名所訪問

「 神戸の中華街 南京町  」

かうんたぁ。


南京町は、神戸元町にある中華街で、 横浜中華街 ・ 長崎新地中華街とともに、日本三大チャイナタウンの一つに数えられる。
明治元年の神戸港開港とともに、多くの中国人が神戸に移住したのが、南京町の始まりである


JR元町駅で降り、南側に出る出口から南にむかうと、  左右にあるのは元町通商店街で、多くの人で、賑わっている。
商店街に入らず、直進すると、「神戸牛」の提灯をぶらさげた飲食店などが両脇にある。
そこを通り抜けると、「神戸 南京町 YUNYUN) と、書かれた店舗があるところに出た。

「 南京町は、住所表示となる地名ではなく、南京町商店振興組合が、 元町通と栄町通にまたがる一帯の地区を維持管理していて、組合に加入した店舗のみに 「南京町」の名前を付けることを許可している。
一言でいうと、南京町は商店街の名称であり、地名ではない。 」

元町通商店街
   飲食店街    南京町
元町通商店街
路地裏 (飲食店が並ぶ)
南京町中華街

左折して、東に向かうと、百メートル程先に、 長安門が建っている。

「 南京町の中央通りは十字路になっていて、中央部に広場あり、 東西約二百メートル、  東の長安門までが、南京東路、 西の西安門までが南京西路である。
南北が百十メートルで、  南に海栄門があり、北は元町商店街につながる。
  横浜中華街に比べると、 規模が小さい。 
横浜の華僑は居住しているのに対し、神戸は店舗のみの営業で、居住者は少ないことが特徴である。 」

中央部の交叉点には 四阿があり、 テークアウトした食べ物を座って食べていた。

「 南京町には、百余りの店舗が軒を連ねる。
店頭の路上で、 点心 ・ 菓子 ・ 食材 ・ 記念品などを売る店が多い。
休日は地元の買物客や観光客で、 賑わう。      」

小生達は、店舗に入り、おすすめのメニューから、セットになった、中華料理をいただいたか、店内で食事する客は少なかった。
南京町のメインは店頭販売(テークアウト)である。
これは、 南京町の誕生と関係している。

「 現在の中華街 南京町が誕生したのは、歴史的には浅く、昭和五十五年である。
明治元年(1868)に、神戸港が開港し、居留地が設けられた。
当時、清国との間に、通商条約が締結されていなかったため、華僑は居留地内に住むことが 許されなかった。 そのため、居留地の西側に住み始めたのが、南京町の始まりである。
神戸では日本人と華僑との関係が良好であったため、成功者は山手に住み、元町や三ノ宮などの町の中心地、中華料理店を開業した。
戦前の南京町は港を商業とする会社や店舗はほどんどで、居住者は他地区へ移住していった、
戦後、神戸港は米軍に接収されて、  南京町は米兵相手のバーやいかがわしい風俗店が建ち並ぶ、日本人がちかよりずらい地区に なった。
昭和五十年台になり、神戸港が返還され、米軍はいなくなり、 南京町をどうするかという 課題ができた。
昭和五十六年から、広場や楼門の建設が行われ、 他地区から移転してきた中華料理店や、 新しい料理店の開業が続き、南京町は中華街になった。
観光客に知られるようになったのは 阪神 。 淡路大震災以降である。
地震の被害で食事に困っているとき、 プロパンガスとポリタンクの水を使って、 営業を再開した、 軽食テークアウトが、地元の人々に歓迎され、  この様子がテレビで全国へ放送され、震災から復興した現在も、 継続されて、南京町の名物になっている。 」

南京西路を進むと、 西隅に 「光復」 と書かれた門がある。
これは西安門で、 門を出て、正面を見ると、 「西安門」 と書かれている。
先程訪れた、長安門には 裏側に、「長安門」 の他、「友愛」の文字が、 正面には、「長安門」 の他、 「敦睦」 の文字が書かれている。
これらの門は、 震災後に再建されたものである。

長安門
   広場(四阿)    西安門 「光復」
長安門 (友愛)
広場(四阿)
西安門 「光復」

訪問日    令和八年(2026)一月十日


所在地 兵庫県神戸市中央区栄町通1丁目
新幹線 新神戸駅より、地下鉄山手線 「県庁前駅」 下車、 徒歩7分
JR神戸線・阪神電鉄 元町駅から、徒歩5分
阪急 神戸三宮駅西口から、 徒歩10分
地下鉄 海岸線 旧居留地・大丸前駅から 徒歩2分      



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