大和神社は、奈良県天理市新泉町星山にある神社である。
創建は崇神天皇七年、延喜式神名帳には、「大和国山辺郡 大和座大国魂神社 三座」 とあり、
名神大社に列し、後に十六社に、白河天皇時代には二十二社の一つになっている古社である。
大和神社は、長柄駅の南南東四百メートル程のところにある。
大和神社の入口には、「大和神社」の看板と、鳥居と常夜燈が建っている。
鳥居の左前に、「官幣大社 大和神社」の石柱が建ち、
右側に神社の由来が書かれた説明板がある。
説明板「大和神社」
「 大和大明神 日本最古の神社 大和神社
ご祭神 日本大国魂大神 ・ 八千戈大神 ・ 御年大神
御由緒
日本大国魂大神は、大地主大神(おおとこぬしのかみ)と申し上げ、
日本の国の土地を司る神で、宮中内に、天照大神と共に、奉斎されていました。
第十代崇神天皇六年に、皇女淳名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)により、
当地に移されたのが、当神社の御創建(2000余年前)
奈良時代には、遣唐使も出発に際し、交通安全を祈願された。
万葉集にもうたわれています。
また、戦中は世界最大を誇った「戦艦大和」 の守護神として、祀られました。
祖霊社に、伊藤整一命外が祀られています。 」
かなり長い参道を歩くと、二の鳥居の先の左側に、増御子神社(ますみこじんじゃ) がある。
「 祭神は猿田彦大神と、天鈿女命(あめのうずめのみこと)である・
猿田彦大神は、天孫降臨の際に、ににぎのみことをこの国へ道案内したと、古事記や日本書紀に記述がある。
このご神徳により、全国各地のご祭礼に際しては、一番先頭に、大神を仰いて、渡御が行われ、
本社の渡御祭にも先駆する天狗が猿田彦大神である。 」
![]() |
![]() |
| ||
その先には高竈神社など、境内には小さな神社がある。
さらに進むと、先程と同じ、説明板があり、明治時代に建てられた、大和神社の拝殿があった。
拝殿の奥に、三つの社殿が見える。
中殿に、日本大国魂大神(倭大国魂大神 − やまとおおくにみたまのおおかみ) を、
右殿に、御年大神(にとしのおおかみ)を、左殿に、八千戈大神(やちほこのおおかみ)、を
祀っている。
「
拝殿と本殿の間には、禁足地である斎庭(神域空間) がある。
日本書記によると、宮中内に、天照大神と同殿同床で、奉斎されていたが、
災害なのが起きるのはそのせいであると恐れられ、崇神天皇は天照大神を大倭国笠縫邑に移して祀りこととし、倭(日本)大国魂大神 は、皇女・渟名城入姫命を斎王として、
これも宮中の外で祀らせることにした。 しかし、 渟名城入姫命は髪が落ち、体はやせて祭祀を
続けることが出来なくなった。 崇神天皇七年、神武天皇の臣・椎根津彦の子孫で、
大倭直の祖である、市磯長屋市を祭主として、新たに神地が定められ、当社が創建された、とある。
奈良時代には、唐に渡る遣唐使や使臣は朝廷の命により、の出発に際し、当社へ参詣し、
交通安全を祈願した。
平安初期までは、天照大神を祀る伊勢神宮に次ぐ広大な社領を得、 朝廷の崇敬
を受けて隆盛したのに、平安遷都や藤原氏の隆盛により衰微し、中世には火災で社領を全て失い、 江戸時代には神仏習合の寺になっていた。 」
大和神社の社殿は、明治初期に再建されたもので、比較的新しいものである。
「 祭神名にちなんだ、「やまと」 の呼び名は、
この地から奈良県全体に広がり、大和国 という名になり、 やがて、日本全体が 倭(やまと) と呼ばれるようになった。
明治に入ると、明治政府の手により、官幣大社となり、寺院造りの建物は壊され、
新たに社殿が造営された。
また、第二次世界大戦では戦艦大和の守護神とされた。 」
境内にある祖霊堂には、同艦の戦没者は合祀されている。
![]() |
![]() |
| ||
訪問日 平成二十二年(2010)三月二十二日
所在地 奈良県天理市新泉町星山
JR桜井線長柄駅より、徒歩5分