行政 ー 環境分野で、反響を呼びました。 10年をメドに屋根の葺替えが予定され、耐用期間の長期化を計っております。 尚、天正十八年(1590年) 豊臣秀吉により建てられた旧本殿は、 平成八年十一月七日深夜、裏山から侵入した少年5人組の賽銭狙いで放火焼失しました。  弊社の諸システム導入による、徹底 「防犯」 体制確立の契機となった出来事です。    」

本殿の前に、一対の狛犬が鎮座している。

説明板「上宮型狛犬」
「 本殿左右一対の狛犬は、 宝暦九年十一月(1759) に、 芥川在の石大工・西田新九郎正義により作られたもので、 高槻市内最古のものである。  細かい技を生かすことが出来る柔らかい砂石を素材にしたこの作品は、 浪速狛犬と、総称される関西圏の多くのものの内、 獅子舞の獅子頭に似た四角い顔と 毛筋を、はっきり表現した、新しいデザインにより、 上宮型狛犬 として主流となった。 その改良型として、 三輪神社(高槻市) の 三輪型狛犬(大明五年・一七八八年) がある。 狛犬はライオンをモデルとしたもので、 大阪商人による寄進を地元有力者が取り次ぐという形で、鎮守社に奉納されたケースが多い。       」

石段を下りていく時、駅方面が見下ろせて、 かなり高いところに建っていることが実感できた。

一の鳥居 x 上宮天満宮の鳥居と常夜燈 x 野身神社 x 宿称塚古墳
上宮天満宮一の鳥居
上宮天満宮の鳥居と常夜燈
野身神社
上宮天満宮拝殿と本殿

訪問日    平成二十二年(2010)九月十二日


所在地 大阪府高槻市天神町
      JR高槻駅より、徒歩7分
      阪急電鉄高槻市駅より15分



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