琉球王国は、琉球王の他、国の宗教を司る、琉球最高神女・聞得大君がいた。
斉場御嶽(セーファウタキ)は、琉球開びゃく伝説にもあらわれる琉球王国の最高の聖地である。
◎ 斉場御嶽(セーファウタキ)
斉場御嶽は、沖縄県南城市にある。
斉場御嶽へは、那覇空港からI那覇東バイパス・県道82号・県道86号・国道331号を通り、
四十分程で、国道に隣接する 「南城市地域物産館」(南城市知念字久手堅539)に到着。
斉場御嶽には駐車場がないので、ここを利用する。 また、入場券(300円)もここで買う。
道路を横断して、左上の坂道を十分程歩くと、入口である 「緑の館・セファ」 がある。
ここで、聖地としての注意点が係員から説明がある。
中に入ると、 「史跡 斉場御嶽」 と、
「世界遺産 琉球王国のグスク及び関連資産 斉場御嶽」 の石碑が立っていて、説明碑もある。
説明碑「琉球王国のグスク及び関連資産群」
「 2000年12月2日、斉場御嶽は、琉球王国のグスク及び関連資産群の一つとして、
「世界遺産条約」に基づく世界遺産リストに登録されました。
(中略)
御嶽とは、奄美諸島から宮古・八重山にいたる南西諸島に広く分布している「聖地」の総称です。
斉場御嶽は、琉球王朝時代に、王府が整備した国家的な宗教組織と関連が深い、
格式の高い祭祀場でありました。
せーふぁ(霊威の高い聖なる場所)の名が示すように、巨岩や聖樹に囲まれた空間には、
首里城内にある部屋名と同じ名前の拝所があり、
当時の王府と斉場御嶽の関わりの深さをみることができます。
琉球最高神女である聞得大君の就任儀礼 「お新下り」 の御名付けが、
この地で行われたということは、王権を信仰面・精神面から支えていた証でもありましょう。
現在でも、聖地巡拝の習慣を残す、東御廻り(あがりうまーい) の聖地として、
参拝客は後を絶ちません。 」
リュウキュウヤナギが植えられているところを通り、順路標識に従って進む。
石畳の上に、木の階段が作られているところにでた。
「↑ 御門口 ウローカー →」 の道標があった。
ウローカーへ行くと、「久高島遙拝所」 の説明板があり、海の中に久高島が見えた。
説明板「久高島遙拝所」
「琉球王国の絶対的な存在である国王はまさに太陽であり、
その太陽があがる方向にある久高島は、東方楽土ニライカナイへの「お通し(遙拝)」所として、
沖縄各地で崇拝されています。
南城市教育委員会」
木の階段を上ると、石畳の道が現れるが、「御門口」 の説明石があった。
「 斉場御嶽の入口で、神社でいえば拝殿にあたる所です。
琉球最高の御嶽ゆえに、ここから入場できるのは王府関係者に限られていました。
右側には御嶽内にある六つの拝所を示す香炉が置かれ、
一般の人々はここで御嶽の中に向って拝みました。 」
御嶽の中には六つのイビ(神域) があり、 かっては王朝関係者以外はここで参拝をしていた、という格式のある御嶽なのである。
道の右角の 「御門口(ウジョウグチ)」 の説明板にも
「ここにある香炉は、御嶽内にある六ヶ所の拝所を表しています。
触れることはご遠慮ください。
南城市教育委員会」
とあった。
香炉とは、説明板の下にある四角な石のことで、この上に線香を置いて神に祈るという、
この地独特のものである。
いよいよ、聖域に入っていく。 石畳は琉球岩で敷かれ、続いていた。
うっそうとした亜熱帯の樹木が茂る中を進む。
道の左側に崖下に空洞があるところに到着した。 大庫理(ウフグーイ) である。
説明石「大庫理(ウフグーイ)
「 首里城正殿の二階は大庫理と呼ばれ、祭祀的な機能を持つ格式の高い場所です。
聞得大君のお新下り儀式での 「お名付け(霊威づけ)」 儀式が、
首里城と同じ名前を持つこの場所でとり行われるのは、
その名にふさわしいことと、言えるでしょう。
前面にある磚(せん)敷きの広間では、神女たちが聞得大君を祝福し、
琉球王国の繁栄を祈りました。 」
道を直進するが、周囲は湿気が多いようで、ふきなどの植物がみっしり生えている。
三叉路で左折すると、右側に 「斎場御嶽の艦砲穴」 の説明板がある。
「 1945年の沖縄戦において、「鉄の暴風」と形容されるほどの砲弾が撃ち込まれ、 終戦直後は沖縄本島内至るところに、艦砲穴といわれる砲弾でできた穴が残っていたが、 大半の艦砲穴は埋められるなどして残っていない。 そのため、沖縄戦の様子を伝える戦争遺跡として保存している。 」
その先にある拝所は、寄満(ユインチ) である。
説明石「寄満(ユインチ)」
「 寄満とは、首里城内にある建物の名前で、国王のために食事を作る厨房を指します。
当時、ここには国内外からの海幸・山幸が集まりました。
それが、 「豊穣の寄り満つる所」 と理解されていたのでしょう。
同じ名前を持つ斎場御嶽のこの場所には、第二次大戦前まで、
その年の吉兆を占う馬の形をした石 (うまぐゎーいし) が置かれていました。 」
寄満とは、王朝用語で、「台所」を意味するが、ここで調理をしたわけではなく、 貿易の盛んであった当時の琉球では、世界からの交易品の集まる 「豊穣の満ち満ちた所」 と、 解釈されている。
三叉路に戻ると、「←寄満 三庫理→」 の道標があり、 三庫理(さんぐーい) に向う。
ここは巨大な石灰岩の山で、自然石や洞穴に囲まれたここ場所には、
いくつもの拝所が集まっている。
崖下中央に貴婦人様御休所がある。
右側の崖の下に、鍾乳石のつららのようなものが、二つぶら下がっている。
下には二つの壺があり、その左には、南城市教育委員会が立てた 「 シキヨダユルアマガヌビー(奥側) アマダユルアシカヌビー(参道側) 」 の説明板がある。
説明板
「 壺は二本の鍾乳石から滴り落ちる 「聖なる水」 を受けるためのもので、
それぞれが、中城御殿 (国王の世子) と、聞得大君の吉兆を占うとともに、
お正月の若水とりの儀式にも使われる霊水でした。 」
左側の三角形の空間の突き当たりが、三庫理(サングーイ) である。
その右側がチョウハナの拝所で、
いずれも首里城内にある場所と、同じ名前を持っている。
現在、コロナ対策の為、中に入れなかったので、拝所は確認できなかった。
また、その先にある久高島遙拝所も、同様で入れなかった。
ここは多くの見学者が訪れていたので、十分な見学はできず、終わった。
帰りに、「斎場御嶽への参道」 という説明板にであった。
説明板「斎場御嶽への参道」
「 この参道は、琉球王国時代の頃に行われた国王による聖地巡礼の儀式である
「東御廻り」 の際、 待垣泊(マチガキドウマイ) から、
斎場御嶽へ向かう道として使用された、といわれています。
参道の中腹には、ウローカー という井泉があり、そこで禊ぎを行ったのち、
斎場御嶽の入口である御門口へと向かいました。 」
この後、南城市地域物産館の南側にある知念岬へ行った。
知念岬は、知念岬公園になっていて、手前に駐車場がある。
知念岬はうみにせり出したところにある。
赤い屋根の東屋からは、太平洋が一望でき、久高島は海の先にかすかに見えた。
遊歩道があり、下には岬が飛び出し、高台になり、橋が架かっている。
心地よい海風に吹かれながら、散策が楽しめる。
海岸線の上には、気持よさそうに、ハンググライダーが飛ぶ姿が見られた。
のんびりした気分で、至福の時間である。
しばしの間、海を眺めていた。
今夜の宿は、ユインチホテル沖縄である。
沖縄では珍しく、温泉があるホテルで、温泉は塩分が濃い泉質であった。
斎場御嶽へは県庁南口から東陽バスの38系統に乗ると乗り換えなしで行ける。
おもろまち駅前から琉球バス58系統に乗り、開南で下車し、
東陽バスの38系統に乗り換えても行ける。
那覇空港または那覇市内から、車で、40分〜50分
◎ 鍾乳洞 ・ 玉泉洞
南城市玉城前川には、おきなわワールド文化王国がある。
広大な敷地に、鍾乳洞の玉泉洞とハブ博物公園など、十の施設が点在している。
その中で、王国村と玉泉洞へ入った。
玉泉洞には、「東洋一洞」 と名付けられている場所がある。
ここには二メートルを越える背の高い鍾乳石が数多く林立している。
天井高20m、幅20m、奥行80mの大広間である。
鍾乳石には化石も混じっていた。
この施設は、見る人に楽しんでもらうためだろうが、
鍾乳石のそれぞれに名前を付けている。
水が池のように溜って、下に流れている所には 「黄金の盃」 と名付けていた。
説明板「黄金の盃(おうごんのさかづき)」
「 この鍾乳石はリムストーンと呼ばれ、高さは25m、外周31mもあり、
このタイプの鍾乳石では日本最大の大きさです。 」
三十分位の見学だったと思うが、見る価値はある、と思った。
ここは南風原南ICに近く、那覇空港にも近いので、
団体客のバスは時間調整にも使われるようで、
以前、会社の社員旅行で訪れた時は、
王国村とハブ博物館の組み合わせで、料金は鍾乳洞の半分だった。
訪問日 令和三年(2021)十月二十九日