浦戸は、高知市の南西部に位置し、桂浜が有名である。
かって、ここに、長宗我部元親が本城とした浦戸城があった。
浦戸城跡には、現在、国民宿舎 桂浜荘と、県立坂本龍馬記念館が建っている。
(注) 小生が訪問した時、営業していた、国民宿舎 桂浜荘は、令和三年(2021)九月で閉館となった。
龍馬記念館の前方に、 「浦戸城 天主跡石垣」 と書かれた、大きな石碑が建っている。
階段を登ると、 大山祇の鳥居があり、 二つ並んだ祠の脇に、 「浦戸城天守跡」の説明板がある。
説明板「高知市史跡 浦戸城天守跡」
「 現在地は、浦戸城詰ノ段(本丸)北東隅に位置する。
中世の城として珍しい天守跡である。 天守跡は、詰ノ段より7m高く、いびつな台形である。 上部は東西11m、南北15mで、城八幡(手前)・大山祇(奥)の二つの小さな祠がある。 天守跡の斜面には石垣と思われる石が露出している。
なお、北側斜面は、昭和33年(1958)の展望台造成工事で、その一部が削り取られている。
松野尾章行著の「皆山集」に掲げる「浦戸城古城略記」には、
「五間四方」の天守跡が描かれているが、その広さや設置された時代から、
長宗我部元親が築いた天守は三重であったと思われる。
なお、元親が築城した浦戸城の前の城郭である岡豊城には、まで天守は出現していない。
平成七年(1995)11月 高知市教育委員会 」
「詰ノ段」と書かれた木柱の隣に、「浦戸城跡」 の説明板があった。
ここが詰ノ段(本丸)があった場所なのだろう。
説明板「浦戸城跡」
「 戦国時代の土佐を代表する武将・長宗我部元親が、
土佐一国を領有する拠点として、整備した城である。
この地は、浦戸湾の入口に位置し、交通の要衝として重要な地で、
南北朝時代から、この地をめぐる攻防が繰り返されてきた。
戦国時代、 長岡郡本山を本拠地とする本山氏が、高知平野へ進出し、
朝倉城(高知市朝倉所在)を拠点として、その勢力を拡張した際、
ここに城を築いたのが、中世山城として整備されたはじめである。
永禄三年(1560)、 本山氏を破った長宗我部氏は、この城を奪った。
天正十三年(1585)に、 土佐一国の領有が認められて後、
元親は、一時、大高坂城(現・高知城跡のある地) に城を築いたものの治水に失敗し、
天正十九年(1591)頃、再び、この地に移転、滅亡までの約十年間、長宗我部氏の本城となった。
現存する遺構は、天守台跡、詰ノ段、
ここから西へ三ノ段、三ノ下段、堀切及び二ノ段などであるが、中世の山城的な構造をもとに、
詰ノ段を取り巻く土塁配置や天守を備えた点などの近世城郭としての特徴を併せ持つ、
土佐の城郭史上、貴重な遺構といえる。 」
要約すると、 「 浦戸城は、桂浜の北部丘陵、 標高五十九メートルの浦戸山上に築かれ、
土佐湾(太平洋)に面している。
長宗我部氏が改築した浦戸城は、三層の天守がある本丸・二の丸・三の丸・出丸で、構成され、
丘陵北部の浦戸湾岸に、城下町が置かれた。 」ということである。
慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで、 豊臣方についた長宗我部元親の子・盛親は除封され、
土佐一国は、山内一豊に与えられた。
一豊は、浦戸城は狭いため、高知城を築城し、慶長八年(1603)に高知城に移り、
浦戸城は廃城となった。
山内氏による高知城築城の際、浦戸城の資材が使われ、
また、国民宿舎桂浜荘と坂本龍馬記念館が建築されたこともあり、
城跡には、 本丸石垣の一部と、二ノ丸付近に、三条の堀切が僅かに残るのみである。
桂浜荘の右手(東側)は、桂浜公園である。
その一角に、大町桂月の記念碑がある。
説明板「大町桂月記念碑」
「 大町桂月は、高知市の出身の文人、名は芳衛、画号桂月は月の名所桂浜に因み、
桂浜月下漁郎を縮めたもの。
(中 略)
終生 酒と旅を愛し、酒仙とも、山水開眼の士とも称された。
(中 略)
この碑の側面に刻まれた、
「 見よや見よ みな月のみのかつら浜 海のおもよりいづる月かげ 」 の歌は、
大正7年、38年ぶりに故郷の地を踏んだ桂月が、実弟子の田中○葉とこの桂浜に遊んだ
折の作である。 」
桂浜荘の右手(東側)は、桂浜公園である。
その公園に入り、北東に進むと、坂本龍馬の銅像がある。
「
坂本龍馬像は。昭和三年(1928)に、募金活動資金で、完成したという。
坂本龍馬は、 太平洋に向って、 日本の未来を語ったといわれることから、
太平洋に向って建てられている。 」
展望台には「桂浜」と書かれた石碑があった。
太陽は既に沈み、空をわずかにピンクに染めていた。
公園の東側の下に、広がるのが、 桂浜である。
ここから見る桂浜はパロラマのように広がっていた。
「 桂浜は、日本の渚百選、四国八十八景第6番で、
四国を代表する観光地である。
また、桂浜は、昔から 月見の名所として知られ、毎年、仲秋の名月の夜、
地元出身の歌人・大町桂月を偲び、「名月酒供養」が行われる。 」
下に降りて、桂浜を歩くと、その先にこんもりとした岩が、海に向って、突き出ている。
ここは桂浜の端で、岩に向って、金属製の柵があり、階段の上には鳥居がある。
登って行くと、赤い小さな祠があった。
傍らに、「海津見神社
海津見大神を斎り
海・漁業・商業の
神として崇敬あつめ
桂浜龍宮さまの愛を
もって世に知られる
祭日 旧三月十五日 」の 四角の石碑がある。
(注) 下の部分が地中に埋まっていたので、下の部分は推定したものである。
なお、桂浜の反対側は浦戸湾で、船の出入りが見られた。
以上で、浦戸の見学は終了である。
浦戸(高知市桂浜) へは、JR土讃線高知駅からバスで40分
旅をした日 平成二十一年(2009)三月二十六日