高天彦神社は、奈良県御所市北窪にある。
県道30号西に入った、金剛山の東麓にある神社で、古代の豪族・葛城氏にゆかりのある神社である。
神社に入る道には、樹齢数百年の杉の老木が数本、道の両側に高く聳えている。
参道には、お百度石や石燈籠がある。
参道に、神武天皇が葛網で土蜘蛛族を捕らえたという蜘蛛族の窟がある筈だが、
どこにあるのか確認できなかった。
大きな鳥居をくぐると、左側に休憩できるところがある。
正面の鳥居の先の石段を上ると、 瓦葺の社殿があった。
「
高天彦神社は、葛城氏の祖神・高皇産霊神(たかみむすびのみこと)と、
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)と、菅原道真公を祀る。
延喜式で最高の社格である名神大社に列せられた神社である。
なお、延喜式神名帳での祭神は一座のみ。
元々は、当地の地主神の高天彦のみが祀れていたと推測できる。
祭神の高皇産霊神は、天地開闢の時、天御中主神の次に、
神皇産霊神と共に、高天原に出現したと古事記に書かれている神様である。
葛城氏は武勇に優れ、大和朝廷に先行する五世紀に、葛城王朝を築き、活躍した。
古代豪族・葛城氏の最高神で、紀記神話の出雲国譲りのための使者を命令した、
高皇産霊神を祀る。 」
この神社には本殿はない。
「 奈良県の西方にある大三輪神社と同様に、
御神体が、神社の背後の円錐形の白雲岳(標高985メートル)であるため、
社殿は遥拝所にあたるからである。
社殿は小さく、簡素でそれほど古いものではない。
火災に遭い建替えられたもので、明治十年(1999)に竣工、
昭和五十二年(1977)に、屋根を石州瓦に替えられた。
その後、ガルバリウム鋼板の屋根に葺きかえられている。 」
境内の狛犬に、蔦で編んだ紐が掛けられていた。
「
金剛山は、古来、葛城山とか、高天山 と呼ばれていたが、
役行者が、金剛山寺を創建してから、金剛山となった。
この山系には鉄鉱石が埋蔵されていたようで、この付近は風がよく吹き、
鉄の精錬が行うのに適していたとある。
葛城王朝の誕生も、それと関係があっただろうし、鴨族が全国進出が果たせたのも、
農機具に鉄が使われるようになったことと関係があるだろう。
金属資源があるところは、イオンがその地を冷やし、オゾンを多く発生させるといい、
この地も森厳(しんげん)な森を形成してきたという。
今日の涼しさもこれと関係があるのだろうか?? 」
神社を後にして道を下ると、左側に駐車場のような広場がある。
右側に、 「史跡高天原」 と、刻まれた石碑が建っている。
社名や神名の「高天(たかま)」は、この一帯の地名でもあり、日本神話にある、
高天原の伝承地とする説が古くからあり、高皇産霊神の神名の転化を由来とする、と記されていた。
「
行基が開創した高天寺があったが、南北朝時代に焼き討ちに遭い、焼けてしまった。
神話では 「 天照大神の御子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に、
高皇産霊神(たかみむすびのみこと) の娘・ 栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと) が,
嫁がれ、その間に生まれたのがニニギノミコトである。
そのニニギノミコトが、高天原から、この国土に降臨された。 」 とあるが、
当地では、太古から神々の住み給うところと信じられてきた 「 高天原 」 は、
高天彦神社の御祭神の鎮まるこの葛城台地だったというのである。 」
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訪問日 平成十八年(2006)八月二十五日
所在地 奈良県御所市北窪158
近鉄御所駅より、奈良交通バス 五条バスセンター行きで11分、
高井戸バス停下車、徒歩約50分
国道24号(京阪和自動車道) 葛城ICより、車で約20分