大原港発13時二十五分発の船に乗る。
空に雲はあるが、青空である。
それを映してか、朝の海と違い、澄んだ青色であった。
船内は朝は満席であったが、この便は少なく、三分の一である。
◎ 竹富島
ISHIGAKI DOREAM TOURS と、書かれた船は、石垣港を経由し、五十分程で、竹富港へ到着した。
貸切ワゴン車で、島内を回る。
「 竹富島は、南北に九キロと、やや長い楕円形の平坦部が多い、低島である。
サンゴ礁が隆起によってできた琉球石灰岩で構成されているので、
牧畜や農業には適していないため、琉球王朝の時代には税を支払うため、
西表島に通って、米の栽培を行ったという歴史がある。 」
バスの運転手が最初に連れて行ったのは、島内西北にあるコンドイビーチである。
「 竹富島で唯一泳げるビーチで、白い砂浜と遠浅の海は家族連れにピッタリと いうが、この時期は一人もいない砂浜で、車は浜辺に沿った道を 走り抜けていった。 」
南下すると、すぐに車が停まった。 浜に出ると、浜辺に石が転がっていた。
ここはカイジ浜である。 カイジ浜は星砂の浜として知られているところである。
バスの運転手の説明によると、 「 星砂は、有孔虫(バキュロジブシナ)の殻で、 その成虫か死骸が海により運ばれてきて、堆積したものです。 」 とあった。
手の平に乗せてみたが、極めて小さなものであった。
修学旅行の女子達はグループになって、ワイワイ言いながら探していた。
バスに戻ると、島の中心部に向って走り、竹島観光センターへ連れて、行かれた。
少し待った後、 「竹富観光」 と書かれた牛車に、乗せられた。
牛車は歩けば10分〜20分の距離を20分〜30分かけて廻る。
牛車は西に向って進み、最初の交叉点を右折すると、 島の中央部を貫なる道路に出た。
「 竹富島の世帯数は百八十戸、人口は三百三十人で、 集落が三つあり、道の南方は中筋集落で、ほとんどが民家で、商店などがない。 」
道の右側は東集落、左側が西集落である。
この道は、神が通る道といわれ、
白砂が撒かれていて、月夜には白く光って神々しいという。
砂は海砂なので、塩分を含み、草が生えない。
道の左右には亜熱帯の植物が生え、石垣で囲まれた、赤瓦の木造家屋が続く。
「
竹富島の住民協定では、「 建物は木造赤瓦で、木目調の壁であること、
家は石垣で覆われていること。 」 とあるので、
赤瓦と石垣がある木造家屋しか建っていない。
これらの家並は、昭和六十二年(1987)に、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。 」
進むのが乗った牛まかせなので、牛によって所要時間が異なる。
利用した牛車は、途中で立ち止まってしまい、所要時間を大幅に延長してしまった。
「 牛飼いが、アサトヤユンタを蛇三味線を弾いて歌ってくれたが、 この歌は、竹富島で生まれた歌で、歌われた美女・アサドクヤマとこの地に 赴任してきた官民との恋の歌とのことだった。 」
屋根にはシーサー(獅子)が乗っている。
「
シーサーは、座っているシーサーが沖縄本島には多いが、
竹富島のシーサーはおしりを持ちあげているのが多い。
これは家族の繁栄と家族を守ることを祈念したものという。
また、竹富島にはシーサーを造る専門職人がいなかったので、
昔は屋根を葺く瓦職人が造ったため、一戸毎に違っているとのことだった、 」
コースに史跡があるわけでなく、左右の家を見て、
屋根にシーサー(獅子)が付いているのを確認する程度である。
牛飼いの説明で印象に残ったことを記す。
「
東部の海は、人は利用できず、海に向うには西部の海に歩いて、二十分で行ける。
、
道の右側の島唯一のスーパーと説明あったのは、平屋のお店で、
「 150円のアイスキャンデーがおいしい。 」 とあったが、
「 営業時間はオバアの気分次第で、そのあたりは沖縄のゆるい文化です。 」 という。 」
食事処で大きくうまいのが、 「かにふ」 という店で、
島で獲れる伊勢エビが食べられるようである。
道端に咲いている花や、民家にバナナの木があったりしたが、
「 夏には沖縄県の花のデイゴが真っ赤な咲く。 」 といわれた。
この時期は、道端にピンクのブーゲンビリアが咲いていた。
やはり、南国の島と思った。
まちなみ館のあるあたりに、記念碑があり、
「 いつもはこのあたりに、島猫(放し飼い猫) がいるのだが、
今日はいないね!! 」 とのこと。
大きなガジュマルの木があったが、 「 ガジュマルには赤い髪の男の子の
キジムサーという妖精がいて、それに出逢うと幸福をもたらす。 」 という
伝承があるという。
牛車はその先で右折したが、道の両側に石垣が続いている。
「
石垣は、サンゴで出来た琉球石灰岩を手積みしたももで、
しっくいやセメントで留めておらず、石が重く、その重さでバランスが取れているという。
台風が来て、風が叩きつけると、石の間の隙間が、風の力を弱める働きをする、
という優れもので、琉球人が生活で得たたまものなのだろう。 」
まちなみ館の駐輪場に、「 ←なごみの塔・西桟橋 西塘御嶽→ 」 の標識がある。
牛飼いの話では 「 竹富島の東部は開けていず、海にはいけない。
海は西方に歩いて20分、西桟橋、コンドイビーチ、カイジ浜が利用できる。 」
といわれた。
「 なお、西塘御嶽は、琉球王より、最初に「竹富大首里大屋子(頭職)) に任じられた、西塘を祀る御嶽である。 御嵩は、内地の神社である。 」
私達が乗ったスルーペースの牛車は、後ろに続く牛車を巻き込みながら、ゴールした。
乗って来た牛車と記念撮影後、解散となった。
迎えのバスにのり、竹富港へ行き、竹富観光は終了となった。
竹富島にいたのは一時間四十分だった。
◎ 小浜島
翌日の十一月十六日は、小浜島へ行った。
小浜島ツアーの集合時間は十時十分だったので、ゆっくり起き、
バイキングの朝食もしっかり摂った。
石垣港で、十時発の 「 小浜ー石垣 しぶぁふぬぃに 」 に乗った。
小浜港にはわずか25分で、着いた。
港の待合所でトイレを済ませ、貸切バスに乗る。
小浜島には乗合バスはないので、個人で行く時はレンタサイクルか、歩くしか方法がない。
バスは県道210号に沿って進む。
海から離れると、道の左右はサトウキビ畑である。
県道から離れて、少し行って右折すると、道に沿って電線が直線に伸びる道にでた。
「 この道は、さとうきび畑の一本道であることから、
シュガーロードという名が付いたという。
この道が有名になったのは、NHK朝ドラ 「ちゅらさん」 のロケ地になったためである。
」
右側に黒毛和牛が10頭ほどいた。
「 現在、小浜島に畜産農家二十四軒、牛は七百五十頭飼われている。
小浜島は地下水があるため、稲やサトウキビが栽培できていたが、
黒毛和牛は、石垣牛の名で、高級肉として高値で取引されているので、
サトウキビ畑は牛の牧草地に変わり始めているように思えた。 」
交叉点で右折すると小浜小中学校があった。
「 小浜島の人口は七百五十人で、観光業が盛んなことから、 人口は増えているとのこと。 小学生が三十九名、中学生が二十一名、全校生は六十名 である。 」
集落に入ると、両側に琉球石灰岩で出来た石垣が続いていた。
少し進むと、民家の前で、バスが停車し、運転手より、
「 ここがNHK朝ドラの 「ちゅうらさん」 で、
主人公の生家の民宿 「こはぐら荘」
として使用されたところです。 」 という説明があった。
建物前の塀の前には、ロケで使用された、 「こはぐら荘」 と書かれた小さな看板があり、
「 民家なので、立ち入りしないでください。 」 という立札が建っていた。
「 この家・大盛家住宅は、大正四年(1915) に建てられた、 桁行き五間半、梁間四間半の寄棟造平入りの木造住宅で、琉球赤瓦で葺かれている。 」
集落を抜け、小道を上っていくと、緊急ヘリ用のエアポートがあった。
車道から逸れ、通るのがやっとという道を上っていくと、数台が停まれる駐車場が あり、バスはそこで停車した。
「 運転手から、 「 この先の階段を上っていくと、展望台があります。 」 と いわれ、下車してぞろぞろとみんなで、300の階段を上った。 」
上ったところが大浜展望台で、西大岳の頂上である。
ここには、「ちゅらさんの碑」 と書かれた石碑があり、各自が写真に収めていた。
ここは小浜港から1700mのところで、
右手には標高99mの 大岳(うぶだき) がある。
また、左側には休憩所(東屋)があった。
目の前に見えるのは、喜弥真島(かやまじま)である。
「
ヨナラ水道を挟んで、西表島が見える。
快晴の時は波照間島まで見通せるといわれたが、当日は無理だった。 」
添乗員の話では、 「 ここは八重山の展望台といわれるほどの一面が見渡せるところで、 喜弥真島から西表島までは2kmの距離である。 」 といわれた。
展望台から戻るとバスは坂を下る。
右手に沖縄独特の墓があった。
「 コンクリート製の格納庫のようなものの前に、 彼岸やお盆で一家集まって食事したり、歌を歌ったりできるスペースがあった。 」
右手の草叢の間に、海が見えだし、小さな漁港に着いた。
「
島の西側に突き出しているここは細崎(くばざき)で、
沖縄の海人(漁師)が暮らす集落である。
奥に見えるのはマンタの形をした展望台、その下は海人公園になっている。 」
バスは港から少し走ったところの民宿前で停まり、
右手にある浜に案内していった。
砂浜から奥を見ると、西表島が目の前にあり、
その間の海にはマンタが回遊している、という。
我々以外誰もいないビーチで、離島らしい雰囲気にしばらく浸った。
この後、バスははいむるぶしに向う。
左側に、 「はいむるぶし」 の看板が見えてきたところで、海側から左の道に入った。
「
はいむるぶしは、ヤマハが開発したリゾートホテルで、海側の地を中心に
島内の四分の一、、四十万坪の敷地を持つ巨大なリゾート施設である。
はいむるぶしは沖縄語で、南十字星を意味し、世界でも有数のさんごしょうが
広がるプライベートビーチを有する。
現在は三井不動産が経営している。 」
道に沿って椰子が植えられていた。
その先に、星野リゾートの小浜島カントリークラブのハウスがあった。
その先に建物が数棟たっていて、その内の一棟前に停まり、
若い女性三人組が降りた。
運転手は 「 星野リゾートへの客が同乗していたので、はいむるぶしと
星野リゾートリゾナーレ小浜島によったので、
皆様は得したね!! 」 とアナウンスをした。
バスが五分程走ると、小浜港に着き、小浜島ツアーは終了した。
一時間三十分のツアーであった。
添乗員より、 「 帰りの石垣行きの船の出港は十三時三十分です。 それまで自由行動です。 」 と告げられた。
「 小浜島にはスーパーやコンビニはなく、小浜港の待合所に小さな売店があるが、 これというものを売っていないので、石垣島で購入して持参する必要がある。 」
待合所の近くに東屋があったので、そちらにぶらぶら歩いて、時を過ごした。
小浜港の桟橋は浮桟橋で、ちゅら桟橋の名が付いていた。
高速船・あやぱに号が入ってきたのは十三時二十五分。
なお、船名のあやぱには、カンムリワシの美しい羽根を意味するようである。
案内に従い乗船し、小浜島をあとにした。
◎ 石垣島
石垣港に到着したのは、十四時二十五分である。
小浜島で食事が摂れなかったので、昼食を食べに、町に出る。
730記念碑交叉点の右側に、 八重山そぼ ゆめのや本店 があったので、入った。
小生はゴ―ヤチャンプルと八重山そばを頼み、
同行の娘は八重山そばとじゅうしいを頼んだ。
「
八重山そばは那覇などの沖縄そばと麺がちがう。
沖縄そばはちじれ麺に対し、ストレート麺である。
もともとは平麺であったが、丸麺が登場すると丸麺=八重山そばという認知
になったようである。
また、ゆでた後、油処理がされるのがラーメンなどの中華麺と異なる。
スープは豚骨のだしにかつおぶし、ほんのり甘みがあるのが特徴である。
ジューシーとは沖縄独特の炊き込みごはんで、
米と豚肉、人参、肘木かまぼこをブタの出し汁で焚いたものである。 」
750記念碑交叉点には、 750 と書かれた石碑とその前にシーサー一対がある。
「 750記念碑は、1978年7月30日に、沖縄の自動車通行が、右側通行から本土並みの左側交通に 変わってことを記念して、建てられたものである。 」
750記念碑交叉点を北に国道390号を行くと、左側に御菓子御殿がある。
交叉点を左折すると、 「ユーグレナモール」 と書かれたアーケード街があった。
「
この一帯は石垣市大川で、日本最南端のアーケード商店街である。
この通りは、ユーグレナモール(中央通り)で、
総延長が二百五十六メートルの商店街であるが、
観光客向けの土産店や地元の個人商店などが並んている。 」
右側に、うちなーみやげ館があったので、中に入り、 石垣土産の塩ちんすこうなどを買った。
その先の右側に、石垣公設市場がある。
「 半地下階には観光客向けの飲食店と豚肉、鮮魚、
かまぼこなどの市民むけの生鮮食品が売られていた。
二階は石垣市特産品販売センターと、Tシャッツショップが入居していた。 」
この北側の通りはユーグレナモール(銀座通り)である。
中央通りに比べ、小さな店が多く、地元客向けの商店街かなあ!! と思った。
左側に、 「 まちなか交流館ゆんたく 」 という建物があり、
自由に立ち入り休憩できる施設で、トイレもあった。
この後、早めであるが、750交叉点の近くの そば処まーさん道 で、
軽めの夕食をとった。
八重山そばとラフテーであったが、どちらもおいしく、満足した。
交叉点から港方面に戻ったところに、 石垣島プリン本店 がある。
ここで好きなプリンを買い、ホテルで食べることにした。
「 プレーン、紅いも、黒蜜、塩など、7種類のプリンがあり、 原料は石垣島で厳選された素材を使用している。 」
昨日と今日と船旅も多かったこともあり、疲れたので、早いがこれで、 石垣市の観光は終了することにして、ホテルに戻った。
ツアー最終日。
ホテルを七時二十分に出るので、六時三十分に一階にある、 レストラン・トレアドールで、バイキングによる朝食を摂る。
「 三日間、この食堂を利用したが、品数が多く、味も悪くなく、 これまで体験したツアーの中では、上位に位置していたので、満足した。 」
バスに三十五分程乗り、到着したのは 川平湾(かぴらわん) の駐車場である。
車を降り、「石垣島特産品販売」 の大きな看板がある店の前を通り、浜に向う。
浜には、数隻のグラスボートがあった。
これからこの内の一隻で、三十分程、湾の海底を見てまわるのである。
「
あいにく空は曇天で、風が吹いている。
沖縄に来て痛感するするのは日の出が遅く、
北海道の釧路に比べると、一時間の時差があるので、まだ薄暗い。 」
船は静かに出港し、船長によるアナウンスがあり、船底のガラス面を眺める。
造礁サンゴが群落する海として、サンゴの種類の説明があったが、 興味がないので聞き流した。
亀がいるというので、見つけたが、直ぐに画面から消えたので、
写真は映せなかった。
大きな貝の群生は確認できたが、熱帯魚やサンゴ礁に住む小さな魚はあまりいなかった。
「
以前、沖縄本島のプセナ海中公園で、グラスボートの体験したが、
そちらでは綺麗な海と魚をみることができたので、
そちらの方がお勧めである。
川平湾は、沖縄の本土復帰直後に訪れた時より水質が悪化し、
また、汽水化が進行しているようで、川平の黒真珠の養殖にかなり影響していると、
思った。 」
浜に戻り、周囲を探索する。
坂を上って行くと、川平湾が一望できる川平公園に出た。
湾口をふさぐように横たわる小島(くじま)を始めとして、
幾つかの小さな島が点在し、潮の満ち引きと日光により、
海の色が変わるようである。
公園茶屋があり、川平観音堂があった。
九時に川平湾を後にして、三十分程走ると、石垣空港へ到着した。
乗る飛行機は、十時五十分発のJL972便であるが、
空港へ入ってくるのが三十分程遅れたため、出発時間が大幅に遅くなった。
待合場の近くにある売店で、石垣牛のおにぎりとお茶を買い、機内に入った。
四十分遅れて、十一時二十分、石垣空港を離陸。
行きは偏西風の影響で、三時間二十分かかったが、帰りは二時間五十分で飛んだ。
十四時十分羽田空港大ターミナルに到着
今回のツアーは。沖縄本島と違う亜熱帯の土地に触れられたので、満足した。
訪問日 令和五年(2023)十一月十四日〜十七日