続日本100名城 (193) 臼杵城(うすきじょう)
臼杵城は戦国時代に大友宗麟により築かれた丹生島城を前身とする平山城である。
「 現在は周囲の海が埋め立てられ、小山状態となっているが、
かっては北、南、東を海に囲まれ、
西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害をなしていた。
大友氏の改易後、福原、太田氏により改修工事が始まり、
慶長五年(1600)、美濃国郡上八幡より入封した稲葉貞通、
その子典通により大修築が行われ、石垣造りの姿になり、臼杵藩の藩庁が置かれ、
明治維新まで、稲葉氏十五代の居城となった。
改築された城には三重の天守と三十一基の櫓が建てられ、
総二階造り(上下階の平面が同規模)の重箱櫓と呼ばれる形状をした二重櫓が特徴的だった。
本丸に建てられた天守は三重四階で、六間四方(6尺5寸間)、
高さは天守土台から六間一尺あり、
文禄三年(1594)から慶長五年(1600)の間に築かれたものと推定されているが、
明治の廃城令で多数の重箱櫓と共に壊され、残っていない。 」
遺構として残るのは二の丸の畳櫓と本丸の切妻造りの卯寅口門脇櫓と石垣、空堀だけである。
周囲の海も埋め立てられ、島城の雰囲気も残っていない。
城郭主要部は都市公園として整備され、
平成十三年(2001)に二の丸大手門に当たる大門櫓が木造で復元された。
臼杵城の訪問記は、
古城めぐり 大分の城2「臼杵城」にあるので、ご覧ください。
所在地:大分県臼杵市大字臼杵丹生島
臼杵城はJR臼杵駅の北方の臼杵公園にある
JR日豊本線臼杵駅から徒歩5分(卯寅口)、徒歩15分(古橋口)
東九州自動車道臼杵ICより車で10分、臼杵フェリーターミナルより5分
臼杵城のスタンプは臼杵市観光交流プラザ(9時〜18時)にある
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