続日本100名城 (197) 志布志城(しぶしじょう)
志布志城は鹿児島県志布志市志布志町にある中世(十二世紀)の山城で、
平成十七年(2005)に国の史跡の指定された。
「 志布志は古来から軍事、海運、商業の中心地で、
海上、陸上の交通の要所、物流の要所としての重要性から、
多くの武将が港を手に入れようと争奪戦が繰り広げられた。
十二世紀時代から千種氏、肝付氏、、楡井氏、畠山氏、新納氏による豪族の興亡の歴史を繰り返していたが、
南北朝時代までは矢倉場といわれる曲輪と本丸のみであった。
新納氏の時代に中野久尾と大野久尾曲輪に築き、内城本丸の山下に居館を置いた。
島津家の分家の新納氏(にいろし)は約百八十年にわたり、志布志を治めたが、
飫肥、串間も領有する豊州家島津氏が、
新納氏を破り、志布志を手に入れた。 その後、
肝付氏が豊州家島津氏を破り、志布志を領有し、伊東氏と協調して島津氏と対立したが、
天正五年(1577)、降伏し、島津氏に従いました。
志布志は島津氏の直轄地となり、地頭(代官)が置かれ、
戦国期に見られるような直線連郭(れんかん)型式の山城となった。
初代の地頭として鎌田出雲守政近が任命された。
島津氏の本城を守る大隅地方の重要な城だったが、
徳川幕府の一国一城制により、廃城となった。 」
志布志城は日豊本線の志布志駅の北東約二キロにある。
志布志市内を囲む全ての山が志布志城と言っても過言ではなく、
志布志小学校の裏山の内城、その西側の
山にある松尾城、
志布志中学校前の高城と新城の四つの城郭で構成されている。
「 志布志城は南九州特有のシラス台地の上に造られた城で、
シラスの地形と性質を利用して、
深く切り立った長い空堀(歩道を兼ねる)と空堀に切り離された複数の曲輪により、
構成されている。 」
内城は整備され見学しやすくなっていて、志布志小学校の裏に登り口がある。
車はそこから100メートル程はなれた観光駐車場に置ける。
城から離れた駅の反対側方向にある志布志市埋蔵文化財センターには、
志布志城内城の復元模型が展示されていて、当時の姿を想像するに大変役にたつ。
続日本100名城のスタンプもここに置かれている。
志布志城の詳細は、
古城めぐり「志布志城」を、ご覧ください。
所在地:鹿児島県志布志市志布志町帖6380
JR日南線駅から徒歩20分で内城入口
鹿児島空港から志布志行きリムジンバスで志布志駅前で下車、徒歩20分
志布志城のスタンプは志布志市埋蔵文化財センター(志布志市安楽41−6 9時〜17時、入館は16時30分まで 月休12/29-1/3休) にて
戻る(日本100名城表紙)
|