大神神社は、正一位に任じられた大和国一の宮で、
三輪山を御神体とする、古代信仰を伝える神社である。
延喜式神名帳では、名神大社に列し、二十二社の一つで、
江戸時代には三輪明神とも呼ばれた。
木々におおわれた境内に、本殿(神殿)はなく、豪壮な拝殿の正面に、
「三輪鳥居」 と呼ばれる三ッ鳥居があり、鳥居越しに、ご神体の三輪山を拝する。
酒の神として信仰を集め、造り酒屋の杉玉はここから授与される。
大神神社は、大和盆地の東南に位置する高さ四百六十七メートルの三輪山を御神体とする原始信仰の形式を伝える神社である。
訪れたのが、初参りであったので、参道の「大神神社」の石柱の脇に、
大きな門松が配置されていた。
神社の由緒書
「 遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)が、 自らの幸魂 (さきみたま)
奇魂(くしみたま)を、三輪山に鎮められ、大物主神 (おおものぬしのかみ)、もしくは、
倭大物主櫛みか魂命(やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと) の御名を以って、
お祀りされたのが、当神社のはじまりである。 」
参道には杉の木が多く植えられている。
神社のパンフレットに、
清少納言の「枕草子」 に、 「 やしろはすぎの御社、しるしやあらむとをかし 」
と 記されているが、古来からこの山の中心は古杉で、 「みわの神杉」 として有名とあった。 』
とあったので、納得した。
神橋を渡る。
日本書紀に、
「 崇神天皇の御代に疫病がはやった。 天皇の夢枕に、三輪の大物主神が現われ、 疫病をはやらせているのは私だという。 大田田根子 (三輪氏の祖) を祭祀主として、大物主神を祀らせれば、 国は安らかになるというので、 すぐに、神主として三輪の神 を祀らせたところ、 疫病はすっ かりなくなった。 」
と書かれていることから、大神神社は紀元前一世紀から存在したことになる。
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橋を渡ると、左側に祓戸神社がある。
「 摂社 祓戸神社
心身を祓い清めてくださる祓戸の四神を祀る。
神社に参拝の際は先ずここを参拝する。 」
左側には夫婦岩があり、その奥にしるしの杉、石段の右手には衣掛け松がある。
「
夫婦岩は、神が鎮まる磐座(いわくら)の一つ。
三輪の神と人間の女性の恋物語を伝える二つの岩が夫婦のように寄り添う。
縁結び・夫婦円満のご利益がある。
衣掛け松は、僧の玄賓(げんぴん)が三輪の神さまの化身の里女に与えた衣が懸かっていたと、
謡曲 「三輪」で謡われた伝説の杉。 今は株だけが保存されている。 」
石段を上がると、右手に巳の神杉がある。
説明板「巳の神杉」
この神木の洞から白い巳(み)さんが出入りすることから、「巳の神杉」 の名がつけられました。
近世の名所図会には、 拝殿前に巳の神杉と思われる杉の大木が描かれてあり、
現在の神杉は樹齢四〇〇年余のものと思われます。
巨樹の前に、卵や神酒がお供えされているのは、
巳さんの好物を参詣者が持参して拝まれるからです。 」
正面に、大神神社の拝殿、右側には勅使殿、左側には勤番所があるが、 正月なので、拝殿の一部の前におみくじ、 勅使殿前はお札交付所が仮設され見えなくなっていた。
「 大神神社の御祭神は大物主神で、配祀は大己貴神と少彦名神である。
大神神社には本殿はなく、四代将軍・徳川家綱が、
寛文四年 (1664)に再建した拝殿の奥にある 「三ツ鳥居」 を通して、
御神体である三輪山を拝するという、上代の信仰の形を今に伝えている。
三ツ鳥居の高さは3.6m、左右の高さは2.6mで、
左右には長さ十六間の瑞垣が設けられ、 優れた木彫り 欄間がはめ込まれている。
三ツ鳥居は、拝殿と禁足地 (神体山の三輪山の特に神聖な場所) とを区切るところに建っていて、
明神型の鳥居三つを一つに組み合わせた鳥居を通じて、神体山を拝むのである。
正三角形に近い形の三輪山は、 倭青垣山や三諸山などと呼ばれて、
神々が宿る神聖な山「 神奈備 」 として、古くから崇められてきた。
拝殿と勅使殿と三ツ鳥居は、国の重要文化財に指定されている。
初詣の祈願は勤番所から入り、拝殿に案内される。
神主の御祓いを受けた後、三ツ鳥居の脇で、御参をする。 」
拝殿の左下には右に参集殿、正面に祈祷殿、左に儀式殿の三つの建物が建っている。
「 これらの建物は、拝殿と三ツ鳥居の修復工事の際、建築されたもので、 平成九年に竣工した。 樹齢千五百年の台湾檜の原木も用いられている。 」
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訪問日 平成十九年(2007)一月九日
所在地 奈良県桜井市三輪1422
JR桜井線三輪駅より、徒歩5分