名所訪問

「 當麻寺 (たいまでら)  」

かうんたぁ。


當麻寺は、奈良県葛城市にある、 真言宗と浄土宗二宗のの寺院で、中将姫伝説と西方浄土曼荼羅で、有名な寺である。
當麻寺縁起
「 聖徳太子の弟 ・ 麻呂子親王(まろこしんのう)が、 推古天皇20年(612)に、 河内国に萬法蔵院を草創した。 
天武二年(673)、この地が出身の役行者から現在地が寄進され、 王の孫 ・ 当痲国見が、天武十年(681)に、遷造されたと伝えられ、当痲氏の氏寺として栄えた。 白鳳時代から天平時代にかけて、金堂・講堂や東西両塔などの伽藍が完成したと見られ、 現在は、いくつかの塔頭寺院が、その伽藍を守護するかたちをとっている。 
はじめは南都六宗の一つ・三論宗を奉じていたが、弘仁年間に、弘法大師が当寺に参籠して以来、 真言宗になる。 
その後、南北朝時代に浄土宗も入り、現在は、真言宗と浄土宗 二宗を奉じる、 珍しいかたちをとっている。 」 
中将姫伝説と西方曼荼羅、そして、ぼたんで、有名な寺院である。


近鉄当麻寺駅から、十五分程歩くと、交叉点を過ぎた参道の両側には、 食事処や売店があったが、参拝の帰りに立ち寄る店のようである。 
當麻寺の東の入口は石段の上に、仁王門があり、仁王像が鎮座している。
門をくぐると、左手に、塔頭の中之坊と三重塔の東塔が建っている。

「 當麻寺には 、東塔と西塔の二つの三重塔があり、 古代の三重塔が二つ残るのはここだけで、両方とも、国宝に指定されている。
東塔は、奈良時代末期の天平時代に建立されたもので、高さは24.4メートル、 初重三間、二重三重は二間というのは、他塔には見られない特徴である、という。 」

仁王門をくぐると、駐車場の先に、梵鐘堂がある。

「  梵鐘は、白凰期(680年代)のもので、日本最古といわれ、国宝に指定されている。
ひび割れが入っている。  」

 
仁王門
   中之坊と東塔    梵鐘堂
仁王門
中之坊と東塔
梵鐘堂

参道に、「← 當麻寺中之坊」 「當麻寺 本堂・金堂・講堂 拝観受付 ↑」の道標が建っている。
中之坊は参道の左側にある。

「 当麻寺最古の塔頭であり、高野山真言宗別格本山という寺である。 
中将姫が剃髪した寺で、剃髪塚や誓の石などが伝わり、中将姫が削髪したといわれる、 削髪堂がある。 
江戸時代初期に建てられた書院や丸窓席がある茶室があり、 国の史跡・名勝に指定されている、池泉式回遊庭園がある。  」

中之坊の先にも、塔頭が複数あるが、當麻寺は、これらの塔頭により、 共同運営が行われている、という。
その先の左にあるのは金堂である。

「  国の重要文化財に指定されている金堂は、当寺が創建された時は、本堂であった。 
その為、北から見ると、金堂を中心に、講堂が手前に、奥の東西に三重塔が並ぶ配置になっている。 
金堂の建物は、鎌倉時代の寿永三年(1188)に再建(大修理)されたもので、 入母屋造、本川葺き、形行5間、梁間4間、内部は土間で、内部は桁行二間、梁間二間。 亀腹形の仏壇を置き、本尊の塑造弥勒菩薩座像(国宝)が 祀られている。 
弥勒菩薩座像は、白鳳時代の作で、粘土で造られた日本最古のものである。
当寺創建時には本尊であった。 
その他、本尊の御前立として安置される藤原時代の不動明王像や 百済から伝来した伝えられる乾漆四天王像(重文)も祀られている。 」

参道の右側にあるのは、講堂である。

「 国の重要文化財に指定されている講堂の建物は、 鎌倉時代末期の乾元二年(1303)の再建である。 
現在は寺の宝物館になっているといい、藤原時代の国重要文化財指定の、 本尊木造阿弥陀如来坐像、もう一つの阿弥陀如来像、地蔵菩薩像など、多くの仏像が安置されている。   」

(左)塔頭 中之坊
   金 堂     講 堂
(左)塔頭 中之坊
金 堂
講 堂

講堂の先にあるのが、本堂である。

「 またの名は、曼荼羅堂で、国宝に指定されている。
外陣は藤原時代、内陣は天平時代の建立、寄棟造、本瓦葺、桁行七間、梁間六間、 六間の内、奥の三間は内陣、手前を礼堂とし、内陣の 須彌壇 (源頼朝の寄進で、国宝) の上に、 高さ五メートルの厨子(国宝)を置き、本尊の当麻曼荼羅(文亀本)を安置する。
北側の西端に、安置している,十一面観音菩薩は、弘仁時代のもので、重文。
織姫観音」 とも呼ばれ、中将姫を手伝って、連糸曼荼羅を織ったとされる。 
最初は千手堂と呼ばれる小さなお堂だったが、  曼荼羅(まんだら) 信仰の高まりを受けて、千手堂の部材を使用し、当麻曼荼羅をを安置する、 大きなお堂に改造された、と推定されている。
現在は、金堂に代って、当麻寺の本堂になっている。  」

お寺の案内によると、
「 当麻曼荼羅には、阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩を中心に、  極楽浄土の有様を絢爛豪華に描く。 
藤原家の一族の右大臣・藤原豊成の娘・中将姫が、蓮糸で織り表したもので、 その美しい極楽世界を伝えるために、 代々、転写されて受け継がれてきた。 
ここに祀られる転写本は、室町時代の文亀本(重文)と、 江戸時代の貞亨本の二例が現存していて、 そのいずれかが天平時代に造られた、六角型の厨子(国宝)に納められ、本尊として祀られている。 
その原本は国宝で、中之坊に保管され、非公開である。 」
 

薄暗い中に、弘法大師参籠之間もあった。

「  弘仁時代、当寺に真言密教を伝えた弘法大師が、二十一日間、お籠りになった部屋である。 」

本堂近くの池の中に、中将姫の像が建っていた。
本堂で御参りを済ませ、外に出ると、塔頭の護急院がある。

「   護急院は、浄土宗の子院である。
庭園は、牡丹と躑躅が多く、北庭は枯山水、西庭は池泉回遊式庭園、南庭は双塔園と、 三つの庭園がある。 」

本堂(曼荼羅堂)
   中将姫の像    塔頭 護急院
本堂(曼荼羅堂)
中将姫の像
(奥)塔頭 護急院

参道を進むと、その先は一段高いところになっていて、石段の上に、三重塔の西塔が見える。

「 西塔の三重塔は、平安時代初期の建造物で、国宝に指定されている。
高さは、東塔より高く、25.2メートルで、初重三間の三重塔婆で、屋根は本瓦葺である。
相輪は九輪でなく、八輪で、水煙に未敷蓮華(みふれんげ)をあしらっている。
創建当時の二つの塔(東塔、西塔)が揃って残っているのは当寺のみということであった。  」

西塔の右手には塔頭の西南院がある。

「 西南院は、高野山真言宗の子院。
白凰十二年(683)に、当麻寺の裏鬼門を守護する子院として建立された。
西塔の別当である。
入口の看板には、「仏教古寺十八番第八番霊場 西南院庭園(江戸時代 池泉回遊式庭園)  関西花の寺第二十一番霊場」 とあり、庭園は西塔が借景になっている。
また、水琴窟もある。   」

その先に寺務所や「山越阿弥陀如来」を祀る塔頭があり、その奥の石段の上に赤い色の 鐘楼門が建っていて、手前の塀に、「重要文化財 江戸時代初期 奥院 楼門 (奥院正門)」 と書かれた、看板が建っている。

「 鐘楼門は、正保四年(1647) に建立されたものである。
奥院は、「知恩院の奥の院」 とされた、法然上人像(重文)を安置している。
本堂(重文)は、御影堂とも呼ばれ、慶長九年(1604)の再建である。
阿弥陀堂は江戸時代の建築。
大方丈(重文)は、慶長十七年(1612)の建立である。
浄土庭園は、宝池を中心とした、池泉式回遊庭園である。 」

三重塔 西塔
   西南院    奥院 鐘楼門
三重塔 西塔
西南院
奥院 鐘楼門

訪問日    平成十五年(2003)年十一月十三日


(ご参考) 「 中将姫伝説 」 について

鎌倉時代の 「當麻寺縁起絵巻」
「 奈良時代の淳仁天皇の在世に、 横佩大臣(よこはぎのおとど) と言われた、 右大臣・藤原豊成(とよなり)の娘の祈願によって、阿弥陀如来と観音菩薩が、  尼僧と織女に化して、 蓮糸で一夜にして極楽浄土の様子を織り上げた。   それが、現在伝わる綴織(つづれおり)阿弥陀浄土変相図(へんぞうず) 通称 ・ 當麻曼荼羅である。 」 とある。

その後、この話が浄瑠璃や歌舞伎などで、色々に脚色されて、 「中将姫伝説」 として、今日まで伝えられてきた。 
代表的な話としては、

「 豊成の娘 ・ 中将姫は、幼い頃に母を亡くし、継母のいじめに耐える日々を過ごしていた。 
仏心の篤い中将姫は十六歳のとき、深い祈りの果てに、二上山に沈む夕日に極楽浄土の姿を見る。 
彼女は生身の仏を拝したいと祈願し、黒髪を落とし當麻寺に入り、 法如(ほうにょ) という尼となった。 
満願の日が近づいた時に、老尼が現れ、「 阿弥陀仏に会いたければ蓮の茎を集めよ 」 と教えた。 
言われたとおり、蓮茎を集めると、 老尼は茎で糸を織り、五色に染めた。 
すると、織女が登場し、千手堂でその五色の糸を使い、 たちまち、荘厳な浄土の相を表す曼荼羅を織りあげ、 昇天。 
老尼は曼荼羅の絵解きをしながら、 自分は阿弥陀如来、 織女は観音菩薩の化身だ、 と告げて、西方浄土に向った。 
法如(中将姫)は、 人々に曼荼羅を用いて阿弥陀仏の教えを説きつづけ、 二十九歳の時、
二上山の間から来迎する阿弥陀仏、そして、菩薩たちの奏でる妙なる調べと、  かぐわしい香りの中で、 生身のまま極楽往生した。  」


所在地 奈良県葛城市當麻1263
     近鉄当麻寺駅より、徒歩15分。



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