笠間稲荷神社の創建は、白雉二年(651)と古く、その後、
寛保三年(1743)には時の笠間城主・井上正賢により、社地社殿が拡張され、
延享四年(1747)、牧野貞通が城主になると、先例により祈願所と定められ、
境内地や祭器具などが寄進され、以来、歴代藩主の篤い尊崇を受けた。
明治維新で藩の後ろ盾を失ったが、日本の三大稲荷の一つとして、
関東一円から参拝者が集まってくる。 」
笠間稲荷神社へJR水戸線の笠間駅から徒歩25分。
門前通り商店街の左奥に、楼門があり、その前には土産物店が並ぶ。
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小生が訪れた、かさま歴史交流館井筒屋からは、門前通りを抜け、笠間稲荷神社本殿まで、約330mである。
徒歩6分程度。
かさま歴史交流館井筒屋 の 発行する 「笠間城跡めぐり案内」 には
「 笠間時朝が、麓城 と呼ばれる居館を構えた場所は、
笠間稲荷神社周辺とされ、ここが笠間城の始まりとされ、
ここを拠点に笠間氏は活動を開始した。
その後、建武四年(1337)頃に、山上に城郭を築き始めた。 」 とある。
笠間氏は、 佐白山の山頂にあった正福寺の僧兵と戦い、正福寺を征服した後、
それより高い山頂に、笠間城を築城した訳である。
笠間稲荷の楼門は、「萬世泰平門」 という名が付いている。
重層入母屋造で、昭和三十六年の竣工である。
拝殿は昭和三十五年十月の竣工で、神社建設の粋を集めた豪壮かつ華麗な建物である。
手洗屋で手を洗う。 その対面には、大きな 「唐からし」 を売る店があった。
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門をくぐると、正面にある社殿は、江戸時代の末期に造られたもので、
国の重要文化財に指定されている。
拝殿でお参りをして、その後、御朱印をいただいた。
「八重の藤」 とある藤棚は、樹齢四百年の二株の藤で、
国の天然記念物に指定されている。
内の一本の八重藤は花がブドウの実のように集合して咲く珍しいものである。
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大黒天を祀るお堂がある。
説明板によると、 「 七福神の一つで、ご祭神は大国主命である。
日本で一番古い神社として知られる奈良県の大神神社の御祭神・大物主神と、
異名同神である。
当社では、常陸七福神の一つとして、大黒天を祀っている。
当社で祀っている大黒天の姿は、くくり頭巾に狩衣姿で、左肩に袋を背負い、
右手に打ち手の小槌を持った姿をしている。 」 と、あった。
奉拝札を収めるお堂があった。
その中は休憩すできるようになっていた。
伏見稲荷や他の稲荷神社にも訪れているが、笠間稲荷の建物は以上で、少なく感じた。
お店で、笠間のお稲荷さん を買い、笠間の見学は終わった。
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笠間神社へは笠間駅からバスで7分
笠間駅から徒歩で25分
訪問日 令和三年(2021)十二月五日