金沢城は、あまり堅固な城とは言えず、
有事の際は城下町にて、敵を迎え撃つため、軍事拠点として、多くの寺が建立された。
そのうちのひとつが、日蓮宗の正久山妙立寺である。
妙立寺は金沢城を守る寺町にある前田家の菩提寺で、別名は忍者寺である。
妙立寺は、金沢城の左下の犀川の先にある。
拝観は予約制で、館内は撮影禁止であった。
二十人位のグループで見学するので、
予約時間までに訪問して、案内人による説明を聞くことになる。
「 妙立寺は、加賀藩三代藩主・前田利常が、寛永二十年(1643)、
金沢城近くから、当地に移築し、建立した寺である。
利常は、徳川家から嫁を迎え、母親を人質に出し、鼻毛を伸ばして、馬鹿殿様を演じ、
幕府を安心させる一方で、
多くの武士が、起居できる寺院群を現在の寺町に新築した。
その中心に、監視所の役割を持つ妙立寺が建立された。 」
見上げるような屋根・望楼・多くの隠し階段・切腹の間など、 種々の仕掛けがあるので、忍者寺の通称を持つ。
「 初代藩主・前田利家が、金沢に入城して間もないころ、
金沢城近くに建立した日蓮宗の祈願所を移転したもので、
加賀藩歴代藩主が祈願所として、武運長久を祈り、家紋の剣梅鉢を守ってきた。
建設当時は幕命により、三階以上の建築は禁止されていた。
当寺は、外観は二階建てだが、内部は四階建て・七層になっている。
しかも、その構造はきわめて頑強で、
台風や雪害などに耐えられる配慮が施されている。
中二階、中中二階など、複雑な建築構造の中に、部屋数二十三、階段が二十九もあり、
最上階の物見台ともとれる望楼は、各方面が遠望できる。
本堂の屋根の突つ端部分にあるギヤマン(現在はガラス)張りの望楼は、
見張り台になっていて、
金沢城へは光による交信も可能で、寺町台はもとより、
遠く加賀平野を遠望、敵の動きをいち早く知ることができた。
庫裏の中心にある大井戸は、深さ二十五メートル位で、茶水に使用されていたが、
水面上に横穴があり、金沢城まで続き、逃げ道にもなっていたともいわれている。 」
出城の要素を備え、また、忍者寺といわれる仕掛けが施されている。
「 正面から突き当たりにある蹴込(けこみ)の所に、障子を張って明かりを取り、
外敵の足の影を見て、槍などで刺し倒すことができる。
本堂正面入口に埋め込まれた賽銭箱には、落とし穴になる仕掛けが施されていた。
階段二十九のうち、六ヶ所は本堂に集中し、
特に左端は奥まったところにある階段は、渡廊下に見せた階段で、
床板をはずすと、落とし穴となり、下男部屋への通路となって
身が隠せるような仕掛けになっている。
本堂裏の物置の戸を開けて、床板をまくると、階段がある。
身を隠して逃げられるようになっている。
床板には、溝が刻まれ、戸を閉めると自動ロックになって開かなくなる。
床下には通路が作られている。 」
写真撮影禁止なので、この様子を紹介できないのが残念だが、一度訪問する価値はあると思う。
所在地:石川県金沢市市野町1−2−12
拝観は予約制 076−241−0888 にTEL
妙立寺(通称忍者寺)へはJR金沢駅からバスに乗り、広小路又は野町広小路下車
旅をした日 平成二十九年(2017)九月二十二日