続日本100名城 (194) 佐伯城(さいきじょう)






佐伯城は慶長六年(1601)、日田から佐伯に入った佐伯藩初代藩主、毛利高政により、 慶長七年(1602)から四年の歳月をかけて築かれた山城である。 

「 毛利高政は豊臣秀吉の家臣で、当初の名は森友重、 毛利輝元から毛利の姓を賜り、毛利高政になった。 
関ヶ原の戦いで、徳川方(東軍)に付いたことから、慶長六年(1601)、 豊後国海部郡佐伯に二万石を与えられ、 前領主佐伯氏の旧居城だった栂牟礼城に入城したが、栂牟礼城は険阻な山城で、 平時の統治には不便だったため、翌、慶長七年(1602)、 番匠川沿いの水上交通に便利で、守り易く攻め難い地形の周囲三キロ、 高さ百四十四メートルの八幡山に新城の築城に取り掛かった。  山頂の城郭は本丸を中心に西南に二の丸・西出丸、東北に北出丸と、 鶴が翼を広げた姿を連想させ、鶴屋城とも呼ばれた。  寛永十四年(1637)、三代藩主、毛利高直は麓に三の丸御殿を創建し、 藩政の場を山頂から麓の三の丸に移し、楼門を設けた。  明治四年(1871)、佐伯県庁が置かれ佐伯城は廃城とされ、三の丸以外の建物はすべて 払い下げ、撤去された。 」 

昭和四十五年(1970)、三の丸御殿の一部を解体し、市内に移築され、現在も残る。 
翌年の昭和四十六年(1971)、三の丸の跡に市立佐伯文化会館が建てられた。 
遺跡として残るのは山頂主郭部の石垣と麓の三の丸石垣と三の丸櫓門のみである。 
その他、駐車場の南に三府御門(江戸後期)と毛利家御居間(明治期)が保存されている。

三の丸櫓門
     本丸石垣と廊下橋跡      二の丸渡櫓跡石垣
三の丸櫓門
本丸石垣と廊下橋跡
二の丸渡櫓跡石垣



佐伯城の訪問記は、 古城めぐり 大分の城3「佐伯城」にあるので、ご覧ください。

所在地:大分県佐伯市城山76番地1ほか    
佐伯城はJR佐伯駅の南南西にある  
JR日豊本線佐伯駅からバスで約6分、大手前で下車し、徒歩約3分 
駅から徒歩で約20分  
佐伯城のスタンプは市立佐伯歴史資料館(0972-22-0700 9時〜17時、入館は16時30分まで 月休、年末年始休) にて  



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かうんたぁ。