続日本100名城 (199) 座喜味城(ざきみぐすく)
座喜味城はグスク時代と琉球王府時代という時代の変わり目の十五世紀の初頭に築城された城で、
築城家としても名高い読谷山按司(よみたんざあじ)護佐丸(ごさまる)によって築かれたといわれる城である。
「 座喜味城は中頭郡読谷村にある中山時代の城で、
名護層(赤褐色土)を基盤とする標高約百二十メートルの丘陵に立地し、
二つの郭(かこい)から構成され、
郭内の面積は城壁を含めて二千二百三十四坪(7383u)である。
座喜味城跡は旧日本軍の高射砲陣地となり、戦後米軍のレーダー基地となったが、
本土復帰後、国指定史跡になり、平成十二年に世界遺産に登録された。 」
「座喜味城跡」の石柱が建っている石段を上ると、
中央にアーチ石門がある城壁が見えてくる。
石造アーチ門をくぐると二の郭で、その奥の城壁にまたアーチ石門があり、
そこをくぐると一の郭に出る。
「 この城には二つの石造アーチ門があるが、一の郭のアーチ門は復元されたものだが、
二の郭のものはほぼ当時のものを修理したものである。
アーチ石のかみ合う部分、門の表と裏両面にクサビ石がはめこまれているが、
二の郭アーチ門天井のクサビ石は三角形で、一の郭のクサビ石は方形である。
これらは他のグスクに類をみないもので、
座喜味城のアーチ門が現存するアーチ門の沖縄で最古のものと推定される。
城壁の高さは高い所で約十三メートル、低いところで約三メートルで、
石積は主に布積の方法で積まれているが、相方積、野面積も部分的に用いられている。 」
一の郭では幅十六メートル、奥行き十四メートルの建物跡がみつかったが、
屋根瓦は出土していないので、
建物の屋根は茅葺か板葺きの建物だったと推定される。
座喜味城跡には二御前、城内火神、城内アザナイシ御イベ、
読谷山城之殿の四つの拝所があったが、
現在は二の郭アーチ門前に移設されている。
また、護佐丸の子孫の座喜味親方盛譜が1843年に江戸参府(江戸上り)で、
徳川十二代将軍家慶への慶賀使(副使)としての任務を無事果たし、
帰国した際に領地の城内拝所に建立した寄進灯籠がある。
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城跡入口 | | 二の郭アーチ門のある城壁 | | 一の郭石造アーチ門 |
所在地:沖縄県中頭郡読谷村座喜味708−6番地
那覇バスターミナル29番読谷線座喜味下車、徒歩約15分
座喜味城のスタンプは世界遺産座喜味城跡ミュージアム(旧読谷村歴史資料館 9時〜18時 入館は17時30分迄 水休 12/28-1/4休) にて
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