長岳寺は、奈良県天理市にある、高野山真言宗の寺院で、山号は釜口山、
本尊は阿弥陀如来である。
天長元年(824)、淳和天皇の勅願により、 弘法大師が大和神社の神宮寺として創建された古刹である。
日本最古の道といわれる山の辺の道のほぼ中間に位置する。 釜口大師として知られる。
JR柳本駅から東に進み、国道167号を横断すると、長岳寺の看板と、トレイルセンターがある。
その先に、長岳寺駐車場があり、その北に、入口の大門がある。
門をくぐると、城壁のような石垣が続いている。
説明板「釜口山 長岳寺」
「 この寺は、淳和天皇の勅願により、 天長元年(824)六月に、空海(弘法大師)が開基した、
と伝える、真言秘法の大道場として知られ、かっては、本堂の外に五重塔・十羅利堂・
真言堂・経蔵・宝蔵・愛染堂・大師堂・宿堂 及び寺中坊舎四十二坊、外客坊、浴室などがあった。
普賢院記録によれば、嘉禄元年(1225)八月十二日、西大寺の中興、興正菩薩が当寺別院律家霊山院
の靜ひつに、不動弥陀胎蔵秘道場観を受けている。
また、奈良興福寺大乗院門跡の聖信、明応年中には同門跡慈○がそれぞれ本願となっている。
中世には広大な寺領を有し、室町時代の乱世には楊本氏の外護に預かったが、
応仁の乱、また、文亀三年(1502)二月の兵乱に、仏閣は炎上、天正八年(1580)の指出にさいしては
高三百石であったが、秀吉の時に寺領が没収された。
しかし、慶長七年(1602)八月、徳川家康は由緒を尋ね、寺領百石を寄せ、境内地四十五町歩を附し、
以来御朱印地として、明治維新に及んだ。
この寺も、維新の変革で廃絶におよぼうとしたが、民間に深く根ざした大師信仰によって、
寺運をとりもどし、今日に至っている。
現在、長岳寺には、平安時代の楼門、同時代の造像銘のある本尊・阿弥陀三尊像と、
旧地蔵院本堂、庫裏、五智堂、大門などの外、鎌倉時代の石仏等がある。
天理市観光協会 」
拝観料を支払い、寺院へ入ると、正面の石段の上に、国の重要文化財に指定されている、 楼門がある。
「 楼門は、日本最古の鐘楼門であり、弘法大師当時創建当時の唯一の建物である。
上層に鐘を吊った遺構があるので、鐘楼門という。
下層は、室町時代〜安土桃山時代、上層が平安時代の築である。 」
楼門手前の左手に、旧地蔵院がある。
「 かって四十八もあった塔頭で、唯一残った旧地蔵院の遺構である。
寛永七年(1630)の建築で、室町時代の書院造りの様式を残しており、
現在は庫裏として使用されている。 」
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隣の地蔵堂本堂は寛永八年(1631)の建築で、延命殿ともいわれ、普賢延命菩薩を本尊とする
庫裏の持仏堂である。
延命殿・持仏堂・庫裏は国の重要文化財に指定されている。
庭園もあった。
楼門をくぐると、庭がきれいな放生池越しに、本堂が見える。
「 長岳寺は、応仁の乱以降、衰退したが、徳川家康により、寺領百石と境内地四十五町歩が与えられ、今日まで至るが、本堂は、東山天皇の女院の御願により、
天明三年(1783)に再建されたものである。
庭園は放生池を中心とした、浄土式庭園である。 」
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本堂の本尊は、阿弥陀三尊像である。
「 中央が阿弥陀如来座像で、脇侍は(左)観世音菩薩像と、(右)勢至菩薩半跏像である。
藤原時代の仁平元年(1151)の仏像で、玉眼を使用した仏像としては日本最古で、
国の重要文化財に指定されている。
その他、多聞天と増長天像も藤原期のもので、これも重文である。 」
その先には鎌倉時代の十三重石塔があり、その先には地蔵尊が描かれている石仏碑がある。
脇の石段を上ると、左手に大師堂がある。
「 大師堂は、正保二年(1645)の建築で、弘法大師像と藤原時代の不動明王を祀っている。 」
以上で、長岳寺の参詣は終了した。
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訪問日 平成二十二年(2010)三月二十二日
所在地 奈良県天理市柳本町508
JR柳本駅より徒歩20分
近鉄天理駅より、桜井方面行き、
院鉄桜井駅より、天理方面に乗り、
上長岡 長岳寺で下車、徒歩5分