<名所訪問 伊勢神宮 内宮

名所訪問

「 伊勢神宮 内宮  」  


かうんたぁ。


伊勢神宮の外宮を参拝した後、内宮へ行くには一般的にはバスを利用する。
その場合は、外宮前バス停から乗車する。
小生は歩いて内宮へ向かった。


◎ 伊勢神宮外宮~内宮 

外宮前交叉点を出て、県道32号を歩く。
岡本1交差点で左折して、県道と別れ、次の交差点を右折し、道なりに進む。
小田橋を渡ると、その先はカーブし、 長く続く、 尾部(おべ)坂 である。 
倭町に入り、 倭姫宮(やまとひめのみや) に、立ち寄った。

「  倭姫宮は、第十一代垂仁天皇の皇女で、 豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に代わり、 御杖代(みつえしろ)として、 天照皇大神を祀る宮地を求めて、 諸国を巡幸した倭姫を祀る神社である。 
皇大神宮の別宮になったのは、大正年間なので、伊勢神宮の別宮の中では一番新しい。  」

近いよころにあると思っていたが、入口が遠く、思わぬ時間を食ってしまった。

街道に戻り、坂を上る。 
道は右にカーブする。 
古市郵便局の道の対面には、「 近畿道は御銀―自然歩道、お伊勢さんを感じる道 古市  」 と、書いた道標が建っている。

「 江戸時代、伊勢の古市は、江戸の吉原・京都の島原と、 並ぶ三大遊郭だった。  
全盛期には、 妓楼七十軒、遊女約千人を数えたといわれる。 
今は住宅地になり、その面影はない。 」

やがて、道がなだらかになった。 
右に入ったところに、大林寺 という寺があった。 
その先、近鉄鳥羽線を陸橋で渡る。 
陸橋の手前、右側のお店の前に、  「 油屋跡 旧古市を代表する妓楼 歌舞伎伊勢音頭恋寝刃の舞台 」 と、 書かれた石柱が建っている。

「 伊勢まで苦労を重ねて旅して結果の反動から、 旅人達は解放感に浸り、 妓楼では舞台付の大広間で連夜、伊勢音頭を唄い踊る声が絶えなかった。 
妓楼・油屋で起きた嫉妬殺傷事件は、当時人気のあった歌舞伎の題材となり、 盛んに上演されたようである。 」

陸橋を渡ると、左側に、長峰神社がある。

「 神社の祭神は天岩戸で舞をまったとされる天綱女命である。 
伊勢音頭の遊女や古市歌舞伎役者の祖先として祀られた、といわれる。 」

倭姫宮 x 古市郵便局 x 油屋跡 x 長峰神社
倭姫宮
古市郵便局前道標
油屋跡碑
長峰神社


その先に、 旅館 麻吉の案内看板がある。 
左に入ると、駐車場があり、その先に建物がある。 

「 ここは江戸時代から続く、 今では古市で唯一、昔の面影を残す楼閣として、今もなお営業を続けている。 
江戸時代には、花月楼 麻吉(あさきち) という名の多くの芸妓を抱えたお茶屋で、 1782年の古市街並図に、 麻吉 の名があること、 また、東海道中膝栗毛にも 「 麻吉へお供しよかいな 」 と、登場することから、 二百年以上の歴史があるといわれる。 
実は清水寺のように斜面に建っていて、木造六階建てなのである。 」

街道を進むと、左側に徳川家康の孫・千姫の菩提を弔うため、 創建された 寂照寺 がある。 

伊勢自動車道を渡る手前の大きな交差点角には、 古市参宮街道資料館( 無料、月休 )がある。
その前の道標には、「 内宮まで2.1km 」 とあった。 
また、近くの三条バス停前には、「 月よみ宮さんけい道 」 の道標が建っていた。
時間がないので、寄らなかった。

月読宮(つきよみのみや)
「 月読宮は、 この先、参宮道の左の方向に、  1.2kmのところにある神社 (伊勢市中村町字向垣内、近鉄五十鈴川駅から600m) である。
この神社は、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮で、境内には、月讀宮・月讀荒御魂宮・ 伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮の四つの宮が鎮座している。 
古事記には、 「  黄泉の国に行ってしまった伊弉冉尊(いざなみのみこと)と決別した、  伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、 黄泉の国の穢れを祓うため海水で左目を洗ったら、  左目から天照大御神(あまてらすおおみかみ)が生まれ、  右目を洗ったら右目から月讀尊(つくよみのみこと)が生まれた。 」 とある。 
陰陽道では、天照坐皇大御神が陽であるのにたして、  月夜見尊は陰であり、 陰陽の両方があって、 初めてこの世の中が成り立つと説き、  天照大御神は、太陽神、月讀尊は月の神と対になっている。 

境内の四宮は、それぞれ皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮である。 
■ 月讀宮(つきよみのみや) 祭神は月讀尊(つきよみのみこと)
  月夜見宮にまつられている月夜見尊と同じ。 見えないもの、夜をつかさどる神様である。 
■ 月讀荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)  祭神は月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)
  月夜見尊の荒御魂をまつる。
■ 伊佐奈彌宮(いざなみのみや)祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと) 
  日本の国や山川草木、天照大御神や月讀尊などを誕生させたニ柱の御親神のうちの女性神を祀る
■ 伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)<祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 
  日本の国土や山川草木、天照大御神や月讀尊を誕生させたニ柱の御親神のうちの男性神を祀る

その先は桜木町で、道の右側の大きなの樹の先に、「奉献両宮常夜燈」 と書かれた石碑があった。
その脇に、大正三年建立の大きな常夜燈が二基建っていた。

薄暗くなった牛谷坂を下ると、左側に 「猿田彦神社境内地」 の石柱や、 両宮参拝碑が建っている。 
更に下って行くと右側に、 「宇治惣門跡」 の標柱がある。

標柱の説明文
「 旧参宮街道の牛谷坂と宇治の町並みの間に設けられ、俗に黒門と呼ばれました。 
明治維新までここに番屋があった。 」 

街道に下ると、 黒門橋 がある。
伊勢街道は、その先の宇治浦田西交叉点で、県道32号に合流する。
交差点を左折して進むと、左側に、猿田彦神社 がある。

麻吉旅館 x 古市参宮街道資料館 x 両宮常夜燈 x 猿田彦神社入口
麻吉旅館
古市参宮街道資料館
両宮常夜燈
猿田彦神社入口


猿田彦神社に祀られるのは猿田彦大神である。
本殿は、さだひこ造り と称する特殊な、妻入造で、 欄干・鳥居に、八角の柱を使っている独自の建築である。 

「 日本書記によると、 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨を先導をしたのは猿田彦大神とされ、 古来、交通安全、方位除けの守護神といて、 各地で信仰されてきた。 
天孫降臨を終えた猿田彦神は、 伊勢の五十鈴川の川上に鎮まり、 その子孫は、 宇治土公(うじつちぎみ) として、 伊勢神宮の要職を務め、 猿田彦大神を私邸内に祀ったのが、 猿田彦神社の創祀という。 」

境内には、芸能の神 ・ 天宇受売命(あめのうずめのみこと) を祀る佐瑠女(さるめ)神社がある。

神社の説明板
「 天照大御神が、天岩窟(あめのいわや)に籠られたときに神楽をされ、 大御神が再び現れて平和な世を迎えられた、と伝えられる。 
天孫降臨の際は、 猿田彦大神と最初に対面、 大神が御啓行(みちひらき)の後は 、詔によりともに伊勢に来られ、功により、 媛女君 の称号を受けられました。 」 

神社の前には、「近畿自然歩道 猿田彦神社」 の道標がある。
「おはらい町0.3km」 とあった。 

宇治浦田町交差点を渡り、国道23号に入り、内宮に向かって歩く。 
御神燈が建ち並ぶ道を急ぎ足で歩き、神宮会館を過ぎると、もう少し。 
とうとう、内宮の大鳥居まできた。 

猿田彦神社 x 猿田彦神社本宮 x 佐瑠女神社 x 内宮大鳥居
猿田彦神社
猿田彦神社本宮
佐瑠女神社
内宮大鳥居



◎ 伊勢神宮  内 宮

この鳥居の前は、毎年行われる大学駅伝「熱田神宮から伊勢神宮」で、 ゴールになる場所で、先程まで歩いた内宮からの道はゴール寸前のキツイ坂として、 紹介されている。

内宮を御参りする。
その先には五十鈴川が流れ、宇治橋と一の鳥居がある。
二十年毎に行われる遷宮の際には、社殿だけではなく、鳥居も橋も取り替えられる。
宇治橋は掛け替え工事中で、左側の仮橋に迂回させられた。
工事開始から半年経たので、かなり進捗している様子だった。

「 宇治橋は、長さ百一㍍八十㌢、幅八㍍四十㌢の橋である。
渡り板には、約六百枚の檜が、  すりあわせ と呼ばれる船大工独特の技術で、並べられて作られる。 
宇治橋の渡り始めは、十一月三日で 、旧神領から選ばれた渡女を先頭に全国から選ばれた三代揃いの夫婦らが橋を渡る、という。 」

脇の仮橋を渡り、右折すると神苑で右手に、大正天皇御手植松がある。
左手には、 参集殿が建っている。
直進すると火除橋がある。 
手水社と鳥居があり、その先の右手には、 五十鈴川御手洗場がある。
参詣する前に、心身を清める場所で、小生も五十鈴川で手を清めた。

「 伊勢神宮の誕生は、日本書紀に垂仁天皇の御代に皇女倭姫命を使って、各地を訪れ、 この伊勢の五十鈴川の畔に移したという時に始まる、とあるが、 それはそれまでの伝承に大和政権の誕生における政治的な意図もあったようで、そのまま信じることはできない。 」

御手洗場の北側(手前左上)に、 滝祭神がある。 

「 滝祭神社は、 皇太神宮(内宮)にある境内社で、 滝祭大神を祀っている。
滝祭大神は、五十鈴川の水の神の弥都波能売神(みづはのめのかみ))で、 内宮の中でもここだけは、社殿がない古来の姿をとどめている。  
内宮が出来る前から地元民により信仰されていたという古社である。 」

五十鈴川の対岸には、 「風日祈宮」 という、 風の神を祀る別宮がある。
鎌倉時代の元寇のとき、神風を吹かせて日本を守った、といわれた神である。 

そこを過ぎると鳥居があり、鳥居をくぐると、左側に授与所と神楽殿がある。
その隣にあるのは、五丈殿と御酒殿、由貴御倉などがある。 
左手に石垣が現れ、そこには、 別宮遥拝所があり、籾だね石があった。 

その先、左側の石段の上は、今回の式年遷宮で平成二十五年に新しい正殿が建てられる新御敷地である。 
(注)現在、御正宮になっているが、当時はまだ工事中であった。

工事中の宇治橋 x 滝祭神 x 神楽殿 x 左側の石段
工事中の宇治橋
滝祭神
神楽殿
左側の石段


その先、右側の 御贄調舎 は、お祭の時にお供えするアワビを調理する儀式が行われるところである。 
その反対側に、三十段程の石段がある。
石段を上ると鳥居があり、その先に、廻りを四重の垣根に囲まれた、御正殿がある。
鳥居の先に幕に覆われた板垣南御門があるが、そこから先は撮影禁止である。
御正殿は、 生絹の御幌(御幕)を通してしか、対面できないし、 皇室関係者以外はここで参拝するのである。

「 皇大神宮(内宮)は、垂仁天皇二十五年に、天照大神を当地に祀るため、祠が建てられたのが始まりと伝えられる。 
天武天皇から持統天皇の時代に、現在のような大きな社殿になり、 二十年に一度の式年遷宮もそのころから始ったようである。 
御正殿は、 唯一神明造り の古代様式を伝え、 妻造りの平入で、 萱葺きの屋根には十本の鰹木(かつおぎ)が乗せられ、 東西両端の破風板の先端が屋根を貫いて、千木(ちぎ)がある。
四本の千木(ちぎ)の先端は、水平に切られている、 と警備員から教わった。 」

参拝後、荒祭宮 へ向かう。
左側に稲を納める、 御稲御倉(みしねのみくら) と、 古い神宝を納める外幣殿(げへいでん) がある。
その先には石段を上ると荒祭宮があった。 

「  荒祭宮は、内宮の境内にある別宮の一つであるが、天照大神の荒御魂(あらみたま)を祀っているので、 内宮の次に参拝することになっている。 
社殿は、内宮に準じ、内削ぎ(水平に切られている)の千木と偶数の六本の鰹木を持つ萱葺の唯一神明造の建物である。
他の別宮に比して社殿の規模が大きく、幅二丈一尺二寸、奥行一丈四尺、高さ一丈四尺八寸あり、南に面して建っていた。 」

皇大神宮 (内 宮)の参拝は終わった。 

板垣南御門 x 御稲御倉 x 荒祭宮
板垣南御門
御稲御倉
荒祭宮



◎ おはらい町

伊勢参拝は無事終了したので、おはらい町に寄り、帰ることにした。
内宮大鳥居の脇に、おはらい町がある。 

「 内宮の 門前町として発達してきたこの町は、 明治の初めまでは、多くの御師が存在し、  神宮に代わって、 神楽をあげたところから、「おはらい町」  と呼ばれるようになったという。 
道の両側には、伊勢地方独特の切妻、入母屋、妻入り様式の家屋が建ち並び、 土産物店や菓子屋、旅館として軒を連ねている。 

町の中央部に、 伊勢名物の 赤福本店 があった。

「  建物は、明治十年(1877)の建築であるが、赤福の創業は宝永四年(1707)というから、 今から三百年程前である。 
皇大神宮(内宮)前の五十鈴川のほとりで、 やわらかい餅を晒餡(さらしあん)でくるんだものを、 「赤福」 という名で発売した。 
当初は砂糖が貴重品だったことから、塩味の餡であったが、八代将軍吉宗のさとうきび栽培奨励により、 砂糖が手に入るようになったことから、次第に、 黒砂糖餡を使うようになった。 
現在の白砂糖餡になったのは明治に入ってからと、いう。 」

中に入り、受付で、 赤福セット(350円)を注文すると、 奥の広間に案内された。
すこし待つと、お盆に番茶と赤福餅が三個乗った皿が運ばれてきた。
餅の上の餡に、三筋の線が引かれているが、これは五十鈴川を表したものという。
手作りで、搗きたてなので、うまかった。 
あっという間に、食べ終わり店を出た。 

赤福前の交差点の先には、「おかげ横丁」 がある。
お伊勢さんのおかげ という、感謝の気持を持って、 平成五年に誕生させたという町である。
約二千七百坪の敷地内には、  江戸から明治にかけての伊勢路の代表的な建築物が、 移築、再現されている。
、 芝居小屋を除けば、みやげ店や食べもの屋などのショッピングタウンというものである。 
おかげ横丁に入ると、正面にに見えるのが、芝居小屋で、 芝居小屋の上には、役者絵が挙げられていた。

「伊勢名物 伊勢うどん」 の看板がある店に入った。 

「  伊勢うどんは、やわらかく茹でた極太の麺に、 たまり醤油をベースとした、黒く甘みのあるつゆを、少量かけていただくものである。 
見た目と違い、やわらかくこしがないので、最初食べた時は頼りなく感じた。 
たまり醤油がどす黒くて不気味に感じ、塩からいのでは思ったが、 これまた、予想に反していた。 
見た目と食べた時のギャップが大きいうどんである。

以上で、内宮の参拝は終了である。

おはらい町 x 赤福本店 x 伊勢名物赤福 x おかげ横丁
おはらい町 家並み
赤福本店
伊勢名物 赤福
おかげ横丁 芝居小屋


旅をした日 平成二十一年(2009)三月七日




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